明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常42 コロナ第5波の収束をめぐって

こんにちは。

 

昨日から、ダラキューロの注射を軸とする治療が3クール目に入りました。3週間注射治療を行って、1週間休み、というこのパターンは、とりあえず第9クールまで続くそうで、まだまだ先は長いです。ただ、今のところ経過は良好で、注射による効果は確実に出ているようです。

 

10月に入り、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置のすべてが解除されましたね。とはいえ、私たちの日常生活にすぐに大きな変化があるわけではありません。マスク着用や手洗い消毒、不要な外出の抑制等、これまでどおり注意が必要という意味で、気を抜けない日々が続くようです。

とはいえ、飲食業や観光業そして酒類販売業など、この1年半の間、先の見えないトンネルを歩き続けてきた業種にかかわる人々にとっては、一息つける瞬間でしょう。実際、旅行業者には、すでに多くのツアー予約が入っているようですし、飲食店への人出もこの週末には少し戻るでしょう。

私の場合は、服用している薬のせいで、一般の方よりも免疫力が低いまま推移しているようなので、まだしばらくは気をつけながらの生活になりそうです。免疫力というやつは、目に見えないし、自覚症状もないのが厄介ですね。それでも、秋の行楽シーズンになったら、なるべく人出の少ないところにでも出かけたいとは思っています。

それはともかく、今回コロナウイルスの第5波がなぜこれだけ急速に鎮静化しつつあるのか、その理由は必ずしも明確にはされていません。マスコミ等では、ワクチン接種がかなりのスピードで進んでいること、そして自粛生活が長く続き、人々がそれなりの工夫をするようになったこと、そして最近利用が広まりつつある抗体カクテル療法の効果などがあげられています。しかし、そのいずれも明確なデータやエビデンス(証拠)があるわけではなく、「もっと科学的な説明を」という声が上がっていることも事実です。医療関係者からも、「ここで緩めてしまうと、必ず来るであろう第6波が、もっと恐ろしい事態を引き起こす恐れがある」という指摘が多くなされているようです。

たしかに、理由がはっきりしていないのに、なんだか気持ちの悪い話です。「ウイルスというものは、これぐらいまん延すると、その後は自然に収まっていく」という説もあるようですが、これも明確に証明されているわけではありません。

そんななかで、私たちが安心できる材料を提供してもらうとすれば、それは第一に、通常の医療を妨げることなく、コロナ診療体制をさらに充実させ、同時に治療法を少しでも多く積み重ねることによって、もし感染しても、重症化するリスクを極力減らすことでしょう。経口型の治療薬の普及がこれに大きく寄与することは間違いありません。入院患者や新規感染者が減っている間に、次への備えを怠りなく進めるのは、医療現場や医学の世界だけでなく、行政や政治の力がキーになります。これは岸田新政権に早速訪れる腕の見せ所になるでしょう。(岸田氏がどのような手腕を見せるのかは、現時点では不明ですが、まあこれから次第に政策を打ち出していくのでしょうから、今のところはとりあえず期待しておきます。)

そして第二に重要なのは、ウイルス感染が増減するメカニズムを科学的に明らかにしてもらうことです。ただし、ここでひとつ留意しなくてはいけないことがあると思います。それは「科学的」という言葉の信頼度です。話はまったく違いますが、今からおよそ1900年頃アメリカではF.W.テイラーという人の提唱した「科学的管理法」が大きな注目を浴びました。これは簡単に言えば、それまで工場長の経験と勘に基づいて行われていた工場の管理を、もっと科学的に行うことによって、生産を安定的かつスピーディに行う、というものです、ただ、ここで使われる「科学的」の根幹をなすのは、作業者の動きをストップウォッチで計測する、というものでした。当時の事ですから、ストップウォッチのボタンを押すのは、それを観察する人間です。現代の目から見れば、「その程度で、どこが科学的なんだ?」ということになりますが、それ以前の管理法と比較した時、それはとても画期的なものとされたわけです。

つまり、科学は常に進歩し続けているわけですから、現代において説得力のある科学だと思えるものも、10年後、20年後にはとても妥当性を証明できるようなものではなくなっている可能性だってありうるのです。

私はもちろん「科学」を信頼するな、と言っているわけではありません。ただ、それに頼りすぎることは、ひょっとして大きな落とし穴にはまってしまう可能性を、考えておかなくてはならないと思うのです。まあ、結論的に言えば、理由の解明はもちろん進めてもらわなければいけませんが、私たちはそれに安心しきってしまったり、振り回されたりするのではなく、これまで通り自制心をもって行動する、ということを基本に生活していかなければならない、ということでしょうね。

ただし、もう少し「肩の力の抜き方」も身に着ける必要があるでしょう。例えば、人通りの少ない道を普通に歩いている時に、マスクの着用は本当に必要なのでしょうか。通行者の多いところならばもちろん必要でしょうが、ほとんど人とすれ違うこともない場所でさえマスクを着用し続けることによって、自分自身が心身ともに疲れてしまっては元も子もありません。いちいち着脱するのは面倒だ、という方もいるでしょうが、マスクに息苦しさを感じているのならば、一考しつぇもよいと思うのです。

コロナ騒動がいつまで続くのかはわかりませんが、その後も人体に深刻な影響を及ぼすようなウイルスはまた必ず流行します。そんな時、いちいち過剰に反応していたら、体がいくつあっても足りません。withコロナの時代というものを生きていくには、それなりの工夫が必要なのです。

 

今日も最後まで読んだくださり、ありがとうございました。