明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常84 今日は小ネタを連発

こんにちは。

 

あっという間に2月になりましたね。間もなく節分、そして立春を迎えます。

近年では、節分と言えば、豆撒きよりも恵方巻を思い浮かべる人も多いようですが、発祥とされる関西でも、以前はさほどポピュラーな行事ではなかったと思います。主に商家で行われていた行事で、一般家庭に広まったのは、1989年にセブンイレブンの広島にある店が仕掛けたことに端を発し、その後イオンが大々的に展開したことにより、一気に全国に広まったようですね。(恵方巻という名称も、この2社が広めたものです。)ちなみに、元々の起源には諸説ありますが、大阪の海苔問屋が販売促進のために始めた、という説もあるそうです。いずれにせよ、商売がらみ、というわけで、まあ、2週間後のバレンタインデーの広まり方と同じようなものみたいです。

 

前回の投稿が長い文章になってしまいましたので、今回は小ネタを3つばかり。

その1 北京オリンピックが間もなく始まりますが、その直後に開催されるはずのパラリンピックについては、ほとんど報道されていないような気がします。何故でしょうか。東京の時は、「オリパラ」などと称して、過剰とも思えるほど気を遣っているマスコミもあったのですが。

もちろん、理想としては「オリ」「パラ」と区別するのではなく、同じ日程の中で、多様性の一環として競技が行われることが望ましいのですが、東京の時との扱いの違いに若干戸惑いを感じます。感染症対策の方がニュース・バリューはありますし、オリンピックに比べれば小規模な大会とはなりますが、それでも世界から600人の参加者を迎えるそうですから、もう少し取り上げられてもよいのではないでしょうか。

その2 相変わらずのオミクロン株ですが、ちょっと気になるのは、「弱毒化している」という情報を無条件、無批判に信じる傾向が強すぎることです。たしかに感染者の中で重症化したり、死亡したりする人の割合は、これまでの株よりも減っているようですが、それでも感染者数増大に引きずられるように、死者数は少しずつ増加する傾向にあります。優先順位をつけながら対応していく必要があることは言うまでもありませんが、大変な状況に陥っている方も決して少なくない、ということは見過ごしてはいけない事実です。バランスをとっていくことは、ますます難しくなっているようです。直線的に物事を進めることにはリスクが伴うことを、もっと認識しなければならないと思います。

その3 ここまでで止めようと思ったところ、今、灯油販売のクルマが「雪やこんこ」(「こんこん」という曲名だと思っている人が多いですが、これは間違いです。「こんこ」とは「来む」(来い = 降れ)という意味だそうです。)の曲を流しながら、通り過ぎていきました。そこでふと思いついたのですが、仕事をさぼってばかりいることをなぜ「油を売る」と表現するのか、という疑問です。調べてみると、もともとは、江戸時代、髪油を売り歩く商人が客である女性を相手に話し込みながら商いを行ったことが、この言い回しの起源だそうです。なるほど、と納得はできるのですが、もう少し深堀りしてみましょう。たしかに無駄話ばかりで終始するのなら「さぼっている」と言われてもしょうがありません。しかし、その会話の中で相手の嗜好や商品を使っての反応、要望などの情報を得ることができるとしたら、決して無駄ではありません。現代風に言えば、一種の「ワン・トゥ・ワン・マーケティング」です。相手が女性ばかりだったので、それを見ていた人がやっかみ半分でこのように言い始めたのかもしれませんが、富山の薬売り等と同じような機能をもっていたのかもしれません。

結論 油を売ることは必ずしも悪いことではない。

 

本日も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常83 入試問題の流出をめぐって

こんにちは。

 

オミクロン株によるコロナウイルス新規感染者数、なかなかピークアウトにならないですね。これだけ増えてしまうと、正直なところ、もう濃厚接触者は追いきれていないでしょう。そして、どこにいてもウイルスは潜んでいる、と覚悟を決めたうえで、日常生活を送っていくしかしょうがないですね。結局のところ、私たちにできる対策はこれまで通りでしかないのですが。

まあ、基礎疾患のある私はますます気をつけなくてはならないのはたしかです。こんな時は、必要以外の外出はなるべく避けて、音楽鑑賞や読書など、屋内での趣味の時間をゆったりと過ごすのがいちばんなのでしょうね。

職場の人手が足りなくなって、イライラしている方もいらっしゃるでしょうが、こんな時こそ、努めて、ゆっくりと過ごす時間を作った方がよいと思います。そうやって心に栄養を与えることが、きっと後日役に立つはずですから。

そんなわけで、前回に続きやや能天気なネタを書こうと思ったのですが、元大学教員としてはどうしても気になる大きなニュースが報じられましたので、今回はこれについて現時点で想うことを書きます。

それは、皆さんのご存じの通り、1月15日に行われた大学入学共通テストで、試験時間中に問題が外部に流出したという事件です。当初、複数の犯人による組織的な犯行あるいは最新鋭のIT機器を用いた巧妙な犯罪と思われていましたが、一昨日、現在はどこかの大学に在学中の女子学生でもある受験生が出頭し、自供を始めたそうですね。つまり彼女は仮面浪人だったわけです。仮面浪人を経験した学生には何回か接したことがありますが、大学に籍を置き、ある程度はそこでの勉強をこなしながら再受験をめざすというのは、かなりの負担であり、精神的にもかなりキツい日々を送ることになるようです。友達と話す機会もかなり限られますしね。ましてや、思うように成績が上がらなければ、プレッシャーは半端ないものになるでしょう。もちろん、だからといってこのような犯行が許されるわけではありませんが。

伝わっている自供によると、彼女は上着の袖口にスマホを隠し、動画で問題を撮影し、それを何らかの方法で30枚ほどの写真に変換(そんなことが簡単にできるアプリがあるのでしょうか? そちらの方面はまったく詳しくないもので、よくわかりません。)して、あらかじめ依頼していた外部の人間に送信していたようですね。私のような旧世代の人間には、袖口にスマホを隠したままで、テキスト文章も入力していた、ということだけでも驚いてしまいます。

驚いてばかりしていてもしょうがないので、彼女の自供をもとにすると、今回の事件の構図は以下の通りになるようです。

f:id:kanazawabaku:20220129124134p:plain

産経デジタルの記事より

さて、ここまでは新聞報道等でご存じの方も多いでしょう。そしてすぐに思い浮かぶのが「試験監督は何をやっていたんだ? 本当に気がつかないなんてありえるのか?」という疑問でしょう。

そこで、試験監督が実際にどのように行われているのか、毎年のように経験していた者の立場から簡単に説明していきます。

まず、試験監督にはあらかじめ相当分厚いマニュアル(暑さ1cm程度)が配布され、監督員説明会も実施されます。このマニュアルには、当日の諸注意やタイム・スケジュールはもちろん、各試験時間に監督が行うべきこと、行ってはいけないことが事細かに記載されています。受験生に対しての指示のセリフも全部書かれていて、「この通りに喋れ」ということになっています。全国同じ条件で試験が行われるように、という配慮でしょうが、これを読んでいるだけでうんざりしてきます。それでも、これから大きく逸脱するようなことをする監督は多分ほとんどいないはずです。万が一の時には監督の責任が厳しく問われる可能性があるからです。ただ、共通テストに関しては、受験会場は居住地によって決まっているだけなので、自分の目の前にいる受験生たちが自分の大学を志願しているわけではありません。正直言って、これでは気合が入らないですね。

試験は、種々のアクシデントに対応するべく、あらかじめ対策が取られており、それもマニュアルを読めば、ちゃんと書かれています。ただ、毎年のように事項が付け加えられるので、あらかじめ大体把握しておかないと、いざという時にどこを読めばよいのか、焦ることになってしまいます。また、非常時対応や相互チェックのため、監督は最低でも各部屋に2名は配置されるはずです。インフルエンザ等の理由により別室受験が認められた者に対しても同様です。つまり、受験生1名に対して監督2名、という部屋も出てきます。昨年や今年のようにコロナ対応をしなければならないと、おそらく現場は人手がぎりぎり、あるいは足りない状況の中で、何とか回していくことになります。

机の上に出してもよい物は決められていて、もちろん、あらかじめ受験生には伝えられています。もちろん、携帯電話やスマホは禁止です。こうした通信機器は、電源を切った上で、カバンの中にしまわせます。また、カバンそのものは、教室の後ろや外の廊下など、受験生からは離れた位置に置かせます。(廊下には、連絡担当の事務の方が常にいらっしゃいますので、盗難の恐れはありません。)

