明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常09 一時退院

こんにちは。このブログも10回目の投稿となりました。おかげさまで、読んでくださる方が増えているようで、ありがたく思っています。

 

さて、2014年6月に入院した私ですが、8月上旬には無事初期治療を終え、一時退院することとなりました。

入院患者が治療途中に外に出る手段としては、一時外出と一時退院のふたつがあります。一時外出は、主治医の許可を得たうえで、数時間から最大2泊ぐらいまで、外出する制度で、実は私も、6月から8月までの2か月の間に数度経験しました。もちろん治療に支障があるような外出・行動は認められませんが、例えば、週末に自宅に帰り、ゆっくりと食事・入浴・睡眠をとることに利用されます。ちょっとしたリフレッシュになりますが、後から思い返すと、あれは「これから治療はもっと大変になるのだから、今のうちに外の空気をゆっくり吸っておけ。」というサインだったような気がします。

これに対して、一時退院は、治療が一段落して、次の段階に移るまでの数週間、入院を継続していてもしょうがないので、いったん帰宅させる、というものです。(病院側としては、ベッドを空けることができますしね。)私の場合、約3週間の一時退院が許可されました。というよりも、そういう指示がなされました。つまり、これはあくまで次の段階に移るまでのインターバルに過ぎなかったのです。(ちょうどお盆の時期だったため、主治医の先生も「夏休みを取る」とおっしゃっていました。)

そういう位置づけであることもわかっていましたから、病院から自宅までのタクシー車中でも、正直なところ、「やれやれ、自由の身だ!」などという感情はまったく起きませんでした。

一時退院中、とくに注意しなければならないのが、自分の免疫力がかなり低下してしまっているという点でした。自覚症状はまったくないのですが、白血球の値等を見れば、そのことは明らかで、ちょうど夏場でしたから、食べ物にはとくに気を配らなくてはなりませんでした。刺身や生野菜、生卵等は避けること、カバーをかけずに売っているような食べ物(パン屋さんではよくあるスタイルですよね。コロナ禍の現在は、ほとんどないと思いますが)にも手を出さないこと・・・ 病院で出される食事は、もちろんこうしたことに配慮しているのですが、全部自分でコントロールするとなると、決して難しい問題ではないのですが、それなりに気が滅入るものです。

私の場合はこれに加えて、足のしびれが悪化し、夜、寝られないほどの痛みに襲われたことがありました。これはかなり辛い。申し訳ないと思いながら、夜中、家族に病院まで痛み止めの薬を取りに行ってもらったのです。

そう、一時退院中とはいえ、治療は継続しているわけですから、病院に申し出れば、比較的簡単に痛み止めや解熱剤は出してくれるのです。次の段階に備えて、体調は可能な限り良好に保っておく、ということについては、基本的には自己責任なのでしょうが、病院側はきちんとサポートしてくれるはずです。本当は、万一に備えて、退院するときにある程度の量をもらっておくのが賢明なのでしょう。それを失念していた私のミスでした。

 

そんなこともあってか、この3週間、結局大した外出もせず、自宅で大半の時間を過ごしました。この夏、暑かったのか、それとも冷夏だったのか、今もまったく思い出せません。一時退院していることを知らせたのも、ごく限られた人達だけです。

ただ、学会の仲間3人ががわざわざ遠方からお見舞いに来てくれたのは本当にうれしかったです。彼等とは酒飲み仲間でもあるのですが、ちゃんと退院したらぜひ乾杯しましょう、と約束したことは、私に大きな力を与えてくれました。

そんな思いを胸に秘め、8月下旬にはいよいよ次の段階の治療を受けるために、再入院することになります。それは初期段階の治療とはかなり様相の異なる、厳しいものだったのです。

 

今日はここまで。これまで10回の投稿で、私の話も一段落ということになります。ここまで10日間連続で投稿してきましたが、数日お休みをいただき、今週末頃には再開したいと思っています。その時はまた、アクセスしていただければ幸いです。