明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常177 ウクライナ・・・

こんにちは。

 

2月24日で、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってからちょうど一年が経ちます。しかし、依然としてその終結の兆しは見えてこないようです。日本での報道に接していると、ロシア、ウクライナ双方ともが有利な状況、不利な状況色々と抱えているようですが、はっきりしているのは、兵士、一般市民合わせて両国の死者数が既に数十万人にも達しているらしい、ということです。とくに、今年に入ってから死者数が急増しており、現場での疲弊感は相当なものになっているようです。まさに、泥沼化の様相を呈していると言えるでしょう。

 戦争(ロシア側はこの侵攻を「戦争」という言葉を使って表現することを極力避けているようですが)が長期化すると、当初の思惑やそれまでの歴史的経緯に対する考え方などの相違は増幅してしまいます。そしてそれは、互いに憎しみ合う感情をどんどん増大させてしまうのです。

ウクライナの国民の中には「戦争が終わるだけでは不十分だ。ロシアを叩き潰さなくてはならない。」という声もあがっているようです。また、ウクライナ中央銀行はこのたび新紙幣を発行したのですが、そこには兵士の姿があしらわれ、裏面には「忘れない! 許さない!絶対に!」と記され、縛られた両手の絵が描かれているそうです。一国の紙幣で、これだけ明確な他国への憎悪感をむき出しにすることは大変珍しく、ロシアの非道な行為に対するウクライナの人々のストレートな感情がよく伝わってくるものではあるのですが、他方で、どんどん先鋭化していく思考に少し戦慄を覚えてしまうのが、私の正直な感想です。

他方で、ロシアのプーチン大統領は、なかなか思うようにならない戦況にいらだちを隠せないようで、しばしば核兵器の使用についての言及を行っています。この国の場合、一般市民のナマの声はなかなか聞こえてきませんが、現に多くの兵士が命を落としている状況に、焦りや苛立ちを感じている人は少なくないだろうと思います。(どこまで正しく戦況が伝えられているのかは不明ですが)そんななかで、「戦争はもうやめてほしい」と考える人と、「こうなったらウクライナを完全に滅ぼすまで、やめることはできない」と考える人の両方が出てきて、市民感情はかなり危ういものになってくると想像できるのです。

いったんあげた拳(こぶし)を下ろすことは、とても勇気のいることかもしれません。しかし、本当に一人一人の市民たちのことを考えるのならば、その勇気を持つことこそが施政者のなすべきことと私は考えます。これまでに失われた数十万人の命は、ただの数字ではありません。その人の人生、家族や知人・友人の生活を大きく変えてしまうことの重大さを想像することができないのであれば、その国のリーダーとしての資質が問われても仕方ないでしょう。

「人の命こそもっとも大切だ。」 こんな当たり前のことが通用しなくなるのが戦争の恐ろしさであり、だからこそシンプルな「戦争反対」というなんだか平和ボケのようにも聞こえてしまうスローガンが、実はものすごく大きな意味を持っているのです。

人の命より大事な国の威信など、あってはならないと考えるのは、果たして非現実的な極論、暴論なのでしょうか。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。