明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常52 「がん難民」と「休眠療法」

こんにちは。

 

衆議院選挙が間近にせまってきましたね。皆さん、投票にはお出かけになりますか? あるいはもう期日前投票はお済ませになりましたか?

私自身は、もちろん投票にはでかける予定です。ただ、選挙公報をみて、ここのところ少しその気が萎えつつあることも否定できません。

というのは、「比例代表ブロック」における重複立候補という制度が、いまひとつピンとこないからです。

私の居住している地域の小選挙区には、今回3名の候補者がいます。しかし、この3名はともに、比例代表ブロックにおいて各党が提出している名簿にも名前が記載されています。つまり、これによって復活当選する可能性があるわけですね。

実は、このうち2名は前回の選挙にも立候補しており、激しい1.2位争いをしているのですが、結局2位になった方は復活当選を果たし、結果的には2名とも議員になれた、という顛末がありました。ちなみにその時はこの2名と3位以下の候補者には得票数に相当開きがありましたので、今回もこの2名の争いになる公算が強いのではないか、という予想もたてられているようです。

ただ前回は5名の立候補者がいましたので、単純比較はできません。さらにややこしいことに、今回まったくの新顔を候補者としてたてている党から前回立候補していた方は、得票数4位であったにもかかわらず、復活当選を果たしています。つまり、今回も前回と同様の顔ぶれの2名の争いになるとは限りません。もう一人の方、つまりまったくの新顔の方がここに割って入ってくる可能性も十分あります。

ただ、いずれにせよ、得票数とは関係なく、当初は涙をのんだはずの人が、復活当選によって、結局笑顔で万歳するかもしれない、ということには変わりがないのです。しかも、この復活当選という仕組み、「借敗率」やあらかじめ政党が出している「順位」等によって決まるらしいのですが、これが非常に複雑で、とても一般有権者が簡単に理解できるようなものではないのです。

得票数1位の顔ぶれは変わっても、結局新たな議員として登院する顔ぶれはほとんど変わらない、というようなことが起きたら、と思うと萎えてしまうのも無理ないですよね。こんな状況で、「あなたの一票が今後の政治を変えるかもしれない」と言われても、何だかなあ、という気持ちがわいてくるのはしょうがないと思います。

この制度があることによって、いわゆる「死に票」が相当減る、とかのメリットも一応理解はできるのですが、もう少しわかりやすい制度設計をしてもらいたいものです。

とはいえ、選挙は小選挙区の分だけ行われるわけではありません。私は、とくに最高裁判所裁判官の信任投票に関しては、毎回選挙公報をわりとしっかり読んで投票しているつもりです。その方が、過去にどんな裁判にかかわり、そこでどんな意見を表明していたのか、とても興味ある所だからです。

 

さて、それはさておき、昨日からダラキューロによる治療の4クール目が始まりました。事前に行った血液検査や尿検査の結果も良好で、予定通り治療は継続されます。また、昨日から今日にかけて、今のところ強い副作用はとくに出ていません。(若干の食欲不振はありますが)今使用している薬が、わりと自分の体になじんでくれているのは、本当にありがたいことです。

ただ、これまでにも書いてきましたように、同じように治療して同じような薬を使っていても、どのように副作用が出るのかには、相当の個人差があります。製薬会社はそのことを想定して、治験の段階で副作用があった事例については、かなり細かく公表していますし、多くの医師も、担当患者に副作用が出る兆候があれば、ただちにその薬の使用を中止して、別の薬を探すなど、かなり気を配っているはずです。

私自身も、過去入院中に軽い薬疹(薬の使用による発疹)が出たために、皮膚科で詳しく調べてもらい、その薬の使用を止めたことがあります。

そうは言っても、実際の治療現場では、複数の薬を同時に使用していますので、その複合的な作用で副作用が出てしまうことは決して稀ではありません。また、患者のもともとの疾患によっては、あっという間に重症化することもあるそうです。とくに高血圧や糖尿病などの基礎疾患をかかえている場合は要注意だそうですが、悪いことに、これらの疾患は健康診断で指摘されていても、仕事の忙しさにかまけて、診察を受けず放置したままという方も少なくありません。最悪の場合、脳梗塞や心臓病など、副作用というレベルを超えた新たな病気の発症につながることすらあるのですから、恐ろしいことです。

そこまでいかなくても、副作用が辛くて、結局治療そのものを止めてしまう方も少なからずいらっしゃるようです。標準治療というものを柔軟に考える医師ならば、そういった場合にも色々と対処方法を考えてくれるのですが、「標準」にこだわる方も当然いらっしゃるわけで、そうした方と患者の間にはうまく意志疎通ができなくなってしまうこともあります。その結果、医師の方で「そういうことなら、うちの病院では診察・治療はこれ以上できません」と突き放してしまうこともあるし、患者側が自らの意志で強引に退院してしまうこともあります。しかしもちろん、がんという病気そのものが治ったわけではありませんので、その患者はこれからどうしてよいかわからずに、彷徨ってしまうことになります。これを「がん難民」と呼ぶこともあるそうです。

がんが末期まで進行しており、本当に手の施しようがない場合は、「緩和治療」という選択肢もあります。しかしこれは、「もうこれ以上積極的な治療は一切しない」という決断でもあるので、なかなかそこに踏み込む勇気を持てない方もいらっしゃるでしょう。

そこで最近注目されているもののひとつに「休眠療法」というものがあります。これは、別に休眠してしまうという意味ではなく、個々の患者の体調等に合わせて、継続しうる量の抗がん剤で治療する(最大継続投与量といいます)という考えです。何よりも患者の負担の軽減を最優先にし、可能な範囲で化学療法等を続けるということになるでしょうか。もちろん、入院はできるだけ避け、通院による治療継続をめざします。

休眠療法の目指すところは、がんの克服ではありません。むしろ「同居、共存」とでもいえるものなのです。

がんという病気はこの10年間ほどの間にずいぶん治療法が発展し、「治る病気」としての認識も次第に広まりつつあります。しかし、すべての患者が完治するわけではありませんし、年齢によっては、強い身体的負担を伴う治療はできません。また、私の発症している多発性骨髄腫のように、そもそも今の医療技術ではせいぜい寛解をめざすしかない、という種類のがんもあります。そのような中では、このような考え方が出てくることは当然だと思いますし、「がん難民」になりそうな方にとっては救いの手と言えるかもしれません。

ただ、インフォームド・コンセントがしっかりと機能し、医師側が、標準治療をきちんと踏まえながらも、それを逸脱しない範囲内でさまざまな選択肢を用意し、それを必要に応じて患者側に伝える、ということが日常的に行われていれば、わざわざ「休眠療法」という新たなネーミングをつけなくても、ちゃんと患者側の意志に沿った治療が継続されていくのではないか、とも思うのです。そして、そのような方向で、地に足をつけた医療体制がもっと整備されれば、と願わざるを得ません。

 

今回も、最後まで読んでくださってありがとうございました。