こんにちは。
やっと秋らしい気候になってきましたね。日中はまだ30℃を越えることもありますが、朝晩は随分過ごしやすくなりました。ただ気になるのは、今年は何だか秋の虫が少ないような気がしてならないことです。もちろん姿はほとんど見えないのですが、鳴き声もあまり聞こえてきません。これは、夏のセミに関しても感じたことなのですが、気候の極端な変化が、虫の生態にも大きな影響を与えているのではないだろうか。そんなことを思うと、地球という星の行く末が心配でなりません。
さて、そういった少し長期的な視点からの憂慮はさて置くとして、もっと直近の心配事が、私もちょっと関係のある能登半島における災害についてです。最近、とても心配なことが起きているのは、皆さんもご存じの通りだと思います。
それは、正月に起きた大地震の爪痕もまだまったく癒えていないのに、9月の大雨によって、大きな被害が出てしまったことです。現段階で判明しているだけでも、11名の方の貴重な命が奪われていますし、その他に数名の行方不明者も出ています。家屋の崩壊、床上浸水などの被害はそれこそ数えきれないほどだそうですし、土砂崩れにより孤立した集落も、一時は100カ所を越えたそうです。
この大雨による被害は、地震から立ち直ろうとする人々の精神に計り知れないダメージを与えたはずです。通常、大きな災害に見舞われた時、そこに住む人々の精神状態は、下の図のように、最初呆然自失となった後、そこから「地域の皆で立ち直ろう」という気持ちが芽生え、それに向けて団結していこうとする「ハネムーン期」が訪れます。しかし、その間にも慣れない生活のためストレスはどんどん高まり、やがて「幻滅期」へと移行します。そしてその後は、コミュニティの力や行政のサポート等次第で、再建に向かうパターンもあれば、さらに減退してしまうというパターンもあるのです。阪神大震災や東日本大震災の際も、それぞれの期間の長さに相違はあるものの、おおよそこのような経緯を辿ったと言われています。

今回の能登の場合はどうでしょうか。輪島朝市や漁港などとくに被害が大きく、また水道や電気等インフラの開通にも非常に時間がかかったことがあって、通常よりは「ハネムーン期」が訪れること自体、少し遅かったのです。それが、最近になってやっと再建に向けての機運や具体的な動きが活発になり始めたところに、冷や水をぶっかけるかのように、大雨が降ってしまったわけで、前向きの機運は一気にしぼんでしまったのではないかと思われるのです。つまり、実質的にハネムーン期が訪れないまま地域はさらに衰退してしまうのではないか、という懸念が生まれたのです。

民間気象会社ウェザーニュース社の発表によると今回の大雨は、例えば輪島市では9月22日の午前8時頃までの24時間に412mmというとんでもない猛烈な大雨で、「1000年に一度程度の確率でしか起きない非常にまれな現象だった」とのことです。「1000年に一度」という数字を信用するならば、その被害を完全に食い止めることはおそらく不可能だったでしょうし、能登地方の方々にとっては、「泣きっ面に蜂」あるいは「踏んだり蹴ったり」としか言いようのない不幸な事態だったことになります。そうした状況に置かれた人々に対しては、今は、慰めの言葉も、「前を向いていこう」というようなポジティブな言葉も無力にしか思えません。今私達にできることは、そっと寄り添うことぐらいしかないような気がするのです。もう少し時間を置いて、ちゃんとした言葉と行動で現地の方との接触ができるようになる日が待ち望まれます。
もちろん、「それでも、何とかしなくては」という思いをもって、ボランティアで現地入りして、後片付け等の手伝いを積極的に行おうとしている人達には深い畏敬の念を払いたいと思っています。彼らの熱い思いと元気な姿が、少しでも現地の方々の励みになるといいですね。
ところで、今回もうひとつ注目されたのが、仮設住宅における浸水被害です。おそらく、地震や台風被害で建てられた仮設住宅がこのような被害を被った前例はないでしょう。ただ、ここには「不運だった」という言葉では済まされない事情があったようです。というのも、仮設住宅が建てられた場所のおよそ6割は、河川が氾濫した際に浸水が想定される区域の中にあったのです。もちろん、これらはあらかじめ公表されているハザードマップには明記されていることでしたが、地震の被害から一日も早く安心した生活を手に入れることを望んでいた住民に対して「チェックしていなかったのか?」と非難することはあまりにも酷です。これはやはり行政側の怠慢あるいは不手際と言わざるを得ません。もちろん、仮設住宅を建てられるような平たくて広い土地を確保することは、能登半島の複雑な地形の中では困難だった等の事情は理解できます。しかし、ただ「仮設住宅を建てる」ことだけではなく、こう言ったことも含めて、適切な措置と広報を行うことこそ、行政に課せられた役割なのではないでしょうか。
もう一点、これまで地震によって倒壊した建物や樹木その他の後片づけは遅々として進んでこなかったのは、しばしば指摘されてきたとおりです。そしてこれら大量のいわゆる「震災ごみ」の存在が、溢れた水をせきとめたり、思いもよらない方向に流れを導いたりして、川の氾濫や浸水被害を増幅させたことは疑いありません。予算や人員確保の制約があったことは十分承知の上ですが、もう少し早く片付けができていれば、被害は少しでも抑えることができたのではないか、と思うと残念でならないのです。
地震の発生やその他の自然災害を正確に予想することは現代の科学では不可能です。しかし、震災は少しでも小さくすることが可能なはずです。震災、つまり自然災害によって生じる私達の暮らしへの影響、不都合の半分は人災ではないか、と私は思っています。最近のように、自然災害が頻発する状況においては、国や行政機関、さらには私達自身が「備える」ということに注力するべきなのでしょう。
今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。