明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常12 無菌室という空間

こんにちは。

梅雨も明け、朝起きると既に「今日も暑くなるぞ」とばかりに、クマゼミがたくさん鳴いています。私の子供のころは、セミといえばミンミンゼミが代表格で、あの、他を圧倒するかのような鳴き声が夏の暑苦しさを演出していたものですが、ふと気がつくと、ほとんど鳴き声を聞かなくなりましたね。気候変動の影響だという説がありますが、どうなのでしょうか。

 

さて、話は超大量化学療法の続きです。

体調が落ち着いて数日経ったある日の夕方、体温が急に38度近くまで上がりました。これは予定通りの現象で、それまでの抗がん剤その他の点滴と、白血球を増やすための薬の注射によって引き起こされたものです。そして、これが「そろそろ造血幹細胞が骨髄から体内へと溢れ出てくるぞ」というサインだったのです。言い換えれば、次の段階への準備が整ってきたということになります。

そこで、即座に私は無菌室に移されました。これからの治療をやりやすくするためと、雑菌やウイルスを極力シャットアウトするためでした。

 

皆さんは、「無菌室」と聞いて、どんなイメージを持つでしょうか。ひょっとすると、ガラスで仕切られていて、会話するのもインターホンを通してしかできないような隔離空間を想像する人も少なくないかもしれませんね。

しかし、医療現場で使われる「無菌室」とは、特別な空調設備(高性能フィルター)を常時作動させて、クリーンな空気を循環させている部屋のことを指します。他の場所からクリーンでない空気が入り込まないようには配慮されていますし、部屋に入る際には手の消毒が求められますが、決して、誰も入ってこれない孤独な空間というわけではありません。家族は入室できますし、新聞や本の差し入れもOKです。さらには、家族以外の見舞客についても、「遠くから来た人なら認めます」ということでした。

(入室や持ち込みをどの程度規制するのかは、病状によっても異なるでしょうし、各病院によっても対応が異なるかもしれません。あくまで、私が入院していた病院での多発性骨髄腫の患者に対する対応に限った話です。)

ただ、患者が勝手に部屋を出ることはできません。トイレやシャワーは部屋内に設置されていました。そういう意味では、やはり孤独な空間であることには変わりないかもしれませんね。

実際、私のところにも、家族は毎日来てくれましたし、その他の来客も数度ありました。一度、卒業生達が10人近くの団体で来てくれた時には、看護師さんがちょっと戸惑っておられましたが、たまたま一人かなり遠方から来た奴が混じっていたので、結局手の消毒だけ行って、全員入ってきました。

ところで、私が入れられた無菌室は、多分12~16畳ぐらいある、一見すると無駄に広い空間でした。にもかかわらず、ソファもテーブルもなく、本当に殺風景でした。

私は、途中の一時退院(そうです。しばらくしたら、またもや一時退院するのです)を挟んで、3週間ほどこの部屋にいたのですが、外に出ることができないため、結局、この部屋の中をうろうろ歩き回る、という動物園のクマのような生活を送ったものです。

ただ、そんな私を気遣ってくれていたのか、毎晩のように、夕食後消灯までの時間に、看護師さんが入れ替わり立ち代わり様子を見に来てくれました。彼等とはいつも、30分から1時間近く、ゆっくりと世間話をすることができ、良い気分転換になりました。

 

今日は、無菌室に入ったところまでで、話を止めておきます。次回は、いよいよ造血幹細胞の採取という、ひとつのクライマックスを迎えます。

 

読んでくださってありがとうございました。