明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常218 ヒグマの恐ろしさをめぐって

こんにちは。

 

前回の投稿ではツキノワグマによる被害の増加について触れましたが、その後の報道によると、被害がもっとも多いとされている秋田県では、これを食い止めるためにクマの駆除を行っているのですが、これに対して「可愛そうだ」「殺すな」など抗議の電話が多く寄せられているそうです。こうした苦情を言ってくる人の多くは、自分自身が直接クマによる被害を受けない場所や立場で発言しているため、地元の方々や秋田県知事は当惑と苛立ちをにじませて、これに反論していますが、これは当然の反応でしょうね。

前回も書きましたように、クマによる被害の原因を探っていくと、人間側の社会生活等にも大きな問題があることは事実で、クマが一方的に悪者というわけではありません。しかし、私達が安全に暮らしていくためには、まずは人命を最優先しなければならないこともまた確固たる事実であり、県の対応は決して間違ってはいません。秋田に住む人たちも「駆除」が根本的解決ではないことは百も承知のはずなのです。ただ、個人的な感想ですが、「駆除」という言葉が少し刺激的すぎて、県への批判の声を助長してしまっているのかもしれない、とも思います。クマとの共生を志向するような、もっと穏やかな表現に言い換えることはできないのでしょうか。

それにしても、10月末現在までの全国の被害数180件の内40件以上が秋田県に集中しているというのは、少し異常な気もします。どこにその要因があるのか、おそらく専門家の分析がこれからなされていくのでしょう。

さて、今回のテーマは、北海道に住むヒグマです。

ヒグマとツキノワグマ。両者の見た目の違いは下の表のとおりですが、ヒグマの方がかなり大型であることは一目瞭然です。また、ツキノワグマが比較的臆病であるのに対して、ヒグマはかなり凶暴な性格で、人間の存在を怖がることはほとんどないようで、食物を求めて人家を襲い、農作物だけではなく、人肉を食することを目的として行動することも珍しくないのです。


ヒグマによる人間への被害はかなり昔からあったようで、1915年12月苫前村三毛別(現:苫前町三渓)の開拓地に現れた大型のヒグマは、わずか5日間の間に何度も同じ集落、同じ民家を襲い、最終的に8名もの死者を出すという悲惨な事件が起きています。もちろん、住民たちは何とかこれに抵抗しようとしたのですが、いざヒグマに直面すると恐怖で体が動かなくなったり、至近距離からでも銃を撃ち損じたりしてしまい、なかなか被害を食い止めることができませんでした。「それでは罠を仕掛けよう」ということになり、かなりの批判があったのを押し切って、クマが食い散らかしていった遺体を囮のエサにしてクマをおびき寄せようとしたのですが、クマはそれが罠であることをやすやすと見抜き、人間の裏をかいた襲撃を繰り返したのです。

当時、この事件は地元ではかなり話題になったらしく、地元新聞等には詳細な記録が残っています。また、作家であり、北海道で林務官を務めていた経験のある木村盛武氏は、さらに詳細な記録を整理し、『慟哭の谷:北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』(文春文庫)というノンフィクションにまとめています。そのうえで、ヒグマの生態について、以下のようにまとめています。

  1. 火炎や灯火に拒絶反応を示さない
  2. 遺留物(食べかけの遺体等も含む)があるうちは、クマはそこから遠ざからない
  3. 遺留物を求めて、何度でも同じ場所に現れる
  4. 食べ残しは草むらなどに隠す
  5. 最初に味を覚えた食物や物品に対する執着が強い。
  6. 行動の時間帯に一定の法則性がない。つまり昼夜を問わず出没する。
  7. 攻撃が人数の多少に左右されない。つまり、多くの人数が集まっているからと言って、それを警戒して襲ってこないということは必ずしもない。
  8. 人を襲う時、体毛と衣類をはぎ取る。
  9. 加害中であっても、そこから逃げようとする者がいれば、そちらに矛先を向ける。
  10. 厳冬期でも冬眠しない個体もおり、そうしたクマは食欲が旺盛である
  11. 手負い、穴持たず、飢餓クマは凶暴性をよりあらわにする。

 

これを読むと、凶暴化したヒグマの前では、人間がいかに無力であるのかよくわかります。ましてや、「死んだふり」などはまったく通用しないのです。ちなみに、この書では木村氏自身のヒグマ遭遇経験も紹介されているのですが、これもまた大変リアルで、ヒグマの恐ろしさを感じるには十分な内容となっています。

なお、三毛別の事件は後に吉村昭氏が『羆嵐 』(新潮文庫)というタイトルで小説化しています。(余談ですが、羆という一文字で「ヒグマ」と読むことを私ははじめて知りました。)

では、結局ヒグマの凶暴さに、人間は屈するか、それとも銃等でこれを殺すのか、つまり「殺すか、殺されるか」という選択肢しかないのでしょうか。

色々調べていると、必ずしもそうではない事例もあるようです。知床の漁師である大瀬初三郎氏は「クマを叱る男」として一時マスコミでも注目された人です。この人が、捕ったサケやマスを盗みにきたヒグマに対して「コラ!来るな!」と一喝すると、なぜかヒグマはすごすごと退散してしまうというのです。知床は北海道の中でもとくにヒグマが多数生息している地域ですが、そんな危険な地帯で、見事にクマとの共生を実現している人物がいるのです。もちろん、一般の人がそんな真似をすることはとても危険ですし、例外中の例外なのかもしれません。しかし、こんなエピソードのどこかに本当の意味での「共生」につながるヒントがないのか、考えていく意味は大いにあるように思います。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。