明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常13 入院生活という「日常」

こんにちは。

今日は、全国で気温35度以上を記録したところが続出したようですね。先週までのぐずぐずした天気が嘘のようです。近年、気候の変わり方、気温変化があまりにも極端すぎて、体も頭もついていけない、と感じているのは、私だけではないでしょうね。

皆さん、コロナだけではなく、熱中症や食中毒にもお気を付けください。激しい気温の変化は確実に体にストレスを蓄積させます。そしてそれがさまざまな病気につながってしまいます。

 

さて、2014年9月はじめ、私は造血幹細胞の自家移植という段階に進むまでの数日間を、まったく刺激のない無菌室という閉鎖空間で過ごしていました。すでに抗がん剤の副作用はほとんど消えていましたので、体調は悪くないのですが、とにかく、一歩も部屋の外に出れない、という時間は、色々と考えをめぐらせる(というより、それ以外にやることがない)時間でした。その時の私にとっては、それもまた「日常」ということになるのでしょうが、それはやはり普通に健康な生活を送っているときの日常とは大きく異なるものです。

 

何回か前の投稿で、「どうせなら、入院生活が快適になるように工夫してみよう。それが気持ちを明るく、前向きにするコツだ。」という趣旨のことを書きました。それ自体はめざすべき方向性だとは思うのですが、気持ちが後ろ向きになることはまったくなかったのか、と問われると、早々に余命宣告を受けている身としては、「そんな簡単には割り切れない」というのが正直なところでした。

毎日、治療を受けたり、面会客と話したり、病院のスタッフとこのコミュニケーションをとったり・・・というように過ごしていた時期は、「自分という存在が近い将来この世からなくなるかもしれない」という思いは、ほとんど湧いてきませんでした。周囲にも、「不思議なほど、死に対する恐怖とかないんだよね。」と話していたぐらいです。

しかし、今になって思い返してみると、それは死について考えなかったのではなく、考えることを避けていただけのような気がします。病院の中での日常生活をなんとか形作ることによって、マイナス思考を心の奥底に押し込めていたのかもしれません。

ところが、無菌室での時間は、それまでの「病院での日常」をも揺るがせてしまいます。そして、ベッドの上での諸々の考えは、良くない方向へと向かっていきます。つまり、押し込めていたはずのマイナス思考が顔を出すようになるのです。例えば、少し腰に痛みを感じただけで、「また腫瘍ができたのだろうか」という不安感がヒタヒタと広がっていくのです。(実施は、運動不足で若干筋肉が固くなっていだけのようでしたが 笑)

 

そんなある夜、夢を見ました。それは自分が青空の下で芝生の上を思いきり走っているというものでした。なんのために、どこへ向かって走っているのかは不明でしたが、とにかく、そういうアクティブな夢を見たのは久しぶりで、起きた時、自分は心の底で「もっと生きたい」と切望しているのだ、と気づかされたのです。たしかに、病気に対する不安は消えるものではありません。しかし「不安感に苛まれ、思い悩むことで問題が解決するぐらいなら、誰も苦労はしない。」と開き直れたのが、この瞬間だったと思います。

そんなことがあって、やっと次の段階の治療に正面から向き合うことができるようになりました。もちろん、その後も色々と悩んだり、苦しんだり、ということはしばしばありました。決して、死生観が大きく変わった、などという大げさなものではありません。しかし、自分の中で確実に何かが変わったような気はします。

 

今日は、ちょっと重苦しい話題ですみません。ただ、おそらくすべての重い病気にかかっている人や手術を前にしている人は、私と似たような心の葛藤を抱えるのではないだろうか、と思い、それを知ってもらうために、この文章を書きました。

明日は、多発性骨髄腫治療そのものについて、もう少し実用的な情報を含んだ内容にするつもりです。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。