明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常208 ス―パームーン

こんにちは。

 

ある日の眼科健診での視力検査にて。

技師の方「これは?」

私「上」

技師の方「これは?」

私「下」

技師の方「はい。ではこれは?」

私「横・・・」

技師の方「(笑いながら)まあ、合ってはいますけどね」

・・・失礼しました。「右」です。自分でも自分の口から出た言葉にびっくりしてしまいました。よほど、ぼんやりしていたんでしょうね。

 

前回、病院食のことを話題にしましたが、それを読んでくださった方が、「自分の時はこんな食事だった」と写真を送ってくださいました。見ると、ボリュームたっぷりで、美味しそう。純粋にうらやましく思った次第です。

誤解のないように再度書いておきますが、私は味付けやメニューそのものに大きな不満があったわけではありません。ただ、彩や盛り付けに、もう少し工夫があっても良いのではないか、と思った次第です。

入院患者にとって、食事は治療の一環であると同時に、一日に三回訪れる、数少ないお楽しみイベントなのです。それが少しでも盛り上がれば、入院生活もちょっとは楽しくなるきっかけになるのではないか・・・と思うのですが、どうでしょうか。「食べる」ことは充実した生活をおくるうえで、もっとも大事な要素のひとつですよね。

 

さて、8月31日はスーパームーンの日でした。といっても、これは天文学用語ではありません。もともと占星術等で使われていた言葉なのですが、今ではアメリカのNASA(航空宇宙局)が「地球と月の距離が近い時に満月になると、平均的な満月よりも大きく、そして明るく見える月のこと」というように定義して、一定のお墨付きを与えています。そして地球と月の距離についてですが、明文化はされていませんが、およそ36万km以内という扱いになっているようです。ちなみに、この距離がもっとも近くなった場合は、もっとも遠くなった時と比べて30%も明るく見えるとのことですから、夜空を映すその存在感は相当のものですね。

 

こんな明るい月を眺めていると、何だか怪しい気分になってくるものです。古来、月というものがどのように考えられ、その存在が人間社会に影響を及ぼしてきたのかについては、このブログの第40回(2021年9月24日)にも書きましたが、要するに、昼間餐々と輝く太陽との対比で、夜空ではそれなりに明るいものの、全天を照らすほどではなく、しかも一定期間のうちに満ち欠けを繰り返す、という不思議さから、「人間の精神を錯乱させる怪しげなもの」として畏怖の念をもって見られてきたということのようです。古くは、新約聖書の中に、自身の精神状態を月の満ち欠けになぞらえてしまい、6年もの間苦悩に満ちた日々を送った人の話が出てきます。

月を巡っては、近現代の芸術作品やポップ・ミュージックの中でもさまざまに扱われてきました。例えば、フランスの近代作曲家フォーレの歌曲に「月の光」という作品がありますが、これはヴェルレーヌの以下のような詩に曲をつけたものです。

短調の調べにのせて歌う

 愛の勝利と心地よい人生を

 でも幸せを信じていないようで

 彼らの歌は月の光に溶け込む」(一部抜粋)

ここで「彼等」とは仮面をつけて幻想的な変装で歩く踊り子のことで、その姿にヴェルレーヌは物悲しさを感じたのです。

同じくフランスを代表する近代の作曲家ドビュッシーにも「月の光」という曲があります。こちらはピアノ独奏曲として大変有名なので、どなたでも聴いたことはあると思いますが、これもまた、ヴェルレーヌの詩に着想を得て、つくられたものだそうです。明るさと、それとは裏腹の物悲しさ。これこそ、古代より人々が月に抱いてきた感情ということができるのでしょう。

時は変わって1970年代、イギリスのプログレッシブ・ロックを牽引したピンク・フロイドというグループがいました。彼らが1973年に発表した「The Dark Side of the Moon」は、全世界で5000万枚を売り上げるという空前絶後の大ヒットとなるのですが、その邦題はズバリ「狂気」。月の裏側というものは、月の公転と自転のスピードの関係で、地球上からではほぼ観察できないのですが、それだけに、怪しさ全開の月の中でも、とくに「よくわからないもの」として見られてきたのです。このアルバムは全体がひとつの物語となっているのですが、そのストーリー全体の主人公の誕生から苦悩と葛藤に満ちた人生を送り、ついには狂気の人となってしまうことを描いています。月の裏側は、まさに「畏れ多い月」の究極の姿なのかもしれません。ただ、このアルバムでは、その最後に、次のようなナレーションが入ります。

「本当は、月の裏側(暗い側)なんてものは存在しない。実のところ、この世のすべてが闇そのものだからだ。」

結局、ここでも月というものの姿に人間の生活を重ね合わせているのですね。

もちろん、月を見て何を感じるかは人それぞれですし、「きれいだなあ。月見団子でも食べようか。」と楽観的にお月見をするのも、悪くありません。ただ、スーパームーンのように、その存在感のアピールが大きければ大きいほど、私達の想像力はさまざまに広がっていくような気がします。

下の写真は、8月31日の深夜、つまり9月1日の未明に撮ったものです。本当は、一日前が満月だったのですが、これでも十分に明るいですよね。

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。