明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常227 「腰まで泥まみれ」という曲をご存じですか

こんにちは。

 

本年もよろしくお願いします。

新年早々、石川県能登半島を中心に大きな地震が発生し、かなりの被害が出てしまいました。と思っていたら翌日には羽田空港の滑走路上で2機の飛行機が衝突炎上するという前代未聞の事故が発生しました。まったく何という年の初めなのでしょうか。被害、災害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。また、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

私自身石川県には深いかかわりを持っていますし、知人も沢山いますので、このブログでもとくに今回の地震の件については少し詳しく取り上げようと思ったのは当然です。しかし、まだまだ被害の全容は明らかになっていませんし、亡くなられた方の数は増え続けています。何よりも、私の気持ちが何となく落ち着かない状態です。したがって、この話題を取り上げるのはもう少ししてからにしたいと思います。

 

そんなわけで、今年の正月は例年になくテレビをつけている時間が長かったように思います。次々に流れてくる情報にずっと釘付けになっていたというわけではありませんが、現地の状況が気になり続けていたのです。ただ、それが3日も続くとさすがに疲れてきます。テレビ局側も、そう思ったのでしょうか。1月3日になると、各局とも、もともと予定していた番組に切り替え始めました。正直なところそれらを見ていると少しほっとした気持ちになる自分がいることに気がつき、また、若干の戸惑いはありましたが。

そんななかで、MISIAさんが昨年東大寺で行ったライヴの様子はとても興味深く見ることができました。MISIAさんは、紅白歌合戦の大トリとして圧倒的な存在感を示していましたが、この東大寺ライヴでも、その印象は変わりませんでしたね。さすがです。

このライヴで少し変わっていたのは何人かの歌手がゲスト出演していたことです。私がとくに気になったのは元ちとせさんです。

この人は、奄美大島出身で、独特のコブシの効いたクセの強い歌声と歌唱法で注目された人です。いわゆる島唄をベースにしていて、現在でも奄美を主な拠点として歌手活動を続けていますが、2002年に発表したデビュー曲「ワダツミノ木」が80万枚の売上を記録する大ヒットとなったので、「名前は何となく知っている・・・」という方も多いかもしれません。

そんな元ちとせさん、MISIAさんとのコラボということ自体、私には少し意外だったのですが、それ以上に驚いたのが、ここで披露された曲、「腰まで泥まみれ」です。

この曲は、1960年代に活躍したアメリカ人フォーク歌手ピート・シガーが作ったもので、ベトナム戦争に対する反戦運動の象徴的な曲のひとつとして、注目された曲です。日本では、1970年代に入ってから、 中川五郎さんが訳詞をつけて歌い、その後、小室等さん率いるフォーク・グループ六文銭岡林信康さんが取り上げています。私がこの曲をはじめて聴いたのは、高校生の時、高石ともやさんが歌うバージョンで、痛烈な内容なのに淡々とした高石さんの歌い方がとても印象に残ったことをよく覚えています。

この歌は、1942年にルイジアナ州のある川で、偵察行動の訓練として渡河を行なおうとした小隊のことをストーリー仕立てで歌っています。副官である軍曹の心配を高圧的に無視した隊長は、先頭に立つ自分に続いて前進しろと命じ、最後は首まで泥に浸かる状態になってしまいます。突然、隊長は溺れ、軍曹は直ちに小隊にもとの川岸まで戻るよう命じます。上流で流れが合流し、水深が以前より深くなっていたことに隊長は気づいていなかったのです。

「僕らは腰まで泥まみれ。だがバカは叫ぶ。『進め!』」という歌詞の強烈なメッセージは、私達の心に突き刺さるのです。

ただ、歌詞では、この話の明らかな教訓を改めて語ることはせず、その代わりに、この国が権威主義的な愚か者によって同じような危機にあることを示唆します。ただ「この話を聞いて何を思うのかはあなたの自由」とも述べています。

こんな重い内容を持つ曲を東大寺奉納ライヴという場所で演奏した理由はよくわかりませんが、元ちとせさんは もともとメッセージ性の強い曲を積極的に取り上げる傾向があるので「こういう場所だからこそこの曲を聴いてもらいたい」と思ったのかもしれません。

歌の舞台はアメリカですが、現代の日本社会に当てはめても、色々と想起されることがありますね。前回のブログでも書いたように今年は辰年です。それにちなんで上昇、飛躍を願う人も多いでしょうが、上に登ること、前進することばかりに気を取られるのは足元をすくわれる結果になりかねません。立ち止まること、後退することにも意味があることを肝に銘じて、過ごしていきたいものだと思う今日この頃です。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。