明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常31 引っ越し

こんにちは。

 

前回は、私自身のことではなく、一般論としての免疫力の話を書きましたが、今回は、2020年の私の経験に話を戻します。

 

これまでにも書いてきましたように、2020年3月末で仕事に一応の区切りをつけた私ですが、しばらくは残った仕事をこなす日々が続いていました、ただ、毎日通勤しなければならない、という立場から解放されたのはたしかです。言い換えれば、これまでの職場への通勤可能な場所に住む必要はなくなったということです。

これに加えて、若干の個人的な事情もあったため、この年、長年住み慣れた町を離れて、生まれ故郷へと引っ越す決心をしました。引っ越しは6月下旬。コロナの影響はすでにさまざまな面で私たちの生活に影を落としていましたが、ちょうど第一波と第二波のはざまの時期にあたったため、引っ越しの手続きや作業はスムーズに進みました。ただ、自宅の荷物の整理と職場にある研究室の整理を同時並行で進めるのは、かなり大変でした。

それに加えて、これまで通院していた病院を離れ、引っ越し先で新たな病院探しをしなければなりません。これはかなり不安でした。なにしろ、主治医が交代するのです。しかも私の場合は血液内科と循環器内科の両方を受診していましたから、そのふたつを併せて診察してくれる、質の高い病院が必要となります。私に限ったことではないと思いますが、少し厄介な病気を抱えている人間にとって、病院や主治医を変更するというのは、意外にストレスになるものです。どうしても、色々と心配してしまいますからね。

しかし、結論から書くならば、自分でこれを探したり、交渉したりする必要はありませんでした。これまで通院していた病院には「地域連携推進センター」という部署があり、そこが、こちらの要望を聞きながら、交渉や第一回の予約も含めて、すべての手続きをしてくれたのです。また、これまでの私のカルテ等も取りまとめて、次に主治医となる人にうまく受け渡しができるように、サポートしてくれたわけです。後で調べてみると、たいていの大きな病院は、これと似たような機能を持つ部署をもっているようですね。

新しい病院を訪れたのは7月中旬でしたが、前の病院からの連絡がうまくいっていたため、手続きは非常にスムーズでした。新たに主治医となった先生お二人も大変話しやすい方で、ひとまずは安心した次第です。ただ、初回はCTやレントゲンも含めてさまざまな検査をしたため、午前8時30分頃に病院に入ったのに、すべてが終わったのは午後3時を過ぎていたのには、ちょっと参りました。前の病院よりも外来患者の数そのものが相当多いようなので、まあ、しょうがないな、と自分を納得させながらも、こんなことが毎回続くのは嫌だな、と思ったものです。ただ、2回目からは、どんなに遅くても午前中には診察は終わるようになりました。おもしろかったのは、この病院、血液内科と循環器内科の外来が隣り合わせになっていたことです。まるで私のために配置したみたいですね。 笑 

おかげで、同じ待合室でずっと待つことができるので、大変助かりました。

私の体調は、引っ越し等でかなり体力を消耗していたわりには、大きな変化はなく、毎月の診察でも、さほど大きな指摘をされることなく、その後約1年が経過しました。そして、そこで新たな展開が待ち受けていたのです。

 

今日はここまで。

次回は、多発性骨髄腫に関する新たな治療の展開について、書いていく予定です。

 

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。