明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常206 花火と大文字

こんにちは。

 

8月16日から20日まで、予定通り、新しい治療への移行のための短期入院していたため、投稿が遅くなってしまいました。短い期間とはいえ、入院という非日常の中で色々と感じたこともあったのですが、それは、次回に譲るとして、今回は、夏の風物詩のひとつである花火についてです。

私が居住する関西にも、全国的に知られるような花火大会はいくつかあります。ひとつは、今年から専ら有料観覧者だけを不当とも言えるほど優遇し、「地元市民をないがしろにした愚行」と報道されてしまった琵琶湖花火大会。そしてもうひとつは、一時は全国でもっとも大規模だと言われていた大阪府富田林市のPL花火大会です。これは、名前からもわかる通りPL(パーフェクト・リバティ)教団が主催するもので、正式名称は「教祖祭PL花火芸術」。つまり、同教団のれっきとした宗教行事です。ただ、2020年以降、この花火はずっと中止されたままです。教団関係者だけでなく、一般市民にも非常に人気のある行事なのですが、コロナ禍における「三密状態」回避のための措置とされているようです。

ところが、関西でももっとも観光集客を見込むことのできる京都には、いわゆる花火大会はありません。何故なのか、幼いころの私は「京都でも派手な花火をやればいいのに」と思いながら、他の地域の花火大会をうらやましく思っていたものです。

後から知ったことなのですが、実はこのことは京都の夏の行事と言えば祇園祭とともに思い起こす人が多い大文字(五山)の送り火と少し関連しているのです。

大文字送り火。地元の人間は単に「大文字」とか「送り火」と呼ぶことが多いようです。間違っても「大文字焼き」とは言いません。地元民の前でそんな言い間違いをしたら、冷たい目を向けられてしまいますので、ご用心ください。ちなみに、先日祇園祭のテレビ中継をしていたとき、ゲストが山鉾巡行(やまほこじゅんこう)のことを「やまぼこじゅんぎょう」と読み違えていました。これも祭に関わる人から見れば、とんでもない冒涜になるのです。

さて、このように京都市民にとって誇りのひとつとなっている大文字の送り火ですが、実はその起源は必ずしもはっきりしていません。一説には平安時代から既に行われていたそうですが、現在のような形に落ち着いたのはおそらく江戸時代のことです。そして一時は、「十山」の送り火になるほど盛り上がったようです。つまり、それぞれの山里や関連する寺院が競い合うように、送り火を行っていたのですが、こうした伝統行事を維持していくのはやはり大変なことで、結局今の五山、つまり「大文字」「妙・法」「舟形」「左大文字」「鳥居形」に落ち着いているのです。

送り火」という名前から容易に想像できると思いますが、これは本来お盆に帰ってきていた霊が再び旅立つのを送る、という意味が込められています。つまり、お盆の終わりを静かに感じる神聖なものであり、観光的なものではありません。しかし、夜空に浮かぶ「大」の字の美しさは多くの人を魅了してきましたし、そこに非宗教的な側面が付け加えられていったのも当然だったかもしれません。

 

大文字が派手な観光行事になったのは最近になってからのことではありません。第二次大戦後の京都では、戻ってきた平和を噛みしめ、あるいは祝うような風潮の中で、大文字という行事も少し様相が変わったようです。

しかし、ここに大きな事件が起きてしまいます。1949(昭和24)年、8月16日、例年通りに送り火が行われ、それが終了した夜半、京都御所の一角で火災が発生したのです。原因は、当日鴨川河川敷で行われた花火大会で打ち上げられた落下傘型花火で、結局小御所という建物が全焼してしまったのです。この花火大会を主催していた新聞社は当日の風向きなどから「花火原因説」を強く否定したのですが、京都市消防局は結局出火の原因をこの花火にあると結論付けています。

この小御所という建物、作られたのは1855年ですから、古い建造物の多い京都では、さほど古いものとは言えなかったかもしれません。しかし幕末の1868年に行われたいわゆる「小御所会議」が行われた場所として知られています。これは、既に大政奉還していた徳川家の処分を決定した会議でいわば将軍家としての徳川家の命脈を完全に絶った、歴史上のターニング・ポイントとも言えるものだったのです。(なお、この会議には徳川家最後の将軍であった慶喜は列席を許されず、いわば欠席裁判のようなものになってしまったことは、付記しておかなければならないでしょう。)

この「貴重な歴史的価値のある建物の焼失」に加え、そもそも「大文字というきわめて宗教的な意味の高い行事の当日に花火大会を開催するなどとは何事だ」という批判も噴出しこれを契機に、京都市内で延焼が広がる可能性のある花火大会は行われなくなったのです。ちなみにそれまで鴨川周辺では他にも花火大会が行われており、それが原因で繁華街である木屋町付近が火災に遭うという被害も出ていたそうです。しかし御所での火災というのはやはり決定的だったわけですね。

現在は、条例によって京都市内の加茂川、高野川、鴨川の流域や公園、広場等での打ち上げ花火は禁止されています。もちろん京都市全域が禁止の対象であるわけではありませんが、リスクの大きい行事を行おうとする企業等はいない、ということですね。

これが、私が幼かったころに抱いた疑問の答えだったのです。

 

今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。