ただ、それでもスマホを隠し持っていた、となるとその発見は難しいかもしれません。とくに女性の場合だと、あまりジロジロ見るのも失礼かな、と遠慮してしまうかもしれません。よほど怪しげな態度をとらない限り、見過ごしてしまう可能性は十分にあります。また、監督は全員ある程度以上の年齢ですから、今の高校生等のスマホ操作技術の高さは想定外のものかもしれません。先に書きましたように、上着の袖口隠したままテキスト文を入力するなどという行為は、およそ想像の外の世界になってしまうのです。

試験監督に関してはまだまだ紹介して面白そうなネタはたくさんあるのですが、長くなりすぎますので、ここからは、今回の事件に関する事だけ書きます。

私は当初、首尾よく外部から答えが返ってきたとしても、その画面を見ることが可能なのかどうか、疑問に思っていました。この点については、どのような方法をとったのか、まだ報道されていませんが、文章の入力ができたぐらいなら、これも簡単にできるのか、それとも彼女がどこかでウソをついているかのどちらかですね。実は私は、彼女の単独犯行だという説明をまだ100%は信じきれないでいるのですが、それはこうした疑問があるからなのです。

いずれにせよ今後こういったカンニング行為のリスクはますます増えるでしょう。通信機器も腕時計型や眼鏡型など、昔ならSFかスパイ映画の世界だと思っていた物がどんどん実用化され、手軽に入手できるようになっています。既に腕時計に関しては対応が取られ始めているようですが、眼鏡に関しては、普通に必要でこれをかけている人間にまで「外せ」ということはできないですから、厄介ですね。

根本的な方法としては、電波を遮断する装置を各会場に取り付けることですが、全国すべての会場、教室に取り付けるとなると、膨大な費用が発生してしまいます。なお、このような装置自身も電波を発しているので、その電波が総務省による規定以上の量である場合は、別途免許が必要美なります。つまり、万全を期そうとして大規模な装置を導入することは、安直にではできないのです。

これからの入試シーズンに向けて、文部科学省は「監督の徹底を」という指示を出しているようですが、実はこれも簡単ではない事情があります。過去の受験生からの苦情で、「試験監督の足音がうるさくて、試験に集中できなかった」というものがあり、それ以来、あまり教室の中をウロウロと歩き回るのはNGだとされているからです。だからといって、監督人数を増やそうとしても、上に書いたような事情で、おそらくどこも既にほとんど余裕がない状態です。

さて、こんな状況でこれからの入試をどのように行っていけばよいのでしょうか。私にも明確な答えがあるわけではありませんが、大学も「全入時代」つまり倍率1.0を切る大学が続出し、どこでもよいと思えば、どこにも入れないということはない、という時代に突入して言う今、学校に入るための試験、というものを根本的に見直すべき時期にさしかかっているのかな、という思いを強くした今回の事件でした。決められた期日に行われる入学試験という制度に膨大なエネルギーを注ぐような方法は、やがて終焉を迎えるのかもしれません。

 

今回は、ずいぶん長くなってしまいました。最後までつきあってくださり、ありがとうございます。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常82 坂本龍一さんのこと

こんにちは。

先日のニュースで、病気療養中のミュージシャン、坂本龍一さんが、自身音楽監督を務める「東北ユースオーケストラ」の3月公演に出演することが報じられました。このオーケストラは、東日本大震災の被災地の小学生から大学生が参加しており、あれから11年が経過したのを機に、約3年ぶりに演奏会を行うことになったそうで、坂本さんもステージに登場し、ピアノを演奏する予定、とのことです。

坂本さん、2014年に中咽頭がんを患い、その後復帰したのですが、2020年に今度は直腸がんが見つかり、治療に専念していたそうです。最初にがんが見つかった時は、ちょうど私が罹患して間もない時期だったので、罹患部位は異なるものの、その後の回復具合はずっと気になっていました。そういうわけなので、今回のステージ復帰は大変うれしい知らせです。ただし、まだ療養は継続中だそうですので、これで完全復活、というわけにはいかにようです。くれぐれも、無理はされないことを祈ります。

坂本龍一さんと言えば、私と同世代の方にとってはやはりYMOでの華々しい活動や映画「戦場のメリー・クリスマス」への出演などがすぐに思い出されるでしょう。

私自身、YMOに最初から興味があったわけではないのですが、1979年に行われたワールド・ツアーでのドイツやアメリカでのライヴの様子をたまたまラジオで聴いて、大変衝撃を受けたことをよく覚えています。当時のYMOは、テクノ・ミュージックの元祖のように位置付けられていて、無機質とも思えるサウンドの中にチラっと見せる職人技的なテクニックとパワーが魅力だったと思うのですが、サポート・メンバーにギターの渡辺香津美さん、キーボードの矢野顕子さんというとても「サポート」とが言えないような強力な2人が参加したこのツアーはまったく様相が異なっていました。既に日本国内ではかなり名の売れていたサポート2人は、すさまじいエネルギーとアクティブな演奏でYMOの3人や観客を煽っている、というちょっと独特の雰囲気の演奏が展開されていたのです。そういえば、当時、坂本さんと矢野さんは夫婦でしたね。この時の音源は残念ながら廃盤になっており、CDの入手は簡単ではないかもしれませんが、私の耳にはまだあの白熱のライヴが残っています。(この時のライヴは「パブリック・プレッシャー」というタイトルで今も販売されていますが、契約の関係で、これには渡辺さんのギターは全部カットされています。ギターの入ったヴァージョンは、You Tube等でなら聴けるかもしれません。)

しかし、私が坂本さんの活動としてぜひご紹介したいのは、YMOのそれではなく、ブラジル人のジャケス・モレレンバウム(チェロ)&パウラ・モレレンバウム(ヴォーカル)夫妻と一緒に制作した「CASA」というアルバムです。これは、全曲アントニオ・カルロス・ジョビンだけを収めた純粋のボサノヴァ・アルバムで、録音もジョビンの住んでいた家で行われたそうです。

坂本龍一ボサノヴァ、という組み合わせに違和感を覚える人は少なくないと思いますが、このアルバムは、とても美しいのです。ボサノヴァ特有の軽いリズムはさほど強調されませんが、メロディと歌声の美しさに酔いしれることができます。ピアノとチェロでボサノヴァを演奏するというのも珍しいと思いますが、これも、サウンドを上質かつ上品にするのに役立っています。曲によっては、まるでドビュッシー等のフランス音楽を聴いているような気分になります。そして、シンセサイザーの申し子のようなデビューの仕方をした坂本さんが、実はアコースティック・ピアノを弾かせても超一流であることがよくわかるのです。

ボサノヴァは、知的水準の高いエピキュリアン(享楽主義者)のための音楽だ」と評した人がいるそうですが、テレビをつけると気が滅入るようなニュースばかりが流れる昨今、こういうサウンドに身を浸して、ぼんやりと過ごす一日があっても良いように思います。

そういえば、坂本さんとともにYMOのメンバーであった高橋幸宏さんも、脳腫瘍のため、現在療養中ですね。彼の回復のニュースも、待たれるところです。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常81 ゼロ・コロナ? ウィズ・コロナ?

こんにちは。

 

ここのところ、毎日のようにコロナ・ウイルスの新規感染者数急増のニュースが報じられていますね。どこまでいけば高止まりするのか、とうんざりしてしまいますが、ヨーロッパの状況を見ると、いったん増加が止まって、減少傾向に入ったように見えても、その直後にまた増加に転じている国がいくつもあります。つまり、なかなか先行きを見通すのは難しいということでしょうね。長い目で見ていくしかないようです。

そんな中で、北京オリンピックの開幕(2月4日)が近づいてきました。中国政府はこれを何としてでも予定通り開催するべく、かなり強硬なコロナ対策を実施しているようです。いわゆる「ゼロ・コロナ」政策です。

報道によると、香港では、ペットのハムスターを通して人間が感染した可能性がある、とのことで、ペットショップで飼われていた数千匹のハムスター殺処分が決定されたとのことです。また、チンチラ、ウサギ、モルモットなどの小型哺乳類を「予防措置」として殺処分することも発表されています。このハムスターはオランダから輸入されたとのことですが、動物から人間への感染が確定しているわけではないにもかかわらずです。

また、北京では患者の感染源がカナダからのエアメールである可能性がある、として警告を発しています。こちらも、関連性が証明されているわけではありません。そもそも、紙に付着したウイルスが、死滅せずに、大陸と海をまたいで中国にまで到達するというのは、あまりにも非現実的です。

