明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常210 阪神タイガースの優勝に思うこと

こんにちは。

 

あっという間に9月も半ば。リビアでは洪水のために10000人以上の人が亡くなっているようですし、モロッコ地震での死者も約3000人に上っているようです。自然災害対策が比較的進んでいる国なら、もう少し犠牲は減らせたのかもしれない、と思うと残念でなりません。ただ、自然の脅威はいつも私達の想定を大きく上回る形で日常生活に襲い掛かってきます。「日本はわりと安全だから」などと呑気に構えているべきではないでしょうね。

 

さて、私の新しい治療、サークリサという抗がん剤を用いた治療は、第2クールに入りました。第1クールは約4時間の点滴が毎週あったのですが、第2クールからは隔週になるので、少しは負担感が減るのかな、と思っています。これについては、次回もう少し書く予定です。ちなみに、今のところ一定の効果は出ているようで、一安心しているところです。

 

ということで、今回の話題に。

昨日、9月14日、阪神タイガースが18年ぶりのセントラル・リーグ優勝を決めました。8月の成績が18勝7敗、9月に入ってからは11連勝で負けなし、というとんでもない勢いで一気に2位広島東洋カープを引き離し、あっという間に優勝に到達したのです。

何を隠そう、って別に隠してはいませんが、私は関西で育ったこともあり、小学生の頃から、野球は何処のファンか、と問われれば、迷わず「阪神!」と答えてきた身なので、今秋の優勝はひときわ嬉しいものです。

といっても最近はテレビで中継を見ることはほとんどなくなってしまい、後でニュースで結果を知るだけなので、今ではさほど熱心なファンだというわけではありませんし、感動したか?と問われれば、「さほどでもない」というのが正直な気持ちです。。

ただ、長く関西にお住まいの方ならご存じだと思いますが、神戸に本社を置くサンテレビという独立系テレビ局がかなり熱心に阪神戦を「全試合、試合開始から終了まで」をうたい文句にしてきましたので、とくに中学生・高校生ぐらいのときは、夕食時にとくに面白い番組がない時は、自然とチャンネルを合わせていたものです。その結果の「擦り込み」が阪神ファンを生んでいるのですね。

ちなみに、独立系テレビ局とは、東京にあるキー局(TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビテレビ東京)のネットに入ることなく、なるべく自社制作の番組を放送しているテレビ局のことです。もちろん、キー局の番組をスポット買いしていたりもするのですが、全体の番組の中での自社制作比率は大変高いのが特徴です。とはいっても番組を制作するには多大な労力と費用が掛かります。そこで、人気のあるスポーツを生中継で流す、というのがこの局の基本戦略となっているのです。

最近は、野球中継の全体的な人気低迷の流れを受けて、サンテレビでも、地上波での生中継は以前より減っていますが、9月14日に関しては、優勝決定の可能性があるにもかかわらず、当初、どこの放送局にも中継予定がなかったため、サンテレビが急遽手を挙げたようです。ちなみに、この試合、ジャイアンツ戦で、他の対戦よりも放映料が高いせいか、サンテレビでT-G戦が放送されることは滅多にありません。それだけでも多くの阪神ファンは喜んだのですが、解説陣が掛布雅之さんと真弓昭信さんという1985年に優勝を決めた時のレジェンドで、このことにも感動した人は少なくないはずです。

優勝が決まって岡田彰布監督(この人も85年優勝メンバーです)の胴上げが始まった時、恥ずかしながら私は少し目を潤ませてしまいました。それは優勝が決まったからではありません。胴上げの輪の中に7月に脳腫瘍のため亡くなった横田慎太郎さんが現役時代に身に着けていたユニフォームがあったからです。同期入団だった数名のメンバーが、横田家から借り受けてきたそうで、ご遺族の方も喜んで協力してくれたそうです。

なお、横田慎太郎さんのことについては、このブログの第202回(2023年7月21日)に少し詳しく書いていますので、未読の方はアクセスして頂ければ幸いです。

野球選手には、必ずいつかは引退し、野球界から離れる時がやってきます。惜しまれつつ志半ばで辞める人もいれば、すべてをやり尽くしたという清々しい気持ちで辞める人もいるでしょうが、いずれにしろ、それまで自分の人生の大半を捧げてきたものからの離別であることには変わりありません。そんな時、横田さんのような人がいて、今はどこかで見守っているはずの彼と一緒に優勝の喜びを分かち合えたという記憶は、彼等にとってとても大きな財産になるような気がするのです。一緒に切磋琢磨し、戦った仲間のことを忘れない気持ちは、私達にとってもとても大事でしょうね。

さて、ここまでかなり個人的な思い入れに基づく感想でしたが、もう少し、阪神タイガースの関西における位置づけを客観的に考えておこうと思います。

かつて、関西には4つのプロ野球球団がありました。パシフィック・リーグの阪急ブレーブス南海ホークス近鉄バファローズ、そしてセントラル・リーグ阪神タイガースです。鉄道会社ばかり並んでいるのは、もちろん偶然ではありません。「私鉄王国」とも呼ばれる関西において、その存在はJR(旧国鉄)よりも大きく、人々の暮らしに密接に結びついたものでした。そして、鉄道各社は、より集客をアップさせる手段として、沿線にさまざまな施設や遊園地、デパート、そして宅地等を次々に開発していたのです。野球の場合は、ひとつの球団を作るのにさまざまな人件費やその他の費用が掛かる他に、そのホームグラウンドとなる球場建設が欠かせません。そこで、各社は沿線に球場をつくり、アクセスを良くすることによって、これらの費用を回収できると判断し、さらには全国的な知名度をアップさせることもできると期待し、採算度外視、とまでは言わないまでも、自社の経営規模からすればかなり高額とも言える金銭を野球に注ぎ込んだのです。そうして張り合った結果が、上に書いたことだったのです。

しかし、パ・リーグ6球団の内3球団が関西にあるというのはどう考えても過剰です。どの球団もそれなりの黄金時代を迎えた時期もあったのですが、そんな時でも球場には閑古鳥が鳴き、一升瓶を持ち込んでへべれけに酔っぱらったおじさん達のヤジが、空しく球場中に響き渡る、などということも珍しくなかったようです。

結局、1990年代のバブル経済崩壊後、各鉄道会社は次々と球団経営から手を引くこととなり、現在では、阪急ブレーブス近鉄バファローズの後を継いだ形で球団経営に乗り出したオリックスが「オリックス・バファローズ」として大阪市の京セラドームを本拠地として活動しているのみです。オリックス創始者であり、日本を代表する企業経営者の一人である宮内義彦氏は神戸の出身で、関西とは浅からぬ縁があるはずなのですが、関西人の間では、この人は何となく「東京の人」のように思われていて、関西への執着や愛はあまりないのではないか、と思われてしまっているようです。

この「東京」というのが阪神タイガースの人気を考えるうえでの重要なキーワードになります。セ・リーグに入ったタイガースは、毎年、多数のジャイアンツ戦を戦うことになります。ただでさえも、この二つの球団は、職業野球球団としてはもっとも古いものと2番目に古いものですから、当初から相当の対抗意識があったのは当然のことです。また、そもそも大阪という街の東京に対する対抗意識、というか反発心は計り知れないもので、タイガースの戦い方にその思いを乗せようとした人が多数にのぼったのは間違いないところです。しかし実際には両球団の力にはかなりの差あったようで、優勝回数その他の数字を見ても、それは歴然としています。加えて、ジャイアンツには王さんと長嶋さん(いわゆるON)という全国的なスターがいたため、人気の面でも大きな差をつけられていて、関西在住の野球ファンとしては、毎年のようにイライラが募っていたのです。

そんななかで迎えた1985年の優勝。その導火線となったのが、ジャイアンツ戦でのタイガース3人(バース、掛布、岡田)によるバックスクリーンに飛び込むホームラン3連発だったのですから、その爽快感は何にも代え難いものでした。迎えた優勝決定の日、人々は大阪屈指の繁華街である道頓堀に集まり、大騒ぎを始めてしまったのです。(今年も道頓堀に飛び込む馬鹿者が多数出たようですが、その始まりがこの時だったわけですね)

実はこの時川に飛び込んだのは人間だけではなかったのです。最寄りのケンタッキー・フライドチキンに押し寄せた人々は、あのカーンル・サンダースおじさんの像を「バースに似ている」と言い出し、そのまま胴上げしながら、川に投げ込んでしまった、というのです。

1990年代に入り、タイガースは毎年5位か最下位に低迷するという暗黒時代に突入するのですが、これを「カーネルおじさんの呪い」とする都市伝説まで生まれてしまいました。これを発見し、引き上げようとするプロジェクトは何回か実施され、テレビ番組「探偵!ナイトスクープ」でも取り上げられることによって、長らく関西人の持ちネタになってしまったほどです。

サンダース像は、この番組では発見できなかったのですが、2009年に大阪市建設局による水辺整備事業の一環として行われた障害物調査の際に無事発見されたそうです。こうして「呪い」は解けたことになっています。でもまあ、それまでに2003.年、2005年にタイガースはリーグ優勝を果たしていますし、その後最下位に沈んだこともありますので、関係はなかったということになりますね。当たり前の話ですが。

 

今回は随分長い文章になってしまい申し訳ありません。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

なお、球団経営の歴史については、かなり省略してしまったため、不正確な部分もあります。なにとぞご容赦ください。