明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常 01 発端

2021-07-03

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常 01 発端

 

これから書いていくのは、私自身のがん罹患経験を、なるべく客観的かつ正確に記すものです。経験、と書きましたが、現在も進行中の話です。ただ、話は少し前にさかのぼったところから始まります。日本人の半分ががんに罹患すると言われている現代、これを書くことによって、少しでも興味を持っていただき、あるいは参考にしていただければ、幸いです。

とはいっても、がんには本当にたくさんの種類があります。私が罹患したのは、血液性のがんである「多発性骨髄腫」というもので、日本人では、10万人に10人程度しか罹患しない「希少がん」の一種です。あまり聞きなれないかもしれませんが、水泳の池江璃花子選手が罹患した白血病、元「とくダネ!」の笠井伸輔アナウンサーが罹患したリンパ腫などと仲間に当たり、治療法にも共通している部分があります。これらの病気の方にもある程度は参考にしていただけると思います。

ただし、内臓系のがんとは治療法はかなり異なります。このブログでは、そういった方にも興味を持っていただけるよう、職場や友人への伝え方や病院での暮らし方など、治療とは直接関係のない話も入れていきます。

 

前置きが長くなりました。今回は、私が告知を受け入院に至るまでの経緯をご紹介します。

 

今から約8年前だったでしょうか。2013年春頃、私は腰痛を患いました。年齢が年齢ですので、「いやあ、ついに腰痛やっちゃったよ」と笑いながら、当初は痛みが激しくなった時にだけ近所の形成外科に通って、患部を温めるとともに、痛み止めを処方してもらう、という治療を受けていました。しかし、いつまでたっても快方に向かわず、ついには大事な仕事に穴をあけるという失態を犯してしまいました。そこで、約一年後の2014年5月、医師と相談して、MRIによる検査を受けることになりました。

結果は最悪で、腰の部分にいくつかの腫瘍ができており、それが神経を圧迫しているのが痛みの原因で、一刻も早く大病院で診断、診察を受ける必要がある、というものでした。

そこで、6月に入ってすぐに、市内では比較的大きな病院に出向き、形成外科で見てもらったところ、即座に血液内科に回され、そこでさらなる詳しい検査を受け、即日、多発性骨髄腫のステージ3で、余命は約2年、平均5年生存率は20%という告知を受けました。もちろん、即日入院です。

私は不勉強のため、それまで血液内科という診療科があることすら知りませんでしたし、まさか自分がそんな病気にかかるとは夢にも思っていませんでしたので、医師の説明を半ばぼーっとしながら聞いていました。人間、あまりにもショックなことがあると、泣くこともわめくこともせず、むしろ一種の無反応状態になってしまうものですね。ただ、医師の言葉を傍らですべて猛烈なスピードでパソコンに打ち込んでいく看護師さんを眺めながら、「こんな速記術のスキルもあるんだ。」と感心したことはよく覚えています。

 

この病気の基本的性格をまとめておきましょう。

1.進行は比較的緩やかで、なおかつ、ステージ3に至るまではほとんど自覚症状らしきものが出ない。なお、この病気に関してはステージ3が最終です。ステージ4はありません。

2. もっとも典型的に出る自覚症状が、腰痛である。つまり、私のように、単なる腰痛だと思ってうっちゃっておくのは大変危険だということです。

3. 残念ながら、現在の医学および医療技術では、これに罹患する原因はわかっていない。少なくとも生活習慣病に起因するものではない。また、この病気に関する限り、「完治」という言葉はない。 つまり、せいぜい「寛解」をめざし、それを維持することが最大の目標となる。(寛解とは、簡単に言えば、とりあえず収まっている状態を指します。)

 

つまり、長く付き合っていかなければならない病気だということです。

 

そんなわけで、ある日突然世界が変わってしまった私ですが、進行は緩やかだ、という言葉だけを頼りにその後入院生活に突入することになるのでした。

 

本日はここまで。

 

次回からは、いよいよ始まった入院による治療とその周辺のことを書いていきます。