こんにちは。
最近街を歩いていると、本当に人が増えたなあ、と感じます。そんな中でも気を付けなければいけないことはこれまでと基本的には変化していないわけで、マスクやうがい、そして手の消毒等はもうすっかり当たり前のことになってしまいました。飲食店等の対応も変わっていません。こういう状況って、もう解消されることはないのでしょうか。やはり、一日も早く特効薬が普及するようになることを祈りながら、私も少しずつ外出の機会を増やしています。
さて、そんなわけで先日は、京都市の京セラ美術館で開催されているアンディ・ウォーホル展に出かけてきました。ウォーホルと言えばマリリン・モンローの肖像画やスープ缶の絵などが有名ですね。その作風から、出かける前は「気楽に鑑賞できるだろう」と軽く考えていたのですが、まとめて彼の作品を鑑賞すると、そんなに簡単なものではないことがよくわかる、大変興味深い展覧会でした。
会場はスマホでの撮影がすべてOKでしたので、私まずは、自身あまり見たことのない作品をいくつかここに紹介しておきます。
彼は1950年代から活動を始め、主に商業デザインやポップ・アートの分野でおびただしい作品群を発表し、常に鮮烈な印象を与え続けた人ですが、結局彼がこだわり続けたのは「ポップ(ポピュラー)であること」だったようです。
第二次大戦後のアメリカ社会は、大衆消費社会の本格的な発展を経験した時代であると同時に、ベトナム戦争への反戦運動、公民権運動などの盛り上がりによって、既存の価値観に対する反発、新たな文化や思想の模索が進んだ時代です。ウォーホルの場合、ポップ・アートの旗手として注目され始めた1960年代初めからの作品は、こうした時代を如実に反映したものでした。それらは時に時代の先端を切り裂いていくような荒々しさを含みながらも、あくまでポップであり続けたのです。それは、大衆に対して迎合的であることとはまったく違います。彼の作品の中にはそうした「時代におもねる」ような雰囲気は一切ありません。ポップであることをどこまでも肯定的に捉え、それこそが新たな時代を作り出すものであると信じていたようです。そして何よりも重要なのは、作品をポップにすることよりも、自分自身が世界でもっともポップな存在になることをめざしていたのです。写真や音楽、演劇その他にも進出していった彼ですが、すべての活動を通じて「アンディ・ウォーホル」というブランドの価値を高めていったのです。
「もしアンディ・ウォーホルのすべてを知りたいのならば、私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、そこに私はいます。裏側には何もありません。」
彼はこんな言葉を残しています。作品の意味を深読みしようとする評論家たちに対する痛烈な皮肉でしょう。そして、大衆に受け入れられることへの強烈な自負がここに現れているように思うのです。
もちろん、彼の手掛けたものがすべて多くの人々から受け入れられたわけではありません。例えば、自らプロデュースすることを決め、アルバムのジャケット・デザインを手掛けたロック・バンド、ヴェルベット・アンダーグラウンドは、より多くの人気を得るために、メンバー達の戸惑いを無視して、リード・ヴォーカルに当時自分のお気に入りだったモデル、ニコを加入させて、大々的に売り出したにもかかわらず、売り上げは芳しくなく、5年間で3万枚程度しか売れなかったそうです。(ただし、このアルバムは今ではロック史に残る名作として、ややマニアックながら大きな評価を得るようになっています。)
もうひとつ指摘しておかなければならないのが、大衆消費社会における文化・芸術についてです。消費社会というと次から次へとさまざまなものを手に入れ、それをどんどん消耗させていくというようなイメージがあります。悪い言葉を使うならば「使い捨て文化」です。しかし、ウォーホルは、おそらく作品にパワーがあれば、そうやって捨てられてしまうことはない、と考えていたようです。私達は、好むと好まざるとにかかわらず、消費社会で生きています。「モノを大事にしよう」と思っていても、結局のところ、ある程度はモノを購入しては消耗し・・・という繰り返しをしながら、日々生活しています。しかし、そんななかでもずっと生き残っていく商品や文化はたくさんあるのです。そして、そうした繰り返しの中から新たな考え方が生まれてくるのです。
おそらく、彼ほど消費社会というものを冷静に見つめていた人はいなかったのではないか、と思えてきます。
最後に、もうひとつ彼が残した言葉を紹介しておきます。
「誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう。」
これってインターネットが普及する時代を予見していたということになるのではないでしょうか。
上に書いたことは、アートの歴史等にはまったく詳しくない私の勝手な解釈です。専門家から見ればとんだ見当違いをしているかもしれませんが、悪しからずご了承ください。
今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。