明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常228 個人的に考える「能登の魅力」(1)

こんにちは。

 

1月13日から2日間大学入学共通テストが行われます。国公立大学はもちろん、私立大学の中にもこれを利用している大学は多いので、毎年注目されるところです。皆さんの中にも、懐かしく思い出される方は多いでしょうし、月曜日以降、問題が公表されますから、「腕試し」とばかりにこれに取り組んでみる方も少なくないかもしれませんね。

でも、このテスト、能登半島にはほとんど会場がないことをご存じでしょうか。辛うじて、かほく市にある石川看護大学が会場として指定されていますが、ここでの受験者数はわずか200名程度というように、かなり小規模です。それ以外の受験生たちは、すべて鉄道やバスで金沢まで出向き、ホテル等に金曜日から2泊して、テストを受けるのです。中には、担任の教師がこれに付き添ってくるところもありますが、いずれにせよ、普段とはかなり異なる環境の中でテストを受けなければならないのです。自宅から通うことのできる受験生と比べると、かなりのハンディキャップがあるように思うのですが、どうでしょうか。

この状況は、能登半島という場所が置かれている社会的状況を象徴するひとつと言えるような気がします。しかし、過疎の象徴としてしばしば語られてきたこの地域ですが、昔からそんな場所だったわけではありません。

能登はやさしや土までも」という言葉があります。これは、元禄時代能登路をまわった武士がこの言葉の通りだったと感激し、この言葉を日記に残していますし、もっと時代を遡れば、万葉歌人の大友家持が森の美しさを歌に残しています。

そこで、今回は魅力ある場所としての能登半島について触れるとともに、地震による個別の影響について少しばかり紹介していきたいと思います。

とはいえ、能登半島は思いのほか、広いところです。金沢から輪島まで、自動車専用道路であるのと里山海道を利用して、順調に行っても約2時間、珠洲市まではそこからさらに30分あまりかかってしまうほどの広さです。そこで、金沢から反時計回りでぐるっと一周するような感じで紹介していきましょう。(ここで紹介するのはいずれも私自身が直接知っている場所に限定しています。悪しからず。)


金沢から出発して、たいていの人が最初に訪れるのが七尾市。ここでは七尾駅前から海に向かってまっすぐ伸びる600年以上の歴史を持つ一本杉商店街が観光客を集めます。レトロな街並みは、かつての繁栄を物語っていますが、ただ古いだけでなく、例えば「高澤ろうそく店」のように、和ろうそくを現代の暮らしにフィットさせるための様々な提案を行っているような店も少なくありません。ただ、今回の地震で、ほとんどの店は倒壊してしまい、復興の目途が立つのかどうかわからない状況です。

七尾市には和倉温泉という、大型の旅館が立ち並ぶ温泉街があります。とくに「加賀屋」は専門雑誌が選ぶ「おもてなし日本一」を何度も獲得している旅館として、知られていますが、ここにはちょっとした秘密があります。旅館独自の保育所を設けて、中居さんたちが自由に利用できるようにしているのです。これによって、全国から働きたいという希望が増え、そのことが従業員の質を引き上げることに繋がっているのです。ただ、問題もあります。土産店や遊戯場などを館内に充実させることによって、宿泊客は建物から外に出なくてもたっぷりと遊ぶことができるようになっているのです。そして、これを他の旅館も真似し始めた結果、温泉街を散策する人の数が減ってしまう、という大型旅館街ならではのジレンマも抱えているようです。

和倉の旅館は、現在すべて休業しています。建物の安全が確保されるまで、宿泊を再開することはできませんから、これは止むを得ないことです。しかし、コロナ禍が明けて「これから」という時期に、これは大きな痛手ですね。

和倉のほど近くにある美しい橋、のとじま大橋を渡ると能登島です。この橋ができる昭和30年代まで、この島には自動車というものが走っていなかったそうですが、現在では、「石川県立ガラス美術館」や「のとじま水族館」ができ、観光客がコンスタントに訪れるようになっています。また、現役の漁師さんが営む民宿がいくつも営業しており、新鮮な魚をウリにしています。私自身は、以前、この島では珍しいペンション、「ウインズ」さんによく宿泊していました。前出の美術館や水族館からも近く、さらに「案山子窯」という窯元(ショップを併設)も徒歩圏内だったのです。この窯元、石川県津幡町出身で、信楽で修業した山田剛氏が営んでおり、「普段使いできるけど、ちょっとだけ贅沢な気分」が味わえる魅力的な商品が並びます。我が家にはここで購入した食器が10個ほどあります。ただ、工房、ショップともに、「当面休業」だそうです。ホームページは生きていますので、興味ある方は一度そちらをご覧ください。

今回の地震により、水族館では看板であったジンベエザメ2匹が死んでしまいました。また、イルカやアザラシは近隣の福井県松島水族館に「避難」したそうです。都会の水族館のように人で溢れかえることなく、ゆっくりと鑑賞できるところだけに、復活してくれることを祈るばかりです。ガラス美術館では、展示品の3割が割れてしまったそうで、やはり休館中です。すぐ近くにはガラス工房があり、作家志望の若い人が日々修行を重ねている場所でもありますので、早く復活してくれるといいですね。

ウインズさんは、以前は地元であがった魚や能登島産の野菜、果物をふんだんに使った夕食も魅力的だったのですが、現在は、夕食は廃止して、宿泊&朝食(いわゆるB&B)の宿になっています。ここは元々例年3月までは「お休み」していますので、今年の営業がどうなるかはわかりません。

さて、能登島が浮かぶ七尾湾は、小島が点在しており、車窓からの風景は、いつまで見ていても飽きることがありません。いわゆる内浦とよばれるところで、波も穏やかで、風光明媚とはこういうことを言うのでしょう。そこをずっと進んでいくと、やがて珠洲市に入り、ひときわ大きな島が見えてきます。「見附島」。その形から通称「軍艦島」とも呼ばれます。しかし、この数年の群発地震により、次第に崩れ、今回の大地震により、決定的と言えるほど、上部から崩壊してしまいました。残念としか言えません。

ここを過ぎると、いよいよ珠洲市の中心部に入っていきますが、長くなりすぎました。この続きは、次回に回したいと思います。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。次回は、なるべく早くアップしたいと思っています。