明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常21 レブラミドとレナデックス

こんにちは。

 

前回投稿の最後で、がん細胞が再び活発化し始めたことを書きましたが、再三触れてきましたように、多発性骨髄腫という病気は、現在の医療技術では残念ながら完治することはないとされており、治療の焦点は、どうすれば、がん細胞の動きを抑制できるのか、ということに限られています。ただ、かなり患者数の少ない病気の割には、近年、次々と新薬が開発されており、そのおかげもあって、5年生存率、10年生存率は、飛躍的に伸びつつあります。

実際、私が宣告を受けた時は、5年生存率20%と言われていたのですが、現在では、約45%にも達しようとしています。まあ、私は2014年に宣告を受けていますので、いずれにせよ5年は余裕でクリアしているわけで、ありがたいことです。ただ、がん全体でみると、5年生存率はすでに約6割にまで上昇しています。そういう意味では、まだまだ手ごわい病気ということになるのでしょう。

 

さて、今日ご紹介するのは、そんな新薬を服用するようになった時のことについてです。

 

2016年暮れ、ある日の診療で、先生が珍しくデータや資料をかなり注意深く見ているなあ、と思っていたら、「がん細胞の動きが活発になってきているので、これを抑えるために新たな治療を開始したい。」とのことでした。もともと、造血幹細胞の自家移植による効果は、長く続いて2年ぐらいだろう、と言われていたので、まあ、この展開は、医師側としては予想の範囲内のことだったでしょうし、私自身もとくにショックを受けることはありませんでした。

では、どんな治療が開始されたのか。それは、ごく簡単に言ってしまえば、飲み薬である2つの薬、レブラミドとレナデックスを服用する、という患者にとっては比較的負担の少ないものでした。

患者にとってもっとも避けたいのは点滴、ついで注射、もっとも楽なのが飲み薬です。いずれも、必ずしも入院が必要というわけではありませんが、点滴はどうしても長時間かかってしまいますし、終了後の経過を見るとなると、一回の病院滞在時間がかなり伸びます。場合によっては「一日仕事」になってしまいます。注射は、点滴に比べるとかなり楽ですが、打った後に腫れがないかというチェックも含めて、やはり注意深く対処する必要があります。飲み薬は、自宅で、決められたとおりに服用するだけですから、副作用の有無という点を除けば、もっともありがたいのです。

レブラミドは2010年に承認・使用が開始されたばかりの比較的新しい薬で、1日1回、3~5カプセル服用するというものでした。(私の場合は、大体1回に3カプセル服用していました。)これを3週間(21日間)続け、その次の一週間は休む、というサイクルで繰り返していきます。つまり、通院は4週間に1回ということになりますが、これは、それまでの通院ペーストほとんどかわらないものだったのです。ただ、このレブラミドという薬は、かなり高い効果が期待できる一方で、サリドマイド系に分類される薬で、厚生労働省の指導により、その扱いはかなり気をつけなくてはなりません。

サリドマイドというと、ある程度以上の年齢の方は、少しドキッとされるかもしれませんね。そうです。今から50年近く前、妊婦の方への睡眠導入剤としてさかんに使われたものの、その後、生まれてきた胎児に四肢の奇形かがみられるという事例が多発し、深刻な社会問題としてクローズアップされた、あのサリドマイドです。今でも、この名前を聞いただけで拒絶反応を起こしてしまう人もいらっしゃるようです。もちろん、現代では以前のような危険性はかなり低くなっているようですが、それでも、服用にあたっては、いくつかの厳しい注意事項がありますし、服用した後の殻は全部病院に返却しなければなりません。(殻の数をきちんとチェックするためです。)また、定期的に、適切に使用・管理したかを確認するためのチェックシータへの記入も求められます。

レナデックスは、レブラミドの併用剤として、同時期に承認されたもので、レブラミドと同様に、腫瘍細胞の増殖をおさえる働きがある他、免疫力を高めるのにもある程度効果があるそうです。ただし、抗がん剤としての威力は、レブラミドの方がかなり大きいようです。こちらは、錠剤で、1週間に1回、私の場合は5錠服用していました。

この二つの薬を新たな柱とする治療は、幸いにも比較的早く効果が表れて、状態は安定したものになっていきました。ただ、レナデックスに関しては、私は副作用が起きてしまいました。それは食欲不振、という形で現れ、このため、これを服用した日の夕方から翌日にかけては、極端に食べる量が減る、ということが続きたのです。もっとも、まったく食べられなかったわけではありませんでしたから、食パン1枚やうどん等で、この2日間を乗り切っていました。また、外での飲み会等がある場合は、薬を服用する日をずらして対応する、という自分なりの工夫をしていました。つまり、通常は7日間隔で服用するところを、8日空けたり、あるいは逆に6日間隔にしたりしていたわけです。このことによる問題はとくにありませんでした。

一般論として、薬というものは長く服用していると、だんだんその効果が薄れてきます。つまり効かなくなってくるわけですね。これはどんな病気に使われるどんな薬でも同じで、だからこそ、薬に頼りすぎた治療は良くない、とされるのです。

ただ、最初にも書きましたように、多発性骨髄腫に関してはどんどん新薬が開発されていましたので、効かなくなってくれば、他の薬に切り替えれば良い。というわけで、当時の私は「まあ、なんとかなるだろう。」と少し楽観的にかまえていました。とにかく、がん細胞の働きを抑制できとことに、ほっとしたものです。

 

今日はここまで。ほとんど薬の話ばかりになってしまったので、興味のない方には申し訳ありませんでした。ただ、多発性骨髄腫という病気にどのように対応していったのか、ひとつの例として、少しでもわかっていただければ幸いです。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。