明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常192 「タイパ」は害悪か?

こんにちは。

 

ここ数日、あちこちで比較的大きな地震が起きていますね。関係する地域にお住まいの方、ご無事でしょうか。遅まきながら、お見舞い申し上げます。

 

さて、前回、私のお気に入り映画を一本紹介しましたが、書いている途中で、昨年「タイパ」という言葉が話題になっていたことを思い出しました。知っている方も多いでしょうが、タイパとはタイム・パフォーマンス、つまり時間当たりの効率性のことです。簡単に言えば、より短い時間でなるべく効率的にさまざまなものを吸収したり、経験したりすることのようです。その具体例としてしばしば取り上げられるのが、映画の「倍速視聴」なのです。

これについては、おおむね批判的あるいは懐疑的な意見が多いようです。その主な主張は「そんなことをしても映画の面白さはわからない」あるいは「それで浮いた時間に何をするのだ?」といったところでしょうか。

私も基本的にはこうした意見に賛成です。試しにYouTubeを2倍速で視聴すると、映像はコマ落としのようで何が何だかわからないですし、音声はまともに聴きとることができません。1.5倍でもかなり厳しい。1.25倍にすれば、まあ大体は理解できますが、それでも作品を味わうという感覚からはほど遠いですね。

また、映画では、細部に監督をはじめとする制作側のこだわりが感じられますが、それも見逃してしまいかねません。例えば、セリフとセリフの間にどの程度の時間を設けるのかは会話の中でとても重要です。ほとんどかぶせるようにしゃべるのか、無言の時間が数秒続くのか、それによって、その人たちの心理状態を想像することができます。でも、倍速で見てしまうと、こうしたことにはほとんど気がつかなくなります。つまり、そのシーンでそれぞれの登場人物が相手に対してどのような気持ちを抱き、何を考えてそのセリフを口にしたのか、ということに思いをめぐらせる余地がなくなってしまうのです。

結局のところ、そうやって映画を見ることによって得られるのは、その粗筋の確認、そして「話題になっているあの映画を見た」という満足感ぐらいのものでしょうか。少なくとも、その映画をさまざまな角度から楽しみたいと思うならば、あまりお勧めできない鑑賞方法でしょう。

ただ、実際に倍速で視聴している人からすれば「大きなお世話」ということになるのかもしれません。ですから、私は著作権等を侵害していたり、他人に迷惑をかけたりさえしなければ、基本的には、公開されている映画をどのようなスタイルで鑑賞するのかは見る側の自由だと思っています。

話は少し横道に逸れますが、いわゆる「ファスト・シネマ」つまり映画作品を5分~10分程度に勝手に編集して公開しているものは、明らかに著作権侵害であり、絶対に見るべきではありません。映画に限らず、著作権は作り手を保護するとともに、その文化を守っていくために絶対に必要であることを、視聴・聴取する側も強く意識するべきでしょう。

 

話を元に戻します。

タイパを気にする人には二種類いらっしゃるのではないでしょうか。ひとつは、本当に時間を使いたいことが他にあって、それでもとりあえず世間の話題に遅れないようにしておく必要がある、と感じている人。そしてふたつめが、あふれかえる膨大な情報を目の前にして、とにかくそれを次々に処理していかなければならないという一種の強迫観念に脅かされている人です。

このうち、前者については、「他にもっと時間を使いたいことがある」という気持ち、すなわち自身の価値基準のようなものがあるわけですから、これはこれでアリではないかな、と思います。限られた時間をどのように使うのか、その振り分けにおいて、きちんとした自分の基準を持っているのならば、それは尊重されるべきことです。

これに対して、後者の場合は少し事情が異なります。使える時間が限られている、というのはまったく同じですが、そこには時間や情報に「追われている」という感情の結果として、「この映画も少しでも短い時間で見てしまわないと・・・」という切迫感が芽生えてしまっていると思われるのです。そして、とりあえず見終われば、それだけでかなり満足してしまいます。つまり、本当の意味で自覚的に「効率」を追い求めているわけではないのです。そのような心理状態で映画を見ても、それはもはや趣味とか余暇とか言えるものではないでしょう。

時間をどのように使うのか、そしてどのような基準でそれを決定するのかは、自分で決めればよい話です。他人に惑わされるべきものではありません。現代社会はたしかに膨大な情報やデータが溢れかえっており、とても個人では処理しきれるものではありません。しかし、だからこそ自分で処理すべき情報、接するべき情報を自分のモノサシで決めていく力をもつ必要があるのです。流行しているものをチェックするアンテナは必要かもしれません。しかし、それに流されたり、溺れたりしてしまえば、本末転倒になってしまうのです。

 

ただ、「倍速視聴」をめぐってはもうひとつ心配があります。これに慣れてしまった人が今後どんどん増えてしまうと、全部見るのに2時間もかかる映画をきちんと鑑賞する人がどんどん減ってしまうのではないか、という危惧があります。もしそんなことになってしまえば、映画制作に本気で携わる人が減ってしまい、さらには映画文化そのものの衰退を招いてしまうかもしれないからです。

まあ、そんなことにはならないよう祈っていますが。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。