このふたつの事例を見るだけでも、現在の中国政府がコロナ・ウイルスを抑えるためにかなりヒステリックになっていることがうかがえます。まあ、「日本はオリンピック開催を1年遅らせたが、わが中国は予定通り開催できる。それだけ、保険行政が優れているのだ。」と言いたい気持ちはわかりますが。

そもそも世界中でこれだけ感染拡大が続いている中で、「ゼロ・コロナ」などということが本当に可能なのか、というと、それは理想かもしれないが、まず無理だろう、と断じざるを得ません。

これまでに人類が完全に撲滅させることができたのは、天然痘だけです。かつて猛威を振るったこの病気ですが、WHOによる根絶計画が成功し、1977年ソマリアにおける患者発生を最後に、地球上から消え去りました。その後2年間の監視期間を経て、1980 年5月WHO は天然痘の世界根絶宣言を行ったのです。

天然痘のウイルスを撲滅できたのには、3つの大きな要因があるそうです。

(1)天然痘は不顕性感染が少ない。

天然痘ウイルスに感染すると皮疹をはじめとした明確な症状が出るため、知らないうちに感染して他人にうつすようなことがありません。

(2)天然痘ウイルスはヒト以外に感染しない。

インフルエンザウイルスのように鳥や豚にも感染できるウイルスだと、ヒトの集団から一掃してもまた動物から感染してしまいますが、天然痘はそういうことがありません。

(3)天然痘には有効性の高いワクチンがある。

イギリスの医師、エドワード・ジェンナーが開発した種痘を改良した天然痘ワクチンが用いられました。

 

逆の言い方をすると、こうした条件がそろわないと、ウイルスを完全に撲滅することは困難だということになります。だからこそ、数多ある感染症で、地球上からなくすことができたのは一種類だけ、ということなのです。

新型コロナ・ウイルスの場合、これらの条件のうち(3)は今後の研究の進展で可能になるかもしれません。(現在のワクチンは、「短期間に開発された割にはよくできている」というレベルで、皆さんもご存じのように新株に対する有効性はまだ評価が分かれるところです。)しかし、(2)に関してはまだはっきりと解明できていません。そしてもっとも厄介なのが(1)です。気がつかないうちに感染したり、他人に感染させたりしてしまうという可能性があるからこそ、このウイルスは蔓延してしまっているわけですね。

こうし整理してみると、「ゼロ・コロナ」がいかに実現不可能な方針であるかは、誰にでも理解できることです。中国のように強引のこの政策を進めると、さまざまな弊害やあつれき、社会分断が起きてしまうかもしれないのです。

今取るべき方策は、むしろ「ウィズ・コロナ」だということは明らかなのです。

既に、いくつかの国ではこの方向にしたがって政策が打ち出されています。例えばイギリスでは、新規感染者数が少し減ったことを受けて、屋内の公共施設でのマスク着用の義務など、規制の多くを撤廃する方針を明らかにしています。以前の社会生活になるべく近い形に戻していこうということで、これは「ウィズ・コロナ」の方針に基づいているものでしょう。新規感染者数や死亡者数だけを見ると、まだまだ油断できないレベルなので、これはかなり思い切った政策と言えますね。

日本でも、このような方向を目指すべきだという議論は少しずつ大きくなってきています。コロナ・ウイルスが日本に上陸してから早くも2年。人々が疲弊してしまうよりは、多少のリスクを背負いながら、現状を受け入れていくタイミングとしては、悪くないでしょう。

何よりも大事なのは、なるべく冷静に、そして落ち着いて、今後の経緯を見守っていくことだと思います。もちろん、できる範囲での感染予防対策は必須ですが。

 

今回も、最後まで読んでくださりありがとうございました。

今週は2回とも少し硬い話だったので、次回は気楽な話ができればいいな、と思っています。

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常80 医薬分離って面倒だ?

こんにちは。

 

相変わらずオミクロン株が猛烈な勢いで拡大しているようですが、例えば第5波の時と比べると、社会全体の危機感は薄いような気がします。感染拡大のわりには重症者数の増え方が鈍いからでしょうか? そろそろ経口薬が使えるようになりそうだからでしょうか? それとも単純に、「コロナ疲れ」が進んでしまったからでしょうか?

まあ、これらすべての要素が絡み合っているのでしょうが、私は、今後の収束を見据えた時、もっとも重要なのは治療薬の普及であることは間違いないと思っています。

そんなわけで、今回は、病気や怪我に悩まされた時、必ずお世話になる薬にまつわる話を少し書きます。(コロナの話ではありません。)

 

以前も書きましたが、私はレブラミドという特殊な薬を服用していたときは、これが院内処方しか許されていないため、他の薬も一緒に病院の薬局で出してもらっていました。しかし、通常医師が処方する薬は、その医療機関ではなく、院外の調剤薬局で入手する決まりになっています。(院外処方・・現在は私もそうです。)いわゆる医薬分離という制度ですね。

この考え方や制度は意外なほど古くからあり、歴史を遡ると、ローマ帝国のフリードリヒ2世の名前が出てきますから、13世紀頃のことでしょうか。ただし当時は、国王などの権力者が、陰謀に加担する医師によって毒殺されることを恐れて、このような制度を導入したということなので、現在とは事情が全く異なります。

日本での導入は、GHQの指示を受けて1951年にいわゆる「医薬分業法」という法律が施行されてからですので、これも決して最近の話ではありません。その後、医療の高度や専門化、細分化が進むにつれて、現在のような形に定着したのです。ただ、医師に薬を処方してもらうという経験のない方にとっては、よくわからない制度ですし、今でも時々、病院内の薬局で「???」と迷っておられる方は時々見かけます。

では、現代医療の世界でなぜこれが有効と考えられているのでしょうか。厚生労働省等の説明を要約すると、以下の3点のメリットがある、ということのようです。

(1)より質の高い医療サービスの提供

(2)高齢化社会に向けてより安全な薬の利用

(3)医療費の適正化

 簡単に言ってしまえば、医・薬それぞれの専門性をもっと活かせるようにして、安全で安定的な薬の供給を行うとともに、医師が独断で必要以上の薬を患者に渡して「薬漬け」にしたり、国全体の医療費が高額になってしまったりすることを防ぐ、ということになります。

費用に関して言えば、日本全体で薬剤費は9.46兆円となっており、国民医療費43.07兆円に占める薬剤費の比率(薬剤費比率)は22.0%だそうですから、たしかに決して小さな数字ではありませんね。(2017年度のデータ。この数字は2000年代に入ってからあまり変化していないようです。)

しかし、デメリットがないわけではありません。まず、患者が医療機関調剤薬局の2カ所へ足を運ぶ必要があります。たいていの大きな病院の近隣には薬局がいくつかあり、そこに行けば、ほしい薬が手に入らないということはないはずです。しかし、例えば交通量の多い道路を渡らなければならないとか、やっと薬局に辿りついても30分から1時間近くも待たされる、ということもよくあります。当たり前のことですが、薬を欲しい人は病気や怪我を負っているわけですから、これは、相当な肉体的精神的負担になります。また、小さな医院(町医者)の場合は、近くに薬局があるとは限りません。ドラッグストア等でも「処方せん受付」という看板をよく見かけますが、こういったところでは品揃えがイマイチであることが珍しくないのです。

もう一点、大きな問題として、患者一人当たりの医療費が増えることがある、という点が指摘されます。院外処方になると、処方せん料や特定疾患処方管理加算などの医療機関への支払いに加えて、調剤基本料や薬剤服用歴管理指導料、薬剤料などの調剤薬局での支払いが発生します。つまり、両方に対して管理費用等に当たる分を患者が支払わなければならなくなるのです。気がついていない人も多いですが、国の医療費負担は減っているかもしれないけれど、個人の財布の負担が増えているとしたら、なんだか割り切れない気持ちになりますよね。

今のところ、医薬分離の仕組みを大きく変更するような議論や動向はほとんど見られません。医療がますます高度化し、新薬も次々に開発される状況下では、むしろその今の制度の安定化の方が重要ということでしょう。

ただ、患者側も「面倒だ」「カネがかかる」と文句を言うだけではなく、自分でできることも考えるべきだろうと思います。処方せん薬局というと、医師が発行した処方せんに基づいて薬を用意するだけだから、どこでも同じだと思う人が多いようですが、実際には必ずしもそんなことはありません。医療機関側と密に連絡を取り合って、処方せんの適正性をきちんと判断しているところや、薬を受け取りに来た患者に色々と話を聞いて、実際の服用量や時期についてアドバイスをするところなど、まさに専門性に基づいて医療の大変重要な部分を担っているという強い自負をもっている薬局はあるのです。私も、ある日自宅でくつろいでいたら、薬局から「その後お変わりありませんか」と電話がかかってきたことがあり、その丁寧な対応に驚いたことがあります。薬局も、求められる役割が高度・専門化するにしたがって、差別化を意識する時代になってきているということでしょうか。

