明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常149 国宝松江城

こんにちは。

 

全国旅行支援キャンペーンが始まったこともあり、観光に出かける人が随分多くなってきました。そういう私も先日、山陰地方に出かけてきました。今回のキャンペーン、大変な人気のようで、あっという間に「売り切れ」状態になってしまった地域もあるようですが、私の場合は、開始が発表される前から計画し、ホテルも予約していたので、何の問題もなく割引き等の適用を受けることができ、結果的に非常にラッキーでした。(地域や担当旅行会社によって、事前に申し込んでいた人の扱いが異なるようで、かなり混乱しているという話も聞いています。こういうものは、なるべくシンプルな手続きにしてほしいものですね。)

実は、山陰地方を旅行したのは初めてだったもので、訪れたのはいずれも大変ベタな有名観光地ばかりでしたが、大変興味深く、刺激的な3日間でした。

 

まずは松江城。ここは「国宝5城」と呼ばれるもののひとつで、その美しい天守閣は全国の城マニアを魅了しています。ちなみに、他の4つは、彦根城松本城、姫路城、犬山城ですね。しかし、松江の場合、第二次大戦前の1930年に国宝保存法によって国宝に指定されていたにもかかわらず、戦後1950年に新たに施行された文化財保護法の下で、重要文化財に「格下げ」されてしまっていたのです。その主な理由は「建てられた時期が明確でない」というものだったそうですが、おそらく松江市民や島根県民にとっては釈然としないところがあったものと思われます。

私のように関西に住む人間にとっては、国宝という存在はさほど珍しいものではありません。例えば法隆寺には境内に建築物、彫刻物合わせて35件もの国宝があります。ですから、正直なところ、国宝や重要文化財といったブランドそのものに価値や希少性を見出すことはさほどないのです。

しかし、城の天守閣となると若干話が違ってきます。それは何と言っても町のシンボル的存在であり、いつも市民の生活を見下ろしているものです。おそらく松江市に住んでおられる方にとって、松江城という存在は、幼いころから毎日見上げるように眺めてきた特別の存在であり、それが「格下げされた」という苦い歴史を持つことは、まるで自分たち自身の歴史を汚されたような嫌な気分になったであろうことは、容易に想像できます。

威風堂々とはこういうことを言うのでしょうか

天守閣のそばから松江市街を眺める。虹が出てますね。



そんな歴史を持つこの城ですが、国宝として再指定されたのは2015年。天守の完成時期を示す新たな証拠資料が発見されたことによります。現在では、この城の天守閣の完成は1611年であったことが公式に確認されているのです。この国宝指定は、2007年に世界遺産として新たに登録された石見銀山遺跡とともに、島根県の新たな観光資源として大いに期待されることはもちろんですが、島根県自体が「復権」を果たしたかのような気持ちに沸き立った地元の盛り上がりは、相当なものだったでしょう。ちなみに、現在でも最寄りのバス停名は「国宝松江城・県庁前」となっています。多分、バス停の正式名称に「国宝」という文字が入っている所はそんなに多くないのでは?と思うと、よそ者としては、地元の方には大変失礼ながら、少し笑ってしまいます。

なお、一度指定された国宝がその指定を取り消された例は、ないわけではありません。ただ、それらは、例えば京都の金閣寺のように、火災による焼失など、物理的にその存在がなくなってしまったことによることがほとんどであり、松江城のような例は、他にはないようです。

 

さて、国宝指定にまつわることばかりを書いてきましたが、実際にこの城を訪れてみると、その規模の大きさ、敷地の広さに驚かされます。広さは現存天守閣の中で第2位、高さは第3位だそうですから、まさに威風堂々という感じです。また、内濠、外濠(総称して堀川と言うようです)を巡る遊覧船は、船頭さんの説明を聞きながら一周45分程度のコースで、城だけではなく、街並みをゆっくりと見て回れうことができるため、高い人気を得ています。多くの城下町で、濠の大半は埋め立てられて道路になってしまっているなかで、、遊覧船が通れるほどにきちんと残され、整備されていることからも、この城がいかに市民にとって大切なものであるのかがよくわかります。また、松江は京都、金沢と並んで和菓子の生産・消費量の多い町として知られていますが、これも藩政時代からの伝統が息づいている証拠と言えるでしょう。

国宝に再指定されたことは、もちろん誇らしいことだったでしょう。しかし、それ以前からずっと、地元の象徴的存在として、また文化の発信地として大切にされてきたことにこそ、この城の本当の価値があるように私は思います。外部の誰かがブランディングや権威づけをしたものではなく、自分たち自身でその価値を見出し、高めていくこと、それこそが今多くの観光地に求められていることではないでしょうか。最近、世界遺産登録をめぐって、各地でしばしば混乱や狂騒が起きていることを見聞きすると、ますますそんな気持ちが強くなってくるのです。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

次回も引き続き山陰旅行編の予定です。