明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常176 奈良のシカを見て思うこと

こんにちは。

 

まずは少しだけ前回の補足です。

佐野史郎さんは、医師から多発性骨髄腫の罹患を告げられてから約2年。現在は経過観察期間となっており、治療はとくに行っていないようです。ただ、この病気は、ある程度時間が経過すると、再びがん細胞が活性化してしまうことを、現在の医療ではどうしても防ぐことができないようです。つまり、完全な治癒というものは望むことができず、また色々な治療が必要になるのです。私も、退院から2年と少しの間はほとんど治療らしきことはせず、2か月に1回、病院で検査を受けるだけの日々が続いていたのですが、やがて再び薬剤による治療が必要になり、現在に至っています。

とは言っても、他のがんに比べて比較的進行がゆっくりであることもあり、定期的な通院による注射や点滴、そして日常的な飲み薬の使用だけで、対応は可能です。つまり、入院して大掛かりな治療を受ける必要は、少なくとも、当面はないようです。もちろん、患者それぞれによって病気の進行具合は異なりますので、一概には言えない部分もありますが、日常生活に大きな支障が出て、あるいはあっという間に・・・ということは、あまりないようです。ですから、この病気とうまく折り合いをつけながら「共生」していくことができれば、おそらく佐野さんが映画や舞台で素晴らしい演技を見せてくれることは、そんなに遠くない将来に、十分期待していいのだろうと思います。「がんとともに生きる」ということこそが、この病気の患者に課せられた生活スタイルなのです。

 

さて、今回は数週間前に訪れた奈良で感じたことを少し書きます。

奈良といえば、自由に公園を闊歩するシカの姿を想い浮かべる方も多いでしょう。東大寺興福寺に隣接する奈良公園だけでなく、春日大社やその付近の山、さらには街中の商店の軒先でも、たくさんのシカと遭遇することができます。彼らはすべて野生で、人間に飼われているわけではありません。そして総数は約3000頭とも言われています。奈良公園では、有名な「鹿せんべい」を売っていて、観光客に人気ですね。外国人観光客の中には、奈良を訪れる主な目的がシカと触れ合うことで、駅前で「どこに行けばシカを見られるのか」と尋ねている人もいました。ただ、このシカ達、食べ物に関してはとても貪欲で、鹿せんべいをもっていると、ものすごい勢いで寄ってきて、時として凶暴になるので、気をつけなくてはいけません。私の知人で、奈良公園のベンチに弁当を置いておいたら、シカに食べられてしまった人も複数います。

奈良のシカが何故こんなに人間をまったく怖がらず、我が物顔で振舞っているのか。それは、彼らが国の天然記念物として保護されている上に、街の人が「神の使者」として、その姿を誇りに思い、傷つけないようにしているからです。そして、彼らは柵の中で飼われているのではなく、野生動物として生きているからこそ、大きな価値があるのです。

奈良の街でシカが大切にされてきた歴史は奈良時代にまでさかのぼります。江戸時代には、シカを殺すことは大罪として極刑に処せられたそうです。そのため、例えば朝自宅の前でシカが死んでいると、疑われないようにするために、あわてて隣の家の前に死骸を運んだ、などという逸話があるぐらいです。ただ実際には、田畑を荒らす害獣としての側面をもつシカを、ある程度は駆除することが、暗に許されていたようです。まあ、いずれにせよ、人とシカの共生は、奈良という街の秩序を保っていくうえで、とても大事なことだったのです。

そして今では、貴重な観光資源としての側面がより大きくクローズアップされています。たくさんのシカを見ることができる場所は、広島県の宮島(厳島神社)や茨城県鹿島神宮などにもありますが、奈良ほど人間の生活エリアに野生のシカが自然な形で入り込んでいる地域は、世界中を探しても珍しいでしょう。

奈良は、古い都で多くの貴重な歴史遺産が現存しているとはいえ、同じような性格を持つ京都と比べると、どうしても地味な印象がつきまとっているのが現状です。しかし、シカの例に見られるように、他のどこにもない、そして簡単には真似のできないような特徴を持っていることも事実です。もちろん、シカだけに依存することは少々「はしたない」と思いますが、こうした特徴を街の活性化に活かしていく姿勢は、とても重要です。もちろん、その際には田畑を荒らすという農業被害に関しては十分に配慮し、地元の人たちのすべてが納得でき、便益を享受できるような方向で施策を考えていかなければならないことは、言うまでもありません。

日本中、いや世界中どの地域にもその土地特有の文化や自然はあります。また、歴史が積み上げてきた独特の雰囲気もあるはずです。観光を街おこしのメインに据え、依存しすぎることが危険であることは、コロナ禍の経験で証明されていますが、「どこにもないもの」をきちんと」アピールしていけば、浮き沈みのさほど激しくない安定した観光産業を確立していくことはできるのではないでしょうか。

 

春日大社のシカと燈籠

こちらは、巨大なシカの像とともに(春日大社




今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。