メリー・クリスマス!
今日はクリスマス・イブですね。まあ、私達の日常生活にとくに変化はないですが。
ちなみに、私は昨日からダラキューロ治療第6クールに入りました。とは言っても、来週は年末で病院が休みのため、次回通院は年明けとなります。年末年始が近づいているためでしょうか。昨日の病院は混んでましたね。いつもより待合室に人が多く、若干密になってしまっていました。オミクロン株による感染が急速な拡大する中で、ちょっと不安はありますが、今のところとくに異変は生じていません。
それはともかくとして、クリスマスというとキリストの誕生日だと思っている人が多いようですが、本当のキリストの誕生日って何月何日かご存じですか? 実は、新約聖書にも明記されておらず、近年の研究では10月1日または2日という説が浮上しているようですが、たしかなものではありません。要するに「よくわからない」んですね。
では、なぜ12月25日がクリスマスと呼ばれるようになったのか。そのように定められたのは4世紀半ばで、当時のローマ教皇ユリウスの時代だと言われています。それ以前からローマをはじめ、ヨーロッパではこの時期を「冬至祭」として祝う風習がありました。これは,冬至という一年で一番夜の長い夜を超えて、そこからは暗くて実りのない冬が次第に遠ざかり、新しい世界が始まることを祝するという意味があります。キリストの誕生もこの世に「光」をもたらすものとしての意味がありますから、その誕生を祝うことは、冬至祭の主旨とかなり重なり合うところがありますね。そこで、「そういうことなら、一緒に祝ってしまおう」ということになったようです。ですから、12月25日が「キリストの誕生日」だというのはおそらく間違いですが、「キリストの誕生を祝う」という日であることは確かなのです。なお、キリストの誕生は真夜中、つまり24日と25日(正確には25日の午前2時頃?)とのと言い伝えられていますから、24日をイブとして祝うことはまったく間違っていません。また、近代に入ってからは、この時期からそのまま新年のお祝いへとなだれ込むという流れも普通のものになったようです。要するに、冬の大きなイベントが実質的に合体していったわけですね。
クリスマス・トリビアをもうひとつ。
クリスマスは英語のChrisutmasつまりキリストのミサ(礼拝)であることはご存じの方も多いでしょう。ただ、このままでは単語としてやや綴りが長いので、日本ではX’masまたはXmasと表記されることも多いですよね。この”X”って何だ?と思って調べてみると、もともとはギリシャ文字に”X2に似た文字があり、それは現在のアルファベットでは”ch”に置き換えられるということになっていることがわかりました。つまりその頭文字をギリシャ文字に逆置き換えしたわけですね。いつ頃から誰がこのような表記を行うようになったのかはよくわかりませんが、すっきりしていてなかなか良い省略の仕方かな、と思います。ただ、欧米ではこれは通用しない、との指摘もありますので、外国の知人・友人にクリスマス・カード等を出す際にはご注意ください。(今年はもう手遅れでしょうか 笑)
ほかにもクリスマスの関するネタはたくさんありますが、それはまた来年まで取っておきましょう。いずれにせよ、この時期になると、今年一年を色々と振り返るようになりますね。そういう意味では、この時期にこういうイベントがあるのは、別にキリスト教信者でなくても、大きな意味はあるような気がします。
前回暗い話題でしたので、今回はもうひとつ少し明るい話題を。
2回ほど前の投稿で佐野史郎さんの多発性骨髄腫罹患を取り上げた際、その最後に夫婦漫才の宮川大助・花子の宮川花子さんのことを少しだけ書きました。その花子さんですが、去る12月19日に約2年ぶりにイベントに参加し、ご夫婦でステージに上がられた、という嬉しいニュースが流れてきました。漫才のスタイルのようにセンターマイクを挟んで・・というわけにはいかず、お二人とも椅子に座ったままのトークでしたが、約30分間のステージで、お得意の「夫いじり」も含めて客席を大いに沸かせたようです。
私は若い時を関西で過ごしましたので、色々と個性的な当時の漫才をたくさんテレビで視聴しました。その他、関西の寄席では漫才も落語も、そして奇術やアクロバットも一緒に放映していましたし、吉本新喜劇や松竹新喜劇も、当たり前のように流れていました。それらは、お笑いが好きであるかどうかには関係なく、DNAとして身体に刷り込まれています。その結果、こう見えて?今でもけっこう「お笑い」にもうるさいのです。先日のM-1も全部見てしまいました。今年は去年よりも全体のレベルが高く、非常に見応えがありましたね。決勝に残った3組は、どこが優勝してもおかしくありませんでした。・・・話が横道にそれました。すみません。
要するに、ずいぶん昔から大助花子さんの漫才にも接していたわけです。当時と、ネタの基本線は変わっていませんが、病気に罹患される直前の比較的最近まで、そのパワーや声色、動き、スピードもほとんど変わっておらず、年齢による衰えは全くと言ってよいほどありません。あれを貫き通すには、相当の体力と精神力が必要でしょうから、まったくの元通りのレベルの漫才を今すぐにできる、と考えるのは少し無理があるでしょう。
今回のイベントでのお話のされ方がどのようなものであったのかはわかりませんが、少なくとも口だけでも達者なら、あのマシンガン・トークをまた聞きたいものだ、と思ってしまいます。また、同じ病気に罹患している人間としては、こうやって再びステージに上がられたことだけでも、心から拍手したい気分です。おそらく、同じような気持ちの方はたくさんおられるでしょう。私も含め、そういう方にとっては、今回のニュースは何よりのクリスマス・プレゼントになったはずです。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうごあいました。
最近のペースだと、年内の投稿はあと2回ぐらいになるでしょうか。またおつきあいくだされば幸いです。