明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常271 深まる秋に寄せて:漱石と子規

こんにちは。

 

秋真っ盛りですね。今年は夏から秋への移行が不順だったせいか、あっという間に紅葉が進んだような気がします。10月中旬までけっこう暑い日もあっただけに、「えっ、もう?」というのが正直な感想です。もちろん場所にもよりますが、今週から来週あたりにかけて、見ごろを迎える「紅葉の名所」も多いでしょうね。ただ、それに乗じてライトアップを実施している寺社等が増えていることには、少し戸惑いを覚えます。たしかに、色づいたモミジやカエデが夜空に浮かび上がる様はとても美しいですが、ライトアップは、そこに生息する小動物や虫類、そして植物の生活や生態系に少なからず悪影響をもたらす可能性があるはずです。本来は日没以降次の朝まで暗いはずの空間に強い光が当てられることは、それらの成長や活動を狂わせてしまうかもしれない、ということへの配慮はきちんと行われているのでしょうか。

このブログでも、以前「光害」問題について私見を書いたことがあります。(第72回、2021年12月27日)しかし、この問題を真正面から取り上げた論調は現在に至るまであまり見られないように思います。私の考え方が古いのかもしれませんが、「夜は夜らしく、真っ暗だったり、ほの暗かったりする雰囲気を静かに味わう」という風潮は、現代日本の都市文化では望むべくもないのでしょうか。そうだとしたら少し残念なことです。

 

ところで、秋を感じると言えば、正岡子規による次の俳句があまりにも有名ですね。

 

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

 

この句は明治28年(1895年)11月8日に海南新聞に掲載された作品で、昼間はたくさんの参拝客でにぎわう法隆寺が夕暮れになり、静けさが戻りつつある情景を描いたものと言われています。門前の茶店で柿を味わいながら、この情景に浸って(ひたって)いると、どこからか鐘の音が聞こえてくる・・・これこそ、日本の秋の原風景であり、それをシンプルな言葉で表した名句として評価が高いことは誰もが知っているところでしょう。ちなみに、この時、子規は28歳でした。

ところが、この句には元ネタとも言うべき別人による俳句が存在します。

それは夏目漱石による次の俳句です。

 

かねつけば 銀杏散るなり 建長寺

 

建長寺は鎌倉にある名刹ですが、描いている情景は子規の句とほとんど同じと言っても良いでしょう。夕闇迫る境内に漂う哀愁、郷愁が目に浮かぶようです。そしてこの句が発表されたのは、子規の句が発表される2カ月ほど前、同じ年の9月6日の海南新聞紙上だったのです。ちなみに、漱石は子規と同い年だったので、やはり28歳の時の作ということになります。まったく、明治の若者たちはなんとも老成した、そして季節の移ろいに対して繊細な感覚を持ち合わせていたものです。

それはともかくとして、この二人、実は大親友だったそうです。もともと顔見知りだった二人の本格的な交流は漱石が松山の学校に教師として赴任した頃からで、本来持ち合わせている性格や志向、文学観はかなり異なるにもかかわらず、互いの才能を認め合い、長く交流を続ける間柄だったそうです。

とくに、これら2つの句が発表された当時二人は松山で共同生活をしていたのです。この当時のことについて漱石は以下のように書き記しています。

「なんでも僕が松山にいた時分、子規は支那から帰ってきて僕の所に遣ってきた。自分のうちに行くのかと思ったら、自分のうちにも行かず、親類のうちにも行かず、此処にいるのだという。僕が承知もしないうちに、当人一人で極めて居る。」

ドナルド・キーン氏の評伝によれば、子規という人物は、とても怒りっぽく、少しでも自分の思うとおりにならないことがあると、相手が身内であろうが、親戚であろうが、そして一番弟子である高浜虚子であろうが、怒りをぶつけまくるような日々だったようです。しかし、漱石の受け止め方は少し違ったようです。むしろ「可愛げのあるやんちゃぶり」が目立つ、この破天荒な男に対して、漱石は成績優秀で真面目な青春を送った人。そんな漱石から見れば、子規の行状は、やんちゃぶりが目立つものの、俳句だけでなく、あらゆる日本文学に対して鋭い洞察を見せるその力量に大きな魅力を感じていたのです。一方の子規は漱石が英語力に堪能であるだけでなく漢文にも造詣が深いことに驚きを隠せず、「我が兄のごとき者は千万人に1人なり」と評しています。まあ、もっと本音を言えば、じゃれることのできる兄貴分として、心を許していたというところでしょうか。

つまり、この二人、まったく性格が異なるにもかかわらず、互いにその才能を認めあい、まるで兄弟のように親交を深めていったのです。こんな素晴らしい関係性があったなんて、まるで奇跡のようです。究極のライバル関係といっても差し支えないでしょうね。

人は誰でも、自分一人だけでできることには限界があります。そして、良き友人関係、ライバル関係が、互いの能力を高め合い、その後のライフ・ステージやキャリア・アップに多大な好影響をもたらすことは言うまでもありません。しかし、そんな友人に出会える確率はきわめて低いのではないでしょうか。そう考えると、この二人、本当に幸せな人生をおくったものです。(子規は、若いころから大病に苦しめられ、決して幸せ一辺倒の人生だったわけではありませんが)

皆さんはいかがでしょうか? 私自身は、それなりに信頼し合える友人や知人には恵まれてきたとは思っていますが、漱石と子規とのような関係性を持つことができる友人はいるのか?と正面切って問われれば、少し返答に躊躇してしまうのが本音です。

しかし、今からでも、遅くないのかもしれません。どんな年齢に達していても、それなりに熱い友情をもって信頼し合える人との交流を進めることは不可能ではないはずですし、そのことによって、自らの老後を充実したものにできるはずです。

今回紹介した二人のさまざまなエピソードを読んでいると、そんなことをつらつらと考える今日この頃です。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。