薬局がどのような姿勢で仕事に臨んでいるのかは、その外観からはわかりませんし、普通は、途中で薬局を変えるということはほとんどないかもしれません。ただ、「薬局にもいろいろなところがある」という認識は持っておいて損はないだろうと思うのです。「薬局を選ぶ」のも自分の健康を考えるうえで大事になってくるのかもしれません。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常79 明日は1月17日です

こんにちは。

 

今回はまず訂正から。

前回の投稿で「大学入試センター試験」と表記しましたが、昨年度から名称が「大学入学共通テスト」に変更されているのですね。この改革は、計画段階では、記述式の問題を大幅に取り入れるとか、英語に関しては民間試験の利用などが検討されていましたが、さまざまな理由により結局そのほとんどが断念というかペンディングになったため、私自身の頭の中で「ほとんど変更がない」と意識してしまい、ついつい旧名称を使ってしまいました。大変失礼しました。

それからもうひとつ。これは訂正ではなく補足です。前回の投稿の主旨は、入試の絶対的な公平性を確保するというのは困難なことなのだから、当事者にとって納得できるような取り扱いを目指すべきだ、というものでした。しかしその具体策についてはほとんど触れませんでしたね。

通常通りの試験(共通テストと二次試験)を受験する人と、共通テストを受けられなかった人との不公平感を少しでも解消し、不安感を払拭するには、後者を入学定員とは別枠で合格基準を設けて、別途合否判定するしかありません。つまり、前者の定員からいくらかの人数を後者に回すために空けておく、というようなことをすると、合否ラインぎりぎりになった受験生にとっては大きな問題となる可能性があるからです。

ただし、この措置にはひとつ条件があります。

実は、文部科学省は各大学(国公立、私学共通)に対して、入学者数の管理を徹底することを求めています。つまり、あらかじめ公表されている入学定員に対して、実際の入学者数が多すぎた場合、大学としての評価が下がり、運営交付金(私学の場合は私学助成金)にも悪影響が及ぶようなペナルティが課される、というものです。これは、いわゆる「詰め込み教育」を排して「教育の質的保証」を行うと同時に、今後激化する大学間競争に一定の歯止めをかけようとするものなのです。

この方針そのものについても色々と議論があるかもしれませんが、とにかく、この方針が絶対的なものとして維持されてしまうと、今回のようなイレギュラーな入試を行う時には、各大学は柔軟な対応ができなくなってしまう可能性があるわけです。予定していた方式とは異なるルートで入学してくる学生がどの程度の数になるのか、今の段階ではわからないわけですからね。

ですから、文部科学省としては、早めに各大学にこうした措置を少なくとも今年度は取らない、ということを表明するべきなのです。そうすれば、現場は安心して、さまざまな対応をとることが可能になるだろうと思います。

 

それにしても、昨日から始まった共通テスト、色々と大変なようですね。東京では試験会場近くで高校生による傷害事件が起きてしまいました。また、トンガ近くで起きた火山噴火の影響で、日本にも大きな津波が来るかもしれない、とのことで、沿岸部の公共交通に影響が出たり、一部の会場で試験そのものが中止になるなど、まさに想定外の事態が次々と発生しています。とくに前者に関しては、被害にあった2人の受験生はもちろんですが、おそらくその周囲にいたであろう他の受験生に大きな精神的ショックがあったでしょうから、これをどのようにフォローしていくのか、大事なポイントですね。

 

火山噴火という言葉からすぐに連想してしまったのが、1995年の阪神淡路大震災でした。明日、1月17日であれから27年になるわけですが、あの時のショックはいまだに忘れられません。そして、まさかその16年後にはそれを上回る大きな被害を出す地震が発生するとは思いもしませんでした。

私はもともと関西出身なので、当時神戸やその周辺にはたくさんの知り合いが住んでいたのですが、周囲には、幸い亡くなった方はおられませんでした。しかし、さまざまな被害にあわれた方は多数に上りましたし、「知り合いの知り合い」の中には残念ながら命を落とした方もいらっしゃいます。

今ここで、当時の思い出を色々と勝手に書き連ねるのは、被害にあわれた方に対して何となく失礼な気がします。その代わり、というわけではないですが、今日、そして明日は、自分の心の中で、あの日あったことを思い起こして、静かに過ごしたいものです。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常78 「公平な入試」は可能か?

こんにちは。

 

また急に寒くなりましたね。今晩から明日にかけて、もっと寒くなるかもしれない、という予報も出ています。まあ1月中旬ですから、これぐらい当たり前のことかもしれません。

私のダラキューロを中心に据えた治療は、今日で第6クールが終了しました。治療開始前には、この薬が功を奏する確率は6割とか7割とか聞いていたように記憶しているのですが、今のところ、大変うまくいっているようです。しかし、このブログに何回も書いてきましたように、多発性骨髄腫という病気は今のところ「完治」に至ることはほとんど期待できませんので、ぬか喜びせずに、そして新型コロナの感染に気をつけながら、この冬を過ごしていきたいと思っています。

 

ところで、今週末は大学入試センター試験です。入試というのは、誰もが通る道でありながら、無事通過してしまうと、あまり興味を示さなくなる方が多いように思いますが、私はその運営にもかかわっていたので、仕事を辞めた今でも、その動向は今でも何となく気になるものです。

そういうわけでコロナ禍の中で行われる今年の大学入試には、いやでも関心を持たざるを得ません。とくに今回は文部科学省の新しい方針が次々と示されて、ニュースとしてかなり取り上げられています。直近では、1月11日付で、センター入試をコロナ感染のために受験できなくても、二次試験(各大学で行われる個別試験・・このふたつの試験結果を合わせて合否判定材料とするのがもっとも一般的な国公立大学の入試方法です。もちろん、推薦入試等、例外はありますが)の結果だけで合否判定する救済策を検討するように、という要請が各大学になされたそうです。(コロナ・スキップという表現を用いているマスコミもあります。)

実際にコロナ感染に怯える受験生にとって、このような措置は救いの手になるのかもしれません。彼等にとっての安心材料が少しでも増えることは、望ましいことでしょう。

ただ、通常通りの試験を受ける受験生との公平性の問題は、どうしても残ってしまいます。また、受験科目の多いセンター入試を回避する手段としてこれを悪用する者が出てこないとは限りません。しかも今回は、場合によっては医師の診断書の提出も免除するかもしれない、とのことですので、かなり大きな抜け道がある、というのが正直な印象です。その他にも色々とクリアすべき課題はあるのですが、直前になって対応を迫られる各大学の苦労も、はかり知れません。ただでさえも、ノロ・ウイルス対応やインフルエンザ対応で別室受験等を考えなければならないのに、このうえコロナ対応をどのように進めればよいのか、おそらく、今週は毎日のように会議が行われて、関係者の皆さんは頭を抱えておられるでしょう。

私は、感染対策としての特別対応については、まったく否定するつもりはありません。まあ、もっと早めに方針が示されればよかった、とは思いますが、オミクロン株の急激な拡大を考えると、ある程度やむを得ないかもしれません。

それはまあ良いのですが、受験生やそのご両親、高校側の大きな戸惑いの最大の要因は「公平性は保たれるのか」という点だろうと思います。せっかくの救済措置が新たな疑心暗鬼や不信感、不公平感を生んでしまったら、たしかに元も子もありません。ちょっと大げさに言えば、大学入試そのものの信頼性にかかわる問題になってしまうリスクもあるのです。

ただ、これまで行われてきた入試が本当に完全な公平性を担保する形で行われてきたのか、というと、決してそんなことはありません。わかりやすい例を挙げるなら、各受験生の自宅から受験会場までの移動時間、移動距離にはずいぶんバラつきがあります。二次試験の個別入試は、自分でその大学を受けるという選択をしているのですから、まったく問題はありませんが、センター入試の場合はセンター側で会場が決められてしまいます。そして受験会場は主に全国の大学が使用されますが、地理的に見てそんなにバランスよく配置されるわけではなく、居住地域によっては、泊りがけになる受験生も少なくありません。でも、たいていの人は「しょうがない」と思ってあきらめていますよね。

また、受験会場というか教室の中でも不公平はついて回ります。例えば指定された席が窓側か廊下側かで温度や風の具合は異なります。さらに言えば、教室によって、環境が異なることも珍しくありません。

その他、細かなことを書いていけば、ずいぶんたくさんの問題はありますし、受験生はみんなそれを「不公平だ」と不満を言うのではなく、多少の不公平が生まれることはやむを得ないことと納得して、試験の臨んでいるのです。

つまり、本当に大事なのは公平性ではなく、当事者が納得するかどうか、そのための説明がきちんとなされているのか、ということなのです。完全な公平性を実現することが困難であるならば、次善の対策をとることによって、大きな不信感を抱かれないようにし、その姿勢を示すことこそ、今、文部科学省や各大学に求められる姿勢なのです。なるべく公平性を保つ努力は必要ですが、それだけが指標ではないということですね。

 

ここから下に書くことはまったくの私論で、少し乱暴と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、あえて書いておきます。

大学入試は、社会に出ていくための準備である大学での勉学の門をたたくという、いわば入入口の入り口のような段階です。そして実社会では、どうみても不公平だと思わざるを得ないようなことは本当にたくさんあります。しかし、それらのすべてを完全に除去することはおそらく不可能です。それよりも、現状を嘆いたり、怒りに拳を固めたりするのではなく、ある程度はそれを受け入れたうえで、自分にできることを考えていく。そんな姿勢が、社会人として生き抜き、力を発揮していくために重要なポイントだと思うのです。なお、どうしてもリカバーできず、その人の人生にとって取り除くことのできない障害になってしまうような不公平はなくしていく努力が必要であることは言うまでもありません。人種差別や性差別問題などはその典型ですよね。

 

今日も少し長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださいありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常77 現代のディーヴァ候補?

こんにちは。

 

オミクロン株による新規感染が拡大してしまい、少々うんざりしている今日この頃ですが、皆さんお変わりないでしょうか。ヨーロッパの状況を見ると、いくつかの国では既にピークは過ぎたところもあるようで、しかも、死者数はさほど増えていません。もちろん、だからといって安心はできませんが、何とか一日も早く収束してくれるといいですね。

 

さて、気を取り直して今回の本題です。前回投稿の最後にディーヴァという言葉を使いましたが、私はMISHAさん以外にも将来そのような存在になれるのではないか、と秘かに思っている歌手がいます。歌手、というよりグループなのですが、リトル・グリー・モンスター(Little Glee Monster)という女性ヴォーカル・グループがここ数年の私のお気に入りです。すでに紅白歌合戦への出演経験もありますので、歌は聴いたことがなくても、名前ぐらいは知っている、という方もいらっしゃるでしょうか。

2014年に6人組としてメジャー・デビューした彼女達ですが、まだ全員20歳代前半。キャリアをかなり積んでいる割には、まだまだ若い世代と言えるでしょう。(ちなみに、一人脱退したため、現在は5人組で活動しています。)

彼女達の歌をなんとなく聴いたことがある、という人の印象は「歌の上手い娘たち」というものでしょう。たしかに、長期にわたる合宿形式のオーディションを勝ち抜いた人達によって結成されただけあって、個々の歌唱力は、デビュー当初から同世代では図抜けていました。しかし、彼女達の真価は、そんなに単純なところにあるわけではありません。ポップ・コーラス・グループとして超一級の実力をもっているのです。

日本には、アメリカほどではないにせよ、昔からコーラスをウリにするグループはたくさんありました。古いところでは、キングトーンズ(♪グッドナイト・ベイビー・・・これはかなり古い曲です)、サーカス(♪ミスター・サマータイム・・これも懐メロになってしまいました)、ゴスペラーズ(♪ひとり・・これはある程度若い人もご存じかもしれませんね)など。「ハモネプ」ブームもありましたね。しかし、はっきり言って、どのグループも、「メンバーで声を合わせる」ことに精一杯で、本当の意味で魅力的なパフォーマンスをできていません。ところが、リトル・グリー・モンスター(リトグリ)はそういったレベルを軽々と超えたハーモニーを聴かせてくれます。リード・ヴォーカルの部分はそれぞれの声を活かした、とても自由で力強い歌声を前面に出す一方で、コーラス・パートはピタリと息を合わせてきます。リードを歌う時とは完全に歌い方を変えて、ハーモニーを作り出すことに専念しているのです。この、ケース・バイ・ケースで歌い方を自在に変えることができる、というのが彼女たちの第一の強みなのです。メンバーの一人、かれんさんは、特技として「コーラス」を挙げているのですが、そのことの意味をちゃんと理解している人は意外に少ないかもしれません。

もうひとつ、彼女たちはよくアカペラを披露するのですが、その冒頭の歌いだしで「音取り」、つまりこれから歌いだす最初の音を何かの楽器であらかじめ鳴らす、ということをしません。つまり、自分が出すべき音が完全に頭の中に入っているのです。いわゆる絶対音感というやつですが、これをメンバー全員がもっており、ズレが生じないというところが驚異的なのです。実は、私も幼少の頃絶対音感を養う訓練を受けていて、今でもある程度はそれが残っているのでわかるのですが、絶対音感というのは天賦の才ではなく、飽くことのない反復練習による記憶の刷り込みによって身についていくものです。(もちろん、元々ある程度の音感がないことには話にはなりませんが) 彼女達はそんなに低年齢の頃から訓練を受けていたわけではないはずです。ということは、前述のオーディション等のなかで、徹底的に鍛えられたのだろうと思われます。でも、そんな素振りは一切見せず、軽々と楽しそうに歌ってくれる。そこに、私はディーヴァとしての可能性を感じるのです。

音楽の3要素として、ハーモニー、リズム、メロディがあげられるのですが、コーラスの場合には、これに加えて音色が重要です。そしてこのグループはそれらをバランスよく持ち合わせた、これまでの日本のポップス界にはほとんどいなかった存在なのです。

ただ、懸念材料、というか心配な要素もあります。

ひとつは、彼女達がまだ本当に良い曲に巡り合うことができていないこと。いわゆる現状では「応援ソング」が非常に多く、少し変化が乏しいのも弱点です。これは、今後の展開に期待するしかありません。もうひとつは、5人でやっていくことの難しさ。これから経験を重ねるにしたがって、メンバーそれぞれの音楽志向は異なってくるかもしれません。そんなとき、グループとしてひとつの音楽を作り続けていくことができるのかはわかりません。また、それ以外にもメンバーの一部が何らかの理由で脱落することも十分にあり得ます。現に、ステージではセンターで歌って、周りを引っ張る役割も担っている芹奈さんは、心身のバランスを崩してしまい、双極性障害と診断されたため、一昨年末から長期にわたって離脱していました。昨年夏ごろいったん復帰したのですが、まだ十分な状況ではないらしく、現在は再休養を余儀なくされ、この影響で、グループのライヴ・スケジュールにも大きな影響が出てしまっています。彼女達はまだまだ若いだけに、可能性も無限ですが、リスクもまた様々に考えられるわけです。

今回は、興味のない方にはまったくどうでもよいような話題で失礼しました。でも、この記事を見て「ちょっと聴いてみようかな」と思った方は、YouTube等にたくさん動画がありますので、ちょっと覗いてみてください。ちなみに、6人組時代にゴスペラーズの代表曲「永遠に」をカバーしているのですが、これを聴いたゴスペラーズのメンバーはあまりの素晴らしい出来栄えに「殺意を覚えた 笑」そうです。 https://www.youtube.com/watch?v=em5i_PNnrkY

 

次回は、もう少し誰でも入っていける話題を取り上げたいものです。

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常76 寅(虎)のこと

こんにちは。

 

前回の投稿について、kihachijyouさんから、「古来、日本には虎はおらず、中国に渡って寅を実際に見た人もほとんどいなかったはずだが、どうやってあんな風に描くことができたのだろうか」という主旨のコメントをいただきました。これは私も以前から疑問に思っていたことでしたので、少し調べ、また、考えていたのですが、そうこうしているうちに、単にコメントに対して返信するだけでではもったいないような気がしてきましたので、このような形で投稿することにしました。Kihachijyouさん、申し訳ありません。(懲りずに、またコメントをお願いします。)

 

さて、虎を描いた日本画というと、真っ先に思い浮かぶのが江戸時代の絵師、円山応挙です。彼がなぜ虎という素材に魅せられたのかは不明ですが、中国や朝鮮半島において武勇や王者の象徴とされていた虎は、日本でも龍とともに霊獣とされ、絵画のモチーフにしばしば用いられていたそうです。したがって、虎の絵そのものは応挙の専売特許ではありません。ただ、彼はきわざわざ中国から毛皮を取り寄せて、その質感を研究するとともに、姿や形については中国の絵画も参考にしたようです。しかし、当時から「よく似ている」と言われていた猫をモデルにし、その動きを参考にしたという話も伝わっています。

ただ、よく考えてみると、野生動物である虎の生息地は基本的に森林地帯であり、当時の中国の人々にとっても、そんなに身近な動物ではなかったはずです。そうすると、ある程度は想像で描いていくしかありません。なんといっても霊獣なのですから。龍の場合は本当に想像上の動物ですが、虎は現に生息している動物であることはわかっているのに、それを描こうとすると、大いなる想像力が要求される。こんなところにも、多くの芸術家が魅せられた要因があるのかもしれません。

そんなわけですから、現代の目から見ると、江戸時代の絵には若干違和感を覚えるところもあります。例えば応挙の場合は、手足のバランスがなんだかおかしいような気がしますし、何よりも、顔が愛くるしすぎます。これも猫をモデルにしたことが原因でしょうか。

応挙の絵も素晴らしいのですが、私が最も好きな絵は、応挙の弟子であった長澤芦雪の描いた襖絵です。これは、和歌山県串本町無量寺の一室の襖絵3枚に描かれた堂々たる大作で、虎は前かがみになって、何かを狙っているような姿勢をとっています。私は幸いにも実物を見たことがあるのですが、長いしっぽに刺々と逆立ったヒゲ、そして何よりも絵の大きさに圧倒されます。そして襖からはみ出そうな勢いの、伸び伸びとした筆致は、応挙にはあまりなかったものかもしれません。しかし、よく見ると顔があなんだか可愛い。おやっと思って、裏側の襖に描かれた絵を見ると、そこにははっきり、池で泳ぐ魚を狙っている猫が描かれています。そして、にらまれた魚の驚愕の表情も、見逃せません。そう、つまり表側の虎の絵は、魚から見た猫の姿、ということなのです。芦雪は虎が猫に似ている、という情報を得ていたものの、「いやいや、そんなに可愛らしいものではないはずだ」と思い、このような仕掛けを施した絵を描いたのでしょうね。視点を変えると、見えるものの様子も大きく異なってくる、ということなのです。まあ、芦雪自身はかなり破天荒な生き方をした人らしいので、そんな教訓めいたことを伝えたかったのではなく、「遊び心」だったと思いますが。

その他にも、虎を描いた絵画や工芸作品はたくさんあります。寅年のこの機会に、見て回るのも面白かもしれませんね。

それにしても、十二支というのは不思議なものです。どうして現在のような12匹のラインアップになったのかは、研究者にもよくわからないそうです。比較的身近な動物や、人間のあるべき方向性を指し示す象徴のような動物が選ばれた、という説もありますが、なんとなく後付けの理屈っぽくも感じます。ちなみに「なぜ、もっとも身近な動物である猫は入っていないのか」という疑問に対しては、「ネズミにだまされて、うその集合日時を教えられた」という説もあるようです。中国にもトムとジェリーがいたのでしょうか??

 

そんなわけで、今回も少し正月っぽい話題となりました。本当には他にも色々と書きたいネタはあります。例えば、紅白歌合戦大泉洋さんの司会が少しウザかった、とか孤独のグルメ年末スペシャルは、昨年、一昨年の方が良い出来だったとか。しかし、こうしたネタで引っ張っていくのも、既に日常のリズムを取り戻しつつある皆さんには面白くないかもしれませんので、このあたりで終わりにしておきます。ただ最後に一言。紅白の大トリで歌ったMISIAさんは、おそらく必ずしも完璧な出来栄えではなかったと思うのですが、それでもあの圧倒的な歌唱力! 現在におけるディーヴァ(歌姫、いや歌の女神というべきかもしれません)とは、この人のことを指すのだ、としみじみ感じた大晦日でした。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常75 正月ですね

 

こんにちは。

 

三が日が終わり、そろそろ日常に戻っていきますね。今年は、本当に良い年になるといいのですが。

皆さんは、正月をどのようにお過ごしになったでしょうか。

 

正月からはじめてこのブログをご覧になった方もいらっしゃるようなので、改めて、その主旨を簡単に書いておこうと思います。

まず、このブログは、タイトルにありますように、私自身が大きな病気をした経験と、その時に色々と考えたこと、感じたことを中心に書いています。通し番号00から32あたりまでは、病気に罹患した経緯から入院生活、そしてその周辺の話にいたるまでの経緯を書いています。ですから、基本的には「昔話」になります。もともと、これを書こうと思ったのは、当時、きちんと説明できなかった知人・友人に、今さらながら、なるべく正確に伝えておきたいと思ったこと、そして自分自身もこれまでとくに記録を残していなかったので、記憶がかすんでしまわないうちに文章の形で残しておこうと思ったことが、その主な理由です。

通し番号33あたりからは、現在の治療状況を交えながら、最近色々と感じていることを、自分なりに書いています。ただ、単なる説明に終わってしまっては読んでいる方にとってあまり面白くないような気がしますので、毎回、ひとつかふたつは「へえっ」と思っていただけるようなネタを入れるように工夫しているつもりです。また、コロナ禍の問題も時々触れています。ただ、私自身の本来の専門領域の話は、書き出すと論文のようになってしまいますので、なるべく避けるようにしています。

ブログというものは、発信手段としては、YouTubeツイッター等に比べて「時代遅れ」とも言われていますが、どうしても文章が少し長くなりがちですし、動画を撮るとなると色々と準備が必要になりますので、こうやってブログという手段をとっている次第です。「長いなあ」と思われたものは適当に読み飛ばしていただいてもかまいませんので、末永くおつきあいくだされば幸いです。

 

そんなわけで、今年もよろしくお願いします。

ちなみに、私自身の正月の恒例行事としては、その年の干支(正確に言うと、十二支)にちなんだ社寺に初詣に行く、というものがあります。別に仏教や神道を信仰しているわけではありませんし、普段「今年は寅年だなあ」などと意識することはまったくないのですが、元日は朝から普段より格段に多い量食べますので、腹ごなしの散歩を兼ねて、「どうせ行くのなら・・」という感じで毎年続けているのです。ちなみに、今年は京都市建仁寺塔頭である両足院というさほど大きくはない寺院に行ってきました。ここは秘仏として毘沙門天が安置されているのですが、その使いとされているのが虎なのです。そしてここには、狛犬ならぬ狛虎が鎮座しています。また、香炉にも2匹の虎が見られます。ただ、参拝客の圧倒的な人気を集めているのは、寅みくじです。これはちょっと虎とは思えない、かわいさを前面に押し出した姿で、ちょっと笑ってしまいます。と言いながら、思わず買ってしまいました。なかなかの商売上手ですね。(笑)

 

f:id:kanazawabaku:20220104192819j:plain

f:id:kanazawabaku:20220104192906j:plain



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常74 【お手軽】初日の出

皆さん、年が明けましたね。

寒気が日本列島を覆っているようですが、いかがお過ごしでしょうか。

今年も、相変わらず投稿していくつもりですので、よろしくお願いします。

 

というわけで、新年第1回は今朝7時過ぎに我が家のベランダから見た初日の出の写真です。別に見ようと思っていたわけではないのですが、起床した時は意外なほど天気が良く。ちょうど日の出の時間帯でした。近くのビルが映ってしまっていますが、ベランダから見た景色にしては、悪くないですよ。

 

f:id:kanazawabaku:20220101170108j:plain



明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常73 「第九」と「蛍の光」

こんにちは。

 

大雪は収まったようですが、その代わりに今度は日本海側で雨が降るようですね。雪の後の雨って、融雪に役立ちますが、逆に、落雪や雪崩の危険は増します。また、道路がシャーベット状になってしまい、大変足元が悪くなりますので、こうしたリスクある地域の方はお気をつけください。今冬はかなりの積雪になると予想されていましたが、本当にその通りになっています。また、大晦日頃には、また大きな寒波が来るようですので、しばらくはあんしんできませんね。

 

ところで、皆さんは年の瀬によく流れる曲というと、何を思い浮かべるでしょうか。紅白歌合戦で毎年のように流れる曲、例えば石川さゆりさんの「天城越え」が頭の中を流れる人も少なくないでしょうが、どの世代にも共通するのは、やはりベートーヴェン交響曲第9番、いわゆる「第九」ではないでしょうか。

毎年12月の一か月間に日本全国で「第九」はどのぐらい演奏されるのか? 今年、昨年は減っていますが、多い年だと150回にものぼっているそうです。ものすごい数ですね。日本を代表する指揮者だった朝比奈隆さんは、その生涯に251回も「第九」を指揮したそうですから、まさにギネスブック級ということになるかもしれません。

ただ、例えばヨーロッパの実情を見ると、この曲は「とても大切にしなければならない、特別な曲」であって、一生のうちで、その本当の節目やスペシャルな機会にだけ演奏されるもの、という位置づけになっているようです。有名なところでは、例えばベルリンの壁が崩壊したことを祝して1989年12月25日にレナード・バーンスタイン(ミュージカル「ウェストサイド物語」の作曲者としても知られるアメリカ人指揮者)が指揮台に立ち、東西ドイツの一流オーケストラが合同で演奏を行ったコンサートがよく知られています。ちなみに、このコンサートでは、バーンスタインは、元々の詩にあった“Freude(歓喜)”という言葉を“Freiheit(自由)”に変更して歌わせています。

では、日本ではなぜ年中行事のようにこの曲が扱われるようになったのでしょうか。

色々と説はあるのですが、その音楽的価値とはあまり関係のない、しかし興味深い説明として、オーケストラ団員のボーナス(というか、いわゆる「モチ代」)を支給するため、というのがもともとの目的だった、というのがあります。この曲、比較的大規模な合唱団が必要となります。そのほとんどはアマチュア合唱で、自分の出るコンサートのチケットを、知人等に売ってくれます。すると、会場は大入りとなり、オーケストラもかなりの額の収入を見込むことができる、というのです。オーケストラ団員は、プロとは言え、収入面では必ずしも恵まれていない方も多いため、こうした仕組みが日本の音楽界を支える一助となってきたのかもしれません。

もちろん、こうしたことだけが目的ではないでしょうし、何よりも、この曲のもつ強いメッセージが、多くの人を惹きつけてやまない、ということが前提であるのは当然ですので、生々しい話だけで演奏されているわけではありません。

なお、以前も少し書きましたが、私は学生時代からかなり長い期間、合唱団に所属していました。大病してからは、ちょっとご無沙汰になっていますが、今でも、合唱はかなり思い入れのある音楽ジャンルのひとつです・・・という話をすると、たいていの方が「やっぱり第九ですか」とお尋ねになるのですが、実は、まだ歌ったことがありません。

それは、この曲が嫌いだからではありません。あまりのも大きな曲であり、ちゃんと歌うにはかなり練習をつまないといけない難曲であるため、なんとなく敬遠してきた、ということになります。難曲、というといわゆる「歓喜の歌」のメロディだけをご存じの方は不思議に思うようですが、この曲、全体像をみると、決して簡単なメロディだけで作られているわけではありません。合唱団の出番は、第4楽章だけですので15分程度なのですが、全体的にかなり高い音を出すことが要求されますし、かなりのパワーをもって歌わなければなりません。ドイツ語の歌詞を、ほぼ暗譜状態で歌わなければならないことは言うまでもありません。蛇足ですが、第1楽章から第3楽章までは聴いているだけなのですが、出番になってからぞろぞろとステージに登場するわけにはいきませんので、曲が始まってから約1時間、ステージに設けられた椅子に座って、ひたすら第4楽章を待つことになります。何もしないでよい、とは言え、ステージに上がっているわけですから、客席からはずっと見られているわけで、これはけっこう緊張するものだろうと思います。

そんなわけで、ちょっと怖気づいた結果、今に至る、というのが正直なところですが、死ぬまでには一度はちゃんと歌いたいな、という気持ちがあることもまた事実です。経験者は皆さんによると、歌いきった後の充実感は何にも代えがたいそうですから。

 

ところで、ヨーロッパで年末に必ず流れる曲、とは何でしょうか。もっとも一般的なのが、スコットランド民謡の“Auld Lang Syne”という曲です。ご存じないですか? 日本でも誰でも知っている曲、「蛍の光」の原曲です。この曲、日本でイメージされるような別れの曲ではなく、旧友との再会を祝し、酒を酌み交わす、という大変陽気な歌詞だそうです。そして、例えば大晦日に年をまたぐ瞬間、カウントダウンがゼロになると同時に、大騒ぎし、皆で踊りながら、この曲を合唱する、というのがよく見られる風景だそうです。

新年の迎え方も、国や地域によってずいぶん異なるものですね。

 

さて、そんなわけで、このブログも年内は今回を最終回にします。新年はいつから再開するか決めていませんが、これまでと同様、気が向いたときに覗いてみて下されば幸いです。

 

2022年が皆さんとって素晴らしい年になりますように。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常72 光害ってご存じですか?

こんにちは。

 

今回はまず、前回の続きを少し。

宮川花子さんですが、一時は本当に危なかったみたいですね。下半身不随の状況に陥り、医師からはなんと「余命1週間」を宣告されていたそうで、その時のご本人の衝撃はちょっと計り知れないものがあります。本当に、よく日常に戻ってこられたものだと思います。

それから、佐野史郎さんが無事退院された、という報道もありました。彼の場合は、造血幹細胞自家移植という大きな治療を終えて、その回復を待っていたということなのでしょうが、予想よりも早い退院になったとのことで、なによりです。

お二人とも、年末年始になる前に新たな一歩を踏み出せたのは、同じ病気を抱える人間として、本当に嬉しい限りです、正月を病院のベッドで過ごすなんて、やっぱり嫌ですよね。

ただ、そうは言っても、年をまたいで入院を続ける方はたくさんいらっしゃいます。そういう方のために、病院側では簡単なおせち料理(のようなもの)を出すなど、色々と工夫はしています。

そういえば、私の経験では、土用の丑の日の夕食に鰻丼が出てきたことがあります。(これは以前の投稿でご紹介しました。)また、ハロウィンの日には、いつもよりデザートが余計に配られて、何かと思ったら、カボチャのプリンでした。あれも少し笑ってしまいましたね。もっとも、同室の年老いた方は、何のことだかさっぱりわかっておられなかったみたいです。

まあ、入院生活が長くなると、こういったアクセントのようなものも必要です。病院の外での日常生活を思い出すことにもなりますから。

 

年末にこういった光の差すような少し明るい話題ができることはとてもうれしいことです。そして年末あるいは冬の「光」と言えば、各地で行われるライトアップやイルミネーションですよね。(話の転換が強引で、申し訳ありません。)

 

少し前になるのですが、京都・嵐山の花灯路というライトアップのイベントに行ってきました。嵐山と言えば、京都でも有数の観光名所で、なかでも渡月橋の眺めはよく紹介されます。私の出かけたイベントでは、渡月橋ももちろんライトアップされていましたが、もっともメインになるのが、竹林の小路のライトアップ。写真を見て頂ければわかるように、竹林の中にライトを仕込んで、ほんのりと周りを照らす、というかなり上品なものです。こういう言い方をすると良くないかもしれませんが、大都会のイルミネーションとは一味違う、風情を感じさせてくれるものでした。

f:id:kanazawabaku:20211227183421j:plain

近年、こうしたイベントは全国各地で行われていますね。とくにLEDライトが普及してからは、熱を持たないので扱いやすいうえに、色彩の演出もいろいろできて、そのバリエーションがどんどん増えています。ただ、本来暗いはずの所にライトを当てるわけなので、それなりの弊害も指摘されているところです。それが「光害」と呼ばれるものです。

環境省の出している「光害対策ガイドライン」によると、光害とは下記のようにかなり多岐にわたるものです。

(1) 動植物への影響

(a) 野生動植物

①昆虫類 ②哺乳類・両生類・爬虫類 ③鳥類 ④魚類

⑤植物 ⑥生態系

(b) 農作物・家畜

①農作物 ②家畜

(2) 人間の諸活動への影響

(a) 天体観測への影響

(b) 居住者への影響(住居窓面)

(c) 歩行者への影響

(d) 交通機関への影響

①自動車 ②船舶・航空機

 

こうやって並べてみると、ライトアップされている時にだけその場所を訪れて「きれいだなあ」などと呑気なことを言っている自分がちょっと恥ずかしくなってきます。普段からそこで生活している人々や動植物にとっては、とんでもなく迷惑になることもあるのですね。

今回の嵐山のライトアップに関しては、私の見る限り、光害にはかなり配慮されているようにも感じました。おそらく、専門家の意見を取り入れたうえでのライト設置が行われているのではないでしょうか。

個人的には、キラキラした眩いばかりのイルミネーションよりも、こういう薄ぼんやりとしたような明かりの方が好きです。まあ、人の好みは色々なので、そのこと自体はここではこれ以上は触れません。ただ、コロナ禍の前、外国人観光客をもっと惹きつけるためには日本でも「ナイト・エコノミー」が必要だという議論があったことを覚えていらっしゃるでしょうか。要するに、夜ももっとたくさんの店を開け、イベントを開催することによって、観光客にお金を使ってもらおう、ということなのですが、これにはあまり賛同できないでいます。そして、イルミネーション等がそれを演出するための手段として用いられるのならば、「ちょっと待ってくれ」と言いたくなります。(これについては別の機会に書きます。)

いずれにせよ、周囲の環境への影響を思いやるような気持ちは失わずにいたいものですね。

 

なお、嵐山の花灯路はすでに終了しています。また、京都市の財政難その他の理由により、2005年に始まったこのイベントは今年で最後になるそうです。行ってみたい、と思った方、悪しからず。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

猛烈な寒波襲来で、各地に被害が出ているようです。皆さん、お気をつけください。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常71 クリスマスに寄せて

メリー・クリスマス!

 

今日はクリスマス・イブですね。まあ、私達の日常生活にとくに変化はないですが。

ちなみに、私は昨日からダラキューロ治療第6クールに入りました。とは言っても、来週は年末で病院が休みのため、次回通院は年明けとなります。年末年始が近づいているためでしょうか。昨日の病院は混んでましたね。いつもより待合室に人が多く、若干密になってしまっていました。オミクロン株による感染が急速な拡大する中で、ちょっと不安はありますが、今のところとくに異変は生じていません。

 

それはともかくとして、クリスマスというとキリストの誕生日だと思っている人が多いようですが、本当のキリストの誕生日って何月何日かご存じですか? 実は、新約聖書にも明記されておらず、近年の研究では10月1日または2日という説が浮上しているようですが、たしかなものではありません。要するに「よくわからない」んですね。

では、なぜ12月25日がクリスマスと呼ばれるようになったのか。そのように定められたのは4世紀半ばで、当時のローマ教皇ユリウスの時代だと言われています。それ以前からローマをはじめ、ヨーロッパではこの時期を「冬至祭」として祝う風習がありました。これは,冬至という一年で一番夜の長い夜を超えて、そこからは暗くて実りのない冬が次第に遠ざかり、新しい世界が始まることを祝するという意味があります。キリストの誕生もこの世に「光」をもたらすものとしての意味がありますから、その誕生を祝うことは、冬至祭の主旨とかなり重なり合うところがありますね。そこで、「そういうことなら、一緒に祝ってしまおう」ということになったようです。ですから、12月25日が「キリストの誕生日」だというのはおそらく間違いですが、「キリストの誕生を祝う」という日であることは確かなのです。なお、キリストの誕生は真夜中、つまり24日と25日(正確には25日の午前2時頃?)とのと言い伝えられていますから、24日をイブとして祝うことはまったく間違っていません。また、近代に入ってからは、この時期からそのまま新年のお祝いへとなだれ込むという流れも普通のものになったようです。要するに、冬の大きなイベントが実質的に合体していったわけですね。

クリスマス・トリビアをもうひとつ。

クリスマスは英語のChrisutmasつまりキリストのミサ(礼拝)であることはご存じの方も多いでしょう。ただ、このままでは単語としてやや綴りが長いので、日本ではX’masまたはXmasと表記されることも多いですよね。この”X”って何だ?と思って調べてみると、もともとはギリシャ文字に”X2に似た文字があり、それは現在のアルファベットでは”ch”に置き換えられるということになっていることがわかりました。つまりその頭文字をギリシャ文字に逆置き換えしたわけですね。いつ頃から誰がこのような表記を行うようになったのかはよくわかりませんが、すっきりしていてなかなか良い省略の仕方かな、と思います。ただ、欧米ではこれは通用しない、との指摘もありますので、外国の知人・友人にクリスマス・カード等を出す際にはご注意ください。(今年はもう手遅れでしょうか  笑)

 

ほかにもクリスマスの関するネタはたくさんありますが、それはまた来年まで取っておきましょう。いずれにせよ、この時期になると、今年一年を色々と振り返るようになりますね。そういう意味では、この時期にこういうイベントがあるのは、別にキリスト教信者でなくても、大きな意味はあるような気がします。

 

前回暗い話題でしたので、今回はもうひとつ少し明るい話題を。

2回ほど前の投稿で佐野史郎さんの多発性骨髄腫罹患を取り上げた際、その最後に夫婦漫才の宮川大助・花子の宮川花子さんのことを少しだけ書きました。その花子さんですが、去る12月19日に約2年ぶりにイベントに参加し、ご夫婦でステージに上がられた、という嬉しいニュースが流れてきました。漫才のスタイルのようにセンターマイクを挟んで・・というわけにはいかず、お二人とも椅子に座ったままのトークでしたが、約30分間のステージで、お得意の「夫いじり」も含めて客席を大いに沸かせたようです。

私は若い時を関西で過ごしましたので、色々と個性的な当時の漫才をたくさんテレビで視聴しました。その他、関西の寄席では漫才も落語も、そして奇術やアクロバットも一緒に放映していましたし、吉本新喜劇松竹新喜劇も、当たり前のように流れていました。それらは、お笑いが好きであるかどうかには関係なく、DNAとして身体に刷り込まれています。その結果、こう見えて?今でもけっこう「お笑い」にもうるさいのです。先日のM-1も全部見てしまいました。今年は去年よりも全体のレベルが高く、非常に見応えがありましたね。決勝に残った3組は、どこが優勝してもおかしくありませんでした。・・・話が横道にそれました。すみません。

要するに、ずいぶん昔から大助花子さんの漫才にも接していたわけです。当時と、ネタの基本線は変わっていませんが、病気に罹患される直前の比較的最近まで、そのパワーや声色、動き、スピードもほとんど変わっておらず、年齢による衰えは全くと言ってよいほどありません。あれを貫き通すには、相当の体力と精神力が必要でしょうから、まったくの元通りのレベルの漫才を今すぐにできる、と考えるのは少し無理があるでしょう。

今回のイベントでのお話のされ方がどのようなものであったのかはわかりませんが、少なくとも口だけでも達者なら、あのマシンガン・トークをまた聞きたいものだ、と思ってしまいます。また、同じ病気に罹患している人間としては、こうやって再びステージに上がられたことだけでも、心から拍手したい気分です。おそらく、同じような気持ちの方はたくさんおられるでしょう。私も含め、そういう方にとっては、今回のニュースは何よりのクリスマス・プレゼントになったはずです。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうごあいました。

最近のペースだと、年内の投稿はあと2回ぐらいになるでしょうか。またおつきあいくだされば幸いです。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常70 メンタルの問題はむずかしい

こんにちは。

 

歌手・女優の神田沙也加さんが亡くなりましたね。私は、お母さんである松田聖子さんの大活躍されていた時代に青春を送った人間ですので、娘さんには直接の思い入れはありませんが、わずか35歳で自らこのような選択をしてしまった彼女の胸の内を想うと、やはり心が痛みます。数回前の投稿でも書いてように、自らの命を絶つという行為は、決して美化されるべきことではなく、むしろ「馬鹿野郎」と言いたいのですが、そこに至るまでの彼女の気持ちの変化を思いやると、「これで本当に楽になれたのなら、少しは魂も救われるのかな」という思いもまた湧いてきます。彼女の身に何が起きていたの、知る由もありませんし、詮索する気もないのですが、おそらくさまざまな要因が複合的に絡み合って、その糸がほどけなくなってしまったのでしょう。いくつかの文献を読む限り、人間はひとつだけの要因ではなく、複数のことがごちゃごちゃに絡み合ってしまった結果として、大きなメンタルヘルスの問題を抱えてしまうようです。そしてその最悪の結末が、自分の身体を傷つけることによって、そこから逃げようとする行為なのです。

そういえば、先日大阪で発生した24人もの犠牲者を出した火災現場も、職場のメンタルヘルス問題を専門に扱う心療内科クリニックでしたね。そして容疑者として特定されている人物もまた、このクリニックの患者の一人だったようです。

 コロナ禍であるということを差し引いても、近年、メンタルヘルス問題は非常に注目されてきています。他の病気やケガとは異なり、どこからをメンタルヘルスの問題とみなすのか、という境界線が大変あいまいです。線引きが難しいのですが、とりあえずの指標として、厚生労働省のデータを見ると、下のグラフのように、明確な増加傾向が見られます。精神疾患による労災請求・認定件数も増加傾向にあり、無視できない社会問題になりつつあるのです。また、ここで挙げた数字が氷山の一角に過ぎないこと、そして仕事以外の要因が大きなウエイトを占めている方が多数いらっしゃることは言うまