明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常141 萬福寺と南禅寺

こんにちは。

 

今日は台風一過。とはいえ、まだ風が強く、さわやかな秋晴れにはもう少し時間がかかりそうです。でもとにかく、気温が下がったのはうれしいですね。

気温といえば、今回あるいは前回上陸した台風のルートだと、とくに日本海側は一時的に異常なほど気温が上昇します。いわゆるフェーン現象ですね。もちろん、これは台風の時だけに起きる現象ではありません。真冬であろうが、真夜中であろうが、気温が35度近くまで上昇し、ドライヤーの強風のような風が吹き荒れるのは本当に不快なものです。あれは何度経験しても慣れませんでしたね。

ともあれ、今回の台風で何か被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。

 

さて、最近は新型コロナウイルス感染者の数も少し落ち着いてきており、秋に向けてさまざまなキャンペーンや外国人観光客受け入れが本格化するような風潮が広がってきていますね。観光客が急増してしまわないうちにということで、普段は人出の多い社寺を回るのが、今年の私の目標のひとつになっています。

そんなわけで、最近訪れたのが、まず、京都府宇治市にある黄檗宗萬福寺です。といってもあまり耳なじみがない方もいらっしゃるかもしれませんが、下の写真を見たことがあるのではないでしょうか。これは開梛(かいぱん)といって、さまざまな合図にこれを叩いて使うそうです。(現在は、午前11時45分にだけ鳴らすそうです。)そして、いわゆる木魚のルーツだそうです。そういえば、木魚って「木の魚」って書くんですね。今さらながら、気がつきました。ちなみに、魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じないことから、寝る間を惜しんで修行に精進しなさいという意味が込められているのだそうです。きょとんとした可愛い目をしていますが、ちゃんと修行に関連づけられているのです。また、口にくわえた丸いものは煩悩を表し、魚の背を叩くことで煩悩を吐き出させる、という意味合いがあるのです。

萬福寺の山門 どこか中国っぽいですね

 

萬福寺の開梛(かいぱん)



さて、この寺を1661年に開いたのは、中国の高僧であった隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師という方です。詳細は割愛しますが、この方は、中国でかなりの地位についていたにもかかわらず、60歳を超えてから、日本側の求めに応じて渡日し、その後亡くなるまで日本にとどまり、黄檗宗という当時日本ではほとんど知られていなかった宗派の普及に力を尽くしたのです。

この方、名前から想像できる通り、日本にインゲン豆を紹介したことで知られています。また、文化・芸術・茶道等にも造詣が深く、俗世間から隔絶された空間で修行に没頭しているという私達の描く禅僧のイメージとはやや異なる、多芸多才の方だったようです。ただそれ以上に感慨深いのは、60歳を超えてから、異郷の地に移り住んだことです。普通なら、それまでのキャリアを捨てることになりかねないこのような選択はなかなかできないものです。しかも、日本語は当然ながら不自由だったでしょう。こうした、その年齢から大変な苦労が予想されている道に飛び込んだこの方の行動には感服するしかありません。いくら仏の道に自分の身をささげていたからと言っても、よほどの決断力がなければここのようなキャリア選択はできないですよね。

ただ、生まれ故郷である中国のことはいつも心の中にあったようで、このお寺は日本の一般的な寺院とは佇まいが異なり、あちこちに中国風のデザイン・雰囲気が感じられます。また、黄檗宗では、今でも中国で使われているお経をそのままの形で使っているそうです。

 

別の日に訪れたのが、有名な南禅寺です。ここは室町時代に定められた京都五山の「五山之上」つまり別格とされているぐらい、格式の高い、そして堂々たる寺院です。境内は非常に広く、たくさんの塔頭もあります。見どころも大変多いですが、拝観料の不要な場所もたくさんあり、散歩するだけのために訪れる近所の方々も後を絶たないようです。

訪れた日は非常に暑かったこともあって、今回はもっとも人気のある三門と、塔頭のひとつである金地院を拝観しただけで、帰宅してきてしまいました。今回の投稿ではこのうち三門についてのみ記します。

南禅寺三門

絶景かな



現在の三門は1628年に再建されたもので、高さは22メートルという威容を誇っています。22メートルというと、普通のビルの6階か7階ぐらいに相当するわけで、近寄るとその巨大さに圧倒されます。そして、ここは上に登れるのですが、上からの京都市内を見渡す景色は格別なものです。(ただし、その階段はほとんど90度ぐらい角度があるのではないかと思われるほど急です。)

 この景色を見て、ほとんどの人が思い浮かべるのが石川五右衛門のセリフ「絶景かな、絶景かな。」です。歌舞伎の演目である『楼門五三桐』(さんもん ごさんの きり)の一場面としてあまりにも有名ですが、実は、五右衛門が釜茹での刑に処せられたのは1594年。つまり現在の三門が建てられる約30年も前のことなので、彼がこの三門に上ったいうのは完全にフィクションです。

ただ、この歌舞伎の台本では「南禅寺山門」と記されています。「山門」と「三門」は何が違うのか? 実は、山門には「お寺の門」という程度の意味しかありません。もともと修行の場としての寺院が山麓等に建てられることが多かったため、寺院そのもののことを「山」とも呼ぶようになったようです。有名なのは、比叡山延暦寺とか、身延山久遠寺とかですよね。南禅寺も瑞龍山という山号をもっています。(ただし、山号のない寺院もたくさんあります。)これに対して、三門とは、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表します。つまり、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称です。くぐり抜けることにとても大きな意味があるからこそ、このような大きな門が建てられたのかもしれません。そして、ここからは私の想像ですが、歌舞伎の作者はこの違いを理解したうえで、これがフィクションであることを暗に示すために、あえて「山門」としたのではないでしょうか。そういえば、芥川龍之介は有名な短編小説「羅生門」を残していますが、これも現実に存在していた「羅城門」を舞台にしているとはいえ、あくまでフィクションですよね。

なお、この解釈、間違っているかもしれません。少し調べたのですが、誰もこのような整理はしておられないようなので、悪しからず。実際、南禅寺のサイトを見ると、三門の説明の中で「山門とも記す」という表現があり、この寺ではまったく同じものとして考えられているのかもしれません。ここに書いた両者の違いは、あくまで一般的な区別です。

 

寺社仏閣というのは、10歳代のときに見ても、なかなかその面白さがわからないものですが、このトシになってくると、色々な角度から見たり考えたりすることができるようになって、楽しいですね。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。