明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常95 ドラマ「白い影」をめぐって

こんにちは。

 

あっという間に3月が終わろうとしています。今年はどんな年になるのだろう、と思いながら年始を迎えてから3か月。まさか、こんなに深刻な戦争が起きるとは思ってもいませんでした。毎日ニュースを見ながら、とにかく、とりあえず一刻も早く停戦して、人々の命を守ってくれ、色々と取引や交渉をするのはその後でいい。というように、現状ではなかなか実現しそうにないであろうことを願っているのは、私だけでないでしょう。

 

さて、話は変わりますが、皆さんは「白い影」(原作は渡辺淳一)というテレビ・ドラマをご存じでしょうか。最初に放送されたものは1973年、田宮二郎さんが主演でした。そして2001年には中居正広さん主演でリメイクされています。主演が田宮二郎さんで、「白い・・・」と聞いて、ピンとくる方もいらっしゃるでしょう。当時、大変人気のあった田宮二郎さんを主役に据えたドラマが次々と作られ、俗に「白いシリーズ」などと呼ばれているのです。本作はその第1作に当たります。脚本は、若き日の倉本聰さんなどが担当しています。

ちなみに、もっとも有名な「白い巨塔」(山崎豊子原作)は、このシリーズの最終作です。これも、唐沢寿明さん主演でリメイクされていますね。余談ですが、10年ほど前、宿泊したホテルでぼーっとテレビを見ていたら、韓国版にリメイクされた「白い巨塔」をやっていて、大変驚いたことがあります。国を超えて、人の心に響くところの多いドラマだったのですね。なお、「白い巨塔」が放映された1978年、田宮二郎さんは48歳という若さで、この世を去っています。

話が横道に逸れてしまいました。「白い影」は「白い巨塔」と同じく、天才的な才能と技量を持つ外科医が主人公です。そして、その主人公ががんに罹患してしまう、という点も共通しています。まあ、これはおそらく偶然だと思いますが・・・

そして、罹患したがんが、なんと多発性骨髄腫だったのです。1973年当時、ほとんど未知の病気で、その原因も全く分からず、罹患する人は10万人1人以下、とされていた難病です。これ以上書くとネタバレになってしまいますので、ここまでにしておきますが、主人公は肉体的にも精神的にもかなり追い込まれ、自暴自棄にもなってしまいます。

あらすじや病名は2001年版の中居正広版でもほぼ同じです。私は残念ながら見逃したのですが、調べてみると、平均視聴率が約20%にも上っていますので、ご覧になった方もいらっしゃるでしょうね。(さすが、中居クンですね)

ドラマの内容ももちろんですが、私が注目したのは、リメイク版が作られたのがわずか20年前だということです。つまり、20年前、この病気はまだまだ不明な点が多い、「治療はほとんど不可能」という位置づけの病気だったわけです。

それからの医療技術や薬剤の進歩は著しく、患者数は以前よりかなり多くなっているにもかかわらず、10年以上生存する人も増えているということは、このブログでも何度も触れてきたとおりです。私も、もし20年前に罹患していたら、今のように冷静ではいられなかったかもしれません。というか、とっくにこの世からいなくなっていた可能性が極めて高いと言えるでしょう。

以前は「不治の病」とされていた様々な病気の治療法が、どんどん進化しているというのは、本当に素晴らしいことです。医療関係者や研究者の仕事に改めて敬意を表するとともに、だからこそ、命を大事にしなくてはならない、と肝に銘じるところです。ましてや、「万人が万人を殺す」ことになる戦争など、絶対にあってはならないことだという思いが改めて強くなりますね。

蛇足ですが、2001年版でヒロインを演じていたのは竹内結子さんです。彼女もまた、40歳という若さで亡くなっていることは皆さんもご存じのとおりです。田宮二郎さんのこととあわせて考えると、あまりにも切なくなります。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。