明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常197 メメント・モリ

こんにちは。

 

先日のニュースによると、中国では爆発的な勢いで、新型コロナの感染者数が増大しているそうです。先月初めには、一日あたりの新規感染者数が約18万人だったのが、それからわずか2週間ほどの間に約2倍の36万人にまで増えてしまったのです。その後先月末には約29万人にまで減っているそうですが、それでも相変わらず高水準であることには変わりありません。この件については、原因ははっきりしていませんし、不安感を煽るようなことはしたくありませんが、改めて、このウイルスの感染力の強さを思い知らされる次第です。街中でのマスク着用や店舗等での検温、消毒は随分緩和されていますが、自衛のためには、時と場合に応じて、慎重な自己判断が必要になるのは明らかですね。

 

ところで、「メメント・モリ(memento mori)」という言葉をご存じでしょうか。これは中世からヨーロッパに伝わるラテン語の格言で、mementoとは現代英語のmemory、moriはmortalの語源となる言葉です。つまり、これを日本語に訳せば「死を想え」「必ず死ぬことを忘れるな」というような意味になります。私がこの言葉を最初に知ったのは、今から10年ほど前、写真家藤原新也氏の本のタイトルでした。藤原氏は世界各地を旅しながら、その地に溢れている「剝き出しの死」を真正面から見つめます。そしてそのことを通じて、現在「生きている」ことの意味を感じ取ろうとしています。彼の言葉を借りれば「本当の死が見えないと本当の生も生きられない」のです。

この哲学的な言葉は、さまざまに解釈され、死生観というよりは、「今生きることの意味」を見出すための指標として、しばしば用いられます。

例えば、スティーブ・ジョブズは次のように言っています。

「人生を左右する分かれ道を選択するとき、もっとも頼りになるのは、自分がいつかは死ぬ身だと知っていることだ。周囲の期待、プライド、失敗の恐怖など、ほとんどのことは、死に直面すると、どこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからだ。」

ミスチル(ミスター・チルドレン)の櫻井和寿さんは自作の「花:Memento Mori」という曲の歌詞に次のような言葉を紡いでいます。

「負けないように 枯れないように 笑って咲く 花になろう

ふと自分に 迷うときは 風を集めて 空に放つよ 今」

 

形あるものは、いつかは必ず壊れてしまいます。そして、それは人間を含めたあらゆる生物も例外ではない、ということは、誰もが頭では理解しているはずです。永遠の命などというものを追い求める人がいるとしたら、それはとてつもなく滑稽なことですし、万が一にもそんなことが実現してしまったら、それはその人にとって決して幸せをもたらすことはないでしょう。

メメント・モリという言葉は、あくまで「自分自身の死」についての格言です。ただ、私たちは、普段日常生活を送る中で、このことを忘れてしまいがちです。つまり「昨日と同じように訪れる今日」を当たり前のことのように感じてしまい、その大切さをことさらに意識しなくなってしまいます。そして「死」というものを意識させられるのは、しばしば自分以外の誰かの死の瞬間ということになります。

身近な人が逝ってしまったとき、そのことに悲しみを覚えるのは当然です。しかし、ただ悲しむだけではなく、自分に「生と死」について見つめ直すきっかけを与えてくれた故人に感謝しながら、別れを告げるということも大事なのかもしれませんね。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。