明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常214 ヒマラヤスギに思いを寄せて 

 

こんにちは。

 

すっかり季節が入れ替わったので、先日久しぶりに、京都府立植物園に行ってきました。

訪れたのは10月初旬だったのですがコスモスは早くも見ごろを迎えつつありました。バラはこれからかなあ等と思いながら歩いていると、目に留まったのが、巨大なヒマラヤスギです。

京都府立植物園の象徴的存在


この木は樹齢約110年と言われており、高さは20メートル、幹の太さは4.2メートルで、周囲を見下ろすかのように、威風堂々とした、そして悠然とした姿を見せてくれています。

その姿に畏敬の念を抱く人が多かったからでしょうか、古代インドでは賢者がヒマラヤスギの森に好んで住み、シヴァ神に祈りを捧げ、厳しい精神修行を積んでいたそうです。また、ヒンドゥ教では神聖な浄化の木とされており、古い伝説にもしばしば登場します。さらに、ケルトの人々の間では道徳、長寿、保護の象徴として大切にされています。なお、パキスタンはこの木を「国の木」と定めています。

このように、世界各地で信仰の対象と結びつけられている木ですが、実はマツ科で、その名の通り元々はヒマラヤ地方のさほど標高の高くないところに植生しているようです。そして、日本でも明治初期に横浜に住むイギリス人がインドから種子を取り寄せて以来、その栽培が広がり、今では各地の公園等でごく普通に見ることができるほどになっています。それでも、その堂々とした姿には変わりありません。

実は、私が小学生の頃に住んでいた家のすぐそばにも高さ10メートルを超えるヒマラヤスギがありました。枝が張り出してくると、電線とからまってしまわないように、電力会社の人が高いところにのぼって、枝の切り落とし作業をしていたことを思い出します。また、夏場にはここに数十匹、いや百匹を越えるセミが張り付いて大合唱をするものですから、毎朝それが目覚まし時計がわりになっていたものです。

個人的思い出はともかくとして、百年以上もしっかりと根を張り、今も私達を見下ろしている姿を眺めていると、人間という存在がなんだかとても小さなものに思えてきます。ずっと同じ場所で生き続けるこの大木は、人間社会のゴタゴタをどんな気持ちで眺めているのでしょうか。それとも何にも惑わされることなく、今日も明日も、超然とした姿を私達に見せつけているのでしょうか。

 

さて、私の方は、先日虫歯を一本抜いてきました。以前にも書きましたように、どうも骨の状況に不安を覚えていたもので、骨粗しょう症等にも使われる骨を強化する薬、つまり骨密度を向上させる薬を使おう、ということになったのですが、これを使用するには、歯の状態がある程度良くないと駄目なようです。というのも、歯の状態が悪いと、あごの骨に刺激がかかりすぎ、「顎骨骨髄炎」や「顎骨壊死」といった事態を引き起こすリスクが高いのです。

そんなわけで、まずは歯の治療に専念してください、とのことで、詰め物が取れたまま3年以上放置していた歯を抜いてしまうことになったのです。歯科治療はずいぶん久しぶりだったので、若干緊張はしましたが、抜歯そのものは10分ほどで終わり、さほど出血もしませんでした。今はもう、うずき等もなく、まったくの平常に戻っています。ただ、なんとなく気にはなるので、食事の際には、抜いたほうではない左側の歯を使うことが多くなっているのですが、仕方ないですよね。まあ、だんだん慣れるでしょう。

なお、私は血液内科の主治医からの紹介ということで、いつも通院している総合病院の歯科・口腔外科で受診しましたが、さすがに最新の機器が揃っており、歯科医や歯科衛生士の方の腕もたしかで、快適、とまでは言いませんが、非常にストレスの少ない治療を受けることができました。ただ、こうした総合病院の歯科は町で開業している歯科医院とは異なり、いきなり訪れても、治療もクリーニングもしてくれません。あくまで、他の診療科での治療と関連する場合にのみ、受け入れてくれるようです。そのため、比較的空いていて、待ち時間が少ないのも、ストレスが少ない要因かもしれません。

 

今回は何だか取りとめのない話になってしまいましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。