明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常66 12月8日に思うこと

こんにちは。

 

このブログを書いているのは12月8日。私は、昔からこの日にある種特別な思いを抱いています。

ひとつは、言うまでもなくこの日が太平洋戦争の始まった日であるということです。今年は開戦からちょうど80年になるんですね。そしてもうひとつは、ジョン・レノンが凶弾に倒れた日であるということ。これは1980年のことなので、今から41年前ということになりなす。

私は、ここで第二次世界大戦や太平洋戦争の詳細について色々と論じようとは思いません。おそらく、今日のテレビでは色々と論評があるかもしれませんので、そちらに任せます。ただ、結果として、あの戦争によって非常に多くの人が傷つき、あるいは犠牲になったことこそがもっとも重要なことであり、決して忘れてはならないことだ、ということは強く主張されなければなりません。以前、瀬戸内海にある、いわゆる人間魚雷の基地になっていたところ(現在は資料館)を見学したことがありますが、ビデオで見た「これから死にに行く」という前提で出撃を待っていた若者達の証言は、本当に重いものでした。「人間に、あんな思いをさせるようなことがあってはならない。」そんなものすごく単純な感想しか、自分の頭には浮かばなかったものです。

戦争はいつも、一見するとある国にとって合理的な選択であるかのように判断され、喧伝されることによって、始まってしまいます。もちろん、歴史的に見れば、開戦の直接のきっかけがかなり偶発的なものであったような戦争もあることは確かですが、それでも「戦争をし続ける」という判断がなされたのには、それなりの理由がある、と信じられたからです。このところが大変厄介なのです。単に喧嘩っ早い政治家や軍人が先走ってしまったという話なら、「落ち着け」と言うことができます。しかし、そこにもっともらしい理屈が入ってきてしまうと、世間の風潮は次第にそちらに流されてしまうことがある。しかし、当初合理的であるかのように思われたことが、実はそうではないと人々が気づきはじめた時、既にそれは誰にも止められないような事態へと急速に転がっており、そして何よりも、多くの人が傷ついてしまっているのです。

だからこそ、非常にシンプルな言葉で「戦争は嫌だ」と主張しなければならない、と言い続ける必要がある、と私は思っています。戦争や平和について論じることにはもちろん意味があります。しかし、この「一見すると合理的である」ような理屈や理論には、十分注意しなければならないのです。

他方でジョン・レノンです。この人は、ビートルズの中でももっとも芸術家肌で、一歩間違うとどんどん変な方向に走っていくような、ちょっと危ない人だったような印象を私は持っています。こういう人が身近にいても、あまり友達にはなりたくないタイプですね。もちろん他方で、大変シンプルなロックンロールにあこがれ、そういった楽曲をいくつも書いていますので、そう単純には言えないかもしれませんが。

それはともかくとして、彼の代表作としてしばしばあげられる曲「愛こそはすべて(All You Need is Love)」や「イマジン(Imagine)」の歌詞を見ると、ものすごく単純で、しかし、だからこそ説得力のある言葉だということがよくわかります。こんなにストレートに愛や平和を訴えることができた人が他にいただろうか。そう思うと、彼がいかに偉大な存在であったのか、しみじみと理解できるような気がします。

彼が亡くなったのは、ミュージシャンとしての長いブランクの後、「Starting Over」という曲で再スタートを切った矢先でした。なんとも皮肉な人生としか言いようがありません。しかし、彼の作った曲は今でも世界中で愛され続けています。9.11の直後、アメリカでは「Imagine」を放送で流すことが禁止されたそうですが、それはすぐに「とんでもないことだ」という批判を浴びました。当然だと思います。しかし裏を返せば、彼のメッセージがそれだけ強い力をもっているということを、施政者が認めていたということなのでしょう。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。