明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常157 ワールド・カップだけがスポーツではない

こんにちは。

 

前回の投稿で少し書いたとおり、マスコミはサッカーというかワールド・カップ一色になっていますね。これまでサッカーに興味を示さなかった人がこれを契機に関心を示すようになれば、それはそれでよいことだとは思うのですが、他方でそれ以外の報道が極端に少なくなっていることに、どうしても違和感を覚えざるを得ません。例えばスポーツの分野に限定しても、大相撲秋場所では、阿炎関が12勝3敗で28歳にしてはじめて優勝しています。この人、現在西前頭9枚目ということで、幕内の中では下位に番付されているのですが、もともとは相当の実力の持ち主で、大関候補の一人として期待されていました。ところが、日本相撲協会ガイドラインに抵触する軽率な行為のため、2年前に3場所出場停止等厳しい処分を受けてしまったのです。その頃、コロナ・ウイルスの感染が拡大する傾向にあったにもかかわらず、接待を伴う飲食店(キャバクラだという話です)に何回も出入りし、しかも発覚した当初は、その回数をごまかすために、同行した他の力士と口裏を合わせようとしたということですから、処分は妥当なものだったといえるでしょう。そのため、一時は幕下まで転落していたのです。大相撲の世界では十両以上と幕下以下では給金や協会内での扱いがまったく異なります。(関取と呼ばれるのは十両以上だけです。)しかし、めげることなく、その後勝ち越しを積み重ねることによって幕内に再昇格し、今回ようやく賜杯を手にしたのです。本人から出ていた引退届を受理せずに、厳しい処分を下すことによって、猛省を促すとともに、再起してほしいとの願いを強く示していた協会としても、阿炎関の復活は嬉しかったでしょう。

本当なら、こういうストーリーのある人を、もっとクローズアップしても良いのではないか、と思ってしまいます。テレビや新聞では、時間や紙幅の制限があるため、何かを大きく取り上げれば、その分他の何かが小さな扱いになってしまうことはやむを得ませんが、なんだか割り切れない気分になることもたしかなのです。

少なくとも、何勝何敗なら次のステージに残れるのか、弾き分けの場合はどうなるのか、勝ち点が同じ場合はどうなるのか、といった「捕らぬ狸の皮算用」に近いような話題を延々とするよりは、取り上げるべきニュースがたくさんあるはずです。(しかも、言うまでもないことですが、ワールド・カップに出場している選手たちは、そんな星勘定には目もくれず、次の試合にだけ集中しているはずなのですから。)

 

こんなことを書いてはいますが、私自身、これまでの日本の2戦は両方ともテレビで楽しませてもらいました。サッカーはやはり、1点を争うギリギリの接戦がいちばんおもしろいですね。以前も書きましたが、8年前長期入院した時、ちょうど前々回のワールド・カップが開催されていて、時間を持て余している人間にとって、スポーツ観戦は最善の暇つぶしだったことを思い出しました。ちなみに、休憩室でサッカーを見ていたのは私を含めて数人しかいませんでした。その代わり、大相撲中継には大変多くの入院患者が集まってきていたものです。高齢者にとっては、取組と取組の間に息を抜ける時間があり、取組に向けて少しずつ盛り上がっていく大相撲のリズムがフィットしているのでしょうね。

そうです。日本人全員がワールド・カップに強い関心を持っているわけではないのです。だからこそ、日本中が湧きたっているような報道の仕方には違和感を覚えてしまうのです。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。