明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常103 今に生きるタイタニック号の教訓

こんにちは。

 

2022年も3分の1が終わりGWが始まりましたね。ニュースを見ている限り、昨年よりはかなり人出が多いようですが、コロナ第6波がまだ十分に収まったと言える状況ではないので、この後が若干心配になります。まあ、皆さん、そんなことはわかっていながら、束の間の連休を享受しよう、と言うことでしょうね。それはそれで、アリだと思います。

 

さて、GWにはあまりふさわしくない話題ですが、前回に続き、海難事故から考えさせられたことについて、少し書いていこうと思います。

史上最悪の海難事故と言えば、誰もが知っているタイタニック号の遭難事故が挙げられるでしょう。当時世界最大の規模を誇るとも言われたこの豪華客船は、1912年4月にイギリス・サウサンプトンからアメリカ合衆国・ニューヨークに向けて航海中の4日目に、北大西洋で巨大氷山と衝突し、わずか2時間40分後にはあえなく沈没してしまいました。犠牲者数は1,513人にのぼり、無事生還したのは710人だったそうです。

この事故については、レオナルド・デカプリオ主演の映画が大ヒットしましたので、よくご存じの方も多いと思いますが、色々と裏話もあるようです。とくに近年囁かれているのは、これが「仕組まれた事故」だったという説です。

理由は、二つ挙げられています。第一に、当時、同じ船会社が所有していた大規模客船「オリンピック号」があったのですが、これが既に数回事故を起こしていて、近い将来廃船にするしかない運命だったのです。しかし、それでは保険金が十分に出ない、ということで、修理用ドックで新造船であるタイタニックと入れ替えた、というのです。ちなみに両船は瓜二つに作られていたそうです。真新しいタイタニック号が沈没したことにすれば、保険金の額はケタ違いになる、ということで、オリンピック号はその犠牲にされたというのがひとつの説です。

もうひとつは、当時この船の所有者であったJ.P.モルガン(アメリカのビジネス史を少しでもかじったことのある人なら、誰でも知っている名前です。)が、自分のビジネス上のライバルたちを船に招待したうえで、自分は土壇場になって乗船をキャンセルし、結果的に、ライバルたちを海に沈めた、というものです。

これらの説については、状況証拠がいくつかあげられているものの、確証を得るところまでには至っていません。また、110年も経った現在、それを暴いても、あまり大きな意味はないかもしれません。

それよりも注目しておきたいのは、乗員、乗客のほとんどが「こんな大きな船が沈むなんて。・・・まさか・・・」と思っていたようだ、という事実です。少なくとも、氷山と衝突してしばらくの間は、さほどの危機感を抱かなかった人が多数にのぼるようです。

まあ、無理もないのかもしれません。巨大客船だから、沈むなどとは考えにくいし、万が一事故があっても、避難のための備えはちゃんとしているだろう、と考えてしまうのが通常の感覚かもしれません。しかし、実際には救命ボートの数がまったく足りていないなど、設備面でも大きな不備があり、乗員たちが不慣れだったこともあって、被害が大きくなってしまったのです。

この事故から私達が学ばなければならないのは、「安心しきってしまう」ことの怖さでしょう。めったなことは起きない、と思っていても、ごく稀にであっても起きてしまうのが事故というものです。企業や組織については、よく「危機管理意識の欠如」ということが叫ばれますが、翻って自分自身のことを考えてみると、日頃からどれだけ危機意識をもって生活しているか、というと自信がなくなってきてしまいます。

危機意識と言うのは、結局のところ、想像力を豊かにすることによって生まれてくるものだろうと思います。つまり、これを磨くことこそが、危機管理を高いレベルにしていくもっとも有効な方法なのです。

ただ、想像力というやつは、ぼんやりしているだけでは生まれませんし、ルーティン・ワークに忙殺されるだけの日々を送っていても磨けません。

では、どうすればよいのか?

答えはひとつだけではないでしょうし、ヒトによって異なってくるはずです。ただ、共通して言えることは、意識して、なるべく自分の視野を広げていくことではないでしょうか。それが、たとえ今の生活や仕事に直接関係のないことであっても、あるいは、人生の最後まで何の役にも立たないことであっても、視野、あるいは関心の範囲を広げていくことは、決して無駄にはならないと思います。

大きな事故や事件が起きるたびに感じることですが、加害者や責任者を責めているだけでは、そこからは何も生まれない、と思っています。責任の所在をはっきりさせないといけないのは当然のことですが。

 

今回は、最後なんだか説教臭くなってしまって申し訳ありません。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。