明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常124 金閣寺の輝き

こんにちは。

 

参議院選挙はなんとか無事に終わりましたね。その結果については、色々と報道やら分析が出ていますが、ここではそれは取り上げません。肝心なのは、今回当選した人達がこれから6年間どのような活動をするのか、ということですから、その任期が終わった時に評価すれば良いのです。

と、ここまで書いて思ったのですが、国会議員に限らず、地方議員に関しても、その任期中にどのような政治信念をもって、どのような活動を行い、実績を残したのか、ある程度客観的にデータとして示してくれる仕組みは作れないものでしょうか。とくに、その議員が引き続き立候補する場合は、必須にすべきだと思います。こういうことを書くとすぐに「議員は表に出せないような活動も行っている」という反論が出てきそうですが、私は別に客観的なデータだけで評価すべきだと言うつもりはありません。具体的に書けないことがあるのなら、それはそれで議員自身が何となく匂わせるような表現のできる自由記述欄を設ければ良いのです。最終的に評価を行うのは有権者ですから、議員側には、評価に必要な情報をきちんと出してもらう、ということだけを求めるだけ。そういう仕組みがあれば、私達は議員という存在について、もう少し身近な存在として見ることができるような気がするのですが、いかがでしょうか。

閑話休題。 前回新型コロナ再燃について少し書きましたが、案の定、かなり感染は拡大しているようで、プロ野球のヤクルト・スワローズでは27人もの陽性者が出てしまったそうです。日本のプロ野球球団は登録できる選手が最大60名、その他監督やコーチ、スタッフ等を含めても100人から150人程度という集団ですから、その中でこの人数の感染はかなりの脅威です。感染力が強いということは、それだけクラスターが発生しやすいということですから、私達も十分注意したいものですね。

 

さて、今回の本題はちょっと生臭い話から離れたいと思います。

しばらく前のことになりますが、コロナ患者がまだ増加傾向には転じておらず、しかも外国人観光客が増えていない時期を見計らって、「今のうちだ」と思い、普段なら観光客で溢れかえるようなところに行ってきました。それは金閣寺です。

足利義満が建てたこの寺院、正式名称は鹿苑寺となっており、室町時代における京都五山の第二位にあたる相国寺塔頭(たっちゅう)寺院と位置付けられています。ちなみに、塔頭とは、本山の祖師や門徒高僧の死後(あるいは引退後)、その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔や庵などの小院のことです。つまり、多くの場合は、本山である大寺院の境内やすぐそばに建てられるのですが、離れた場所に建てられる場合もあるようです。鹿苑寺の場合は、もともと足利義満の別邸として建てられ、その死後に寺院となったという歴史なので、上に書いた塔頭の説明とは少し異なりますが、将軍が住んでいたところ、ということでやや特別な扱いとなったようです。

鹿苑寺金閣寺と呼ばれるようになったのがいつ頃なのかはよくわかりませんが、そんなに最近の話ではありません。それだけ、この寺院の象徴的存在である金閣(正式名称は舎利殿)の存在感が圧倒的だ、ということでしょう。

この金閣古今東西の多くの人を魅了してきました。また、1950年には、当時この寺の学僧であった21歳の若者によって放火され、全焼しています。その衝撃は大変大きかったらしく、例えば高名な日本画川端龍子は、急きょ東京から駆け付け、取材やスケッチを行った結果を「金閣炎上」という大作に仕上げています。また、当時この寺のすぐ近くに住んでいた堂本印象は、京都市消防局の依頼を受ける形で、国宝防火週間(火災の約1か月後)のポスターを制作しています。余談ですが、堂本氏が住んでいた隣接地には、現在、堂本印象美術館があります。立命館大学衣笠キャンパスの目の前で、金閣寺龍安寺のちょうど中間地点という非常に良い立地にもかかわらず、観光客はさほど多くないようです。

また、三島由紀夫金閣寺』、水上勉『五番町夕霧廊』など、この事件を題材として書かれた小説も多数あります。さらに、これらの小説を原作としたドラマや映画も何本も作られています。(水上氏は、その後さらに取材を重ねて、犯人やその家族像に迫ったノンフィクション『金閣炎上』も上梓しています。)


おそらく、これほどの衝撃を与えた放火事件は他にないでしょう。では、なぜそれほどのインパクトがあったのでしょうか? もちろん、国宝の焼失という大きな事件であったのはたしかですが、今回訪れてみて、焼け落ちたのが金閣であったということの意味が何となく分かったような気がしました。

金閣そのものは、三層構造のとても美しい建物です。総重量約20kgの金箔を貼られたその外観は、威風堂々という言葉がこれほどふさわしいものがあるだろうか、と思わせるほどの威容です。しかし、それと同時に注目しなければならないのが、金閣の手前に広がる約2000坪の鏡湖池。その静かな水面に映る金閣の姿は、輝きを倍加する役割を果たしています。また、背後に広がる北山とその緑は、いわゆる借景なのでしょうが、金閣を正面から見た時の高さや角度など、すべてが計算しつくされた美しさを感じます。つまり、ここにはおよそ考えうる美の極致がある、と言っても過言ではないのかもしれません。金閣は、ただキラキラしているから美しいのではないのです。(実際、放火当時、金閣の金箔はかなり剝げ落ちてしまっており、さほどキラキラしてはいなかったそうです。にもかかわらず、その美しさは人々を魅了していたのです。)

その見事さは、見方によっては、魔性をも感じさせます。この圧倒的な美しさに心を奪われてしまった人は、放火犯のように、「金閣を自分のものにするか、そうでなければ、この魔性のような存在に自分が取り込まれてしまうか」といったような感覚に襲われても不思議ではないのかもしれない。そんなことを想った次第です。

それでは、これに対峙するように建てられた銀閣寺はどうなのだろうか、という新たな関心が湧いてきます。というわけで、次回は銀閣寺について書いていくつもりです。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。