明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常20 治療と仕事の両立

こんにちは。少しの間お休みをいただきましたが、太陽には休みがないようで、毎日暑い日が続いていますね。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

私は、薬の関係で免疫力が低下しているので、外出は控え気味なのですが、そこに気温とコロナのダブル・パンチが加わってしまい、用事のない日は、どうしても家に引きこもることが多くなってしまっています。以前書きましたように、早朝散歩によってリフレッシュするぐらいが精一杯、という日々です。ワクチンを打っても、コロナ・ウイルスを完全にシャットアウトできるわけではないので、しばらくは、このような生活が続いていくのでしょうね。

 

前回までの投稿で、2014年6月に始まった入院生活が、11月上旬には、ようやく終わりを迎え、さらに翌年3月末までの自宅での療養を経て、ようやく職場復帰を果たすことになったところまでお話をしました。振り返ってみると、ここまで10か月、本当に長い日々でした。まだこれまでのブログを読んでおられない方は、ぜひ、番号順に読んでいただければ、と思います。

とにもかくにも、行動範囲が基本的に病室とその付近に限定された生活がある日突然「日常」になったことには、かなりの戸惑いがありましたが、同時に、この期間に多くの「気づき」もありました。それは、ごく簡単に言えば、今まで当たり前だと思っていた何気ない日常が、いかに当たり前のものではなかったのか、ということに尽きます。日常生活の様相は、人それぞれによって異なるし、しかも刻々と変化していきます。そして、私たちは、その時の自分の置かれた状況をきちんと受けとめることによってこそ、その中で自分なりの日常を充実したものにしていくことができるようになるのです。

以前よく聞いていたあるラジオ番組のキャッチ・フレーズが、「何気ない日常にこそ幸せがある」というものでした。ずっと、良い言葉だな、と思っていましたが、本当の意味でそれを実感するようになったのは、この入院・療養生活だったのです。

さて、2015年4月、私は無事職場復帰しました。久しぶりの通勤、久しぶりの授業、そして久しぶりの同僚との会話・・・ それらすべてが新鮮で、ちょっとしたドキドキを感じたものです。また、自分がいかに現場から離れていたのかを改めて痛感させられました。でも、そうやって少しずつ仕事でのカンを取り戻していくことができるのが、とてもうれしかったのをよく覚えています。まだまだ体力や健康面での不安はありましたが、それ以上に復帰できたという喜びの方がはるかに大きかったと言えるでしょう。

ちなみに、がんに罹患した人が仕事を続けようと思う理由として、もっとも多いのが経済的理由、すなわち収入を得ることですが、その次に多くあげられるのが、何らかの形で社会参加したい、というものだそうです。つまり、社会参加することによって、自分の存在意義を確かめる、ということではないでしょうか。もちろん、入院や療養という生活が、社会とまったく没交渉になってしまうというわけではありませんが、やはり、毎日さまざまな人と出会い、コミュニケーションを取り、必ずしも乗り気ではない仕事も含めて、仕事をこなしていくことによって、人は、社会の中での自分の立ち位置を確かめ、これからの行く末について思いを馳せることができるのです。もちろん無理は禁物ですが、周囲に変に気遣われることなく、普通に仕事をしていきたい、というのが、治療を続けながら仕事に復帰する方の大半の意見だと思います。

ただ、周囲の人間が思いもつかないところで、苦労することもよくあります。例えば、通院するためには有給休暇を取ることになりますが、それが一日単位でしか取れないと、かなり使いづらいものになってしまいます。病院での検査や診察、治療は何時に終わるのか、まったく予想がつかないことも多いので、できれば、1時間単位での有給休暇を、事後に申請できるような制度が必要です。また、体力が十分でない人にとっては、通勤という行為そのものがかなりの苦痛とストレスに満ちたものになることも少なくありません。私の場合は、住んでいる町が地方都市だったので、通勤時間はさほど長くありませんでしたし、公共苦痛機関が満員になるということも滅多にありませんでしたが、首都圏等、毎日満員電車に揺られて通勤しなければならない町に住んでいる方には、出勤・退社時間をずらすとか、できることなる当面はテレワークでやりくりする、などの配慮が必要です。もおし職場の同僚や身近に治療と仕事を両立させる努力をしている方がおられましたら、できるだけ、その方との直接的コミュニケーションを図り、その考えや苦労を理解、共有できるように、一歩でも二歩でも構いませんから、踏み出してみてください。そのことによって、皆さん自身も多くの「気づき」を経験できるはずです。

なんだか、説教臭くなってしまい、申し訳ありません。私自身の話に戻しましょう。

 

通院は、当面の間、おおよそ1か月に1度続いていました。ただ、一応寛解となり、症状は安定していましたので、病院に行っても、採血を受けた後、その結果が出るまで約1時間待たされ、やっと呼ばれたと思ったら、主治医の先生からは「うん、問題ないですね。バッチリです。」という拍子抜けするようなあっさりした診断を下され、後は2~3分雑談をして終わり、というあっけない診察がしばらくの間続いていました。いわゆる3分間診療というやつかもしれませんが、私はそのことには別に不満はありませんでした。診療、治療に時間がかかるよりは余程良いことですし、採血の結果が出るのに時間がかかるのは、しょうがないことです。大きな病院では、ほとんどの診療科で、外来患者に対して、「まず採血を受けてきてください」という指示を出しますので、とくに午前の採血室は非常に混みあうのです。新聞か本でも持って行って、気長に待つしかないですね。

なお、私の主治医は寛解という言葉を終始使いませんでした。おそらく、この言葉が独り歩きしてしまい、患者が変に安心したり不安に思ったりすることを避けたい、という配慮があったのでしょう。それにしても、何が「バッチリ」なのか?? そこは随分ざっくりした、医者らしくない表現だなあ、と思ったものです。(笑)。

そんな状態が1年9か月ほど続いたのですが、2016年末頃から新たな展開が訪れます。がん細胞というやつはなかなかしぶとく、そう簡単には全滅してくれません。この頃から、少しずつ元気?を取り戻しつつあったのです。

この話の続きは次回にします。

 

本日も、最後まで駄文につきあってくださって、ありがとうございました。