明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常156 サッカーに見る「人間らしさ」

こんにちは。

 

サッカーのワールド・カップが始まり、連日テレビはサッカー一色になっていますね。日本が初戦のドイツ戦に勝ったことで、今週末から来週にかけて、ますますエスカレートしそうです。それでも、サウジアラビアほどではありません。あちらはアルゼンチンに勝ったことで、その翌日は国を挙げての祝日にすることが急きょ決まったそうですから、そのはしゃぎぶりが目に浮かぶようです。それにしても、ひとつの試合で勝っただけで祝日になるって、どれだけ呑気な国なんだと思ってしまうのも事実です。サウジアラビアってそんなに平和で社会問題の少ない国だったでしょうか。それとも、色々問題を抱えているからこそ、こういう時に熱くなれるのでしょうか。

 

なぜ世界中がこんなにワールド・カップに夢中になるのでしょうか。

ひとつは、国(地域)別対抗だということでしょう。例えば高校野球やオリンピックと同じように、たぃていの人は地元、出身地というものに特別の思い入れをもつ傾向があります。だから、選手に個人的なつながりがなくても、同郷というだけで応援してしまうのです。(私はそうでもありませんが) 自分の国の代表たちが力を尽くしていれば、それを応援する気持ちが湧いてくるのは自然なことかもしれませんね。

しかし、サッカーに限らず、スポーツが人間を感動させるのにはもうひとつ大きな理由があると思うのです。それは、人間同士がその頭と体をフルに使って真剣に挑む姿が、はっきりとわかるということです。例えば、AIを装備した機械同士の戦いだったら、たとえ国別対抗であっても、これだけの盛り上がりが見られるでしょうか。

現代は、さまざまなことがAI、コンピュータ制御によって行われている時代です。誰もそれを完全に排除して生活していくことはできません。私達の気が付いていない所でも、コンピュータは私達の生活を、時にはサポートし、そして時には束縛しているのです。だからこそ、そういった状況を忘れさせてくれる人間同士の「素」のぶつかり合いには余計に感動するのではないでしょうか。

(もちろん、サッカーにおいてもその戦術策定や相手チームの分析にはコンピュータがフル活用されています。それでも、結局その分析を活かすのは人間の頭ですし、それを実践に移すのは人間の身体だということは不変です。)

 

アジアン・カンフー・ジェネレーションというバンドをご存じでしょうか? かなり骨太の、がっしりした歌詞とサウンドで楽しませてくれる「大人向け?」のロックを演奏する彼等です。そして、そのリーダーであり、ほとんどの作詞作曲を手掛けている後藤正文さんが朝日新聞に連載しているコラムの中で、先日次のようなことを書いていました。

「音階が周波数に合わせて正しく鳴らされているか、リズムが設計された規律に従っているかどうかを中心に音楽を数値として突き詰めれば、僕の存在は人為的なミスのような存在になってしまう。音楽制作にコンピュータが欠かせない現在においては、こうした被害妄想的な観点も、冗談だと笑い飛ばせない。・・・多くの仕事が人工知能に置き換わっていく未来の暮らしは便利になるに違いない。しかし、私達の考え方次第では、失敗する可能性のある演奏があらかじめ排除された、自動演奏の音楽会のような社会が実現する可能性がある。」

 

彼は自身の職業である音楽という領域を念頭にこれを書いているのですが、おそらく多くの現場、職場、そして生活の場において、同じようなことが言えると思います。失敗したり、気まぐれだったり、計算不可能な部分があったりするからこそ、人間は面白いのです。もちろんスポーツにおいても同様です。誰もミスしない、そして皆がコンピュータのように計算通りのプレーをするサッカーの試合など考えられないですし、そういう思いがけないことが起きるからこそ、おもしろいのです。そうしたことをおもしろいと感じ、「そういうこともあるよね。でも、次こそは・・・」というように捉えることができるからこそ、テレビで観戦するだけでも十分楽しめるのではないでしょうか。

そして大事なのは、生活のどんな場面でも、同じように「遊び」というか「ゆとり」のようなものをもつことが、現代において必要な事だろうと思うのです。コンピュータは人間のできないことをしてくれます。しかし、人間にしかできないこともあります。その「幸せな融合」の方向を見据えておかなければ、後藤さんの危惧は現実のものになってしまうでしょう。

 

ただ、ワールド・カップでは、時として熱くなりすぎたサポーターが暴徒化したり、他人の迷惑を考えずに大騒ぎしたりすることがあります。先日のドイツ戦の終了後も、深夜にもかかわらず、渋谷の交差点で騒ぐ若者が目立ったようです。夢中になることは、機械にはできない人間らしい行動であり、大切にしなければならない「人間的な側面」ではあるのですが、もう少し心に余裕を持った楽しみ方ができるといいですね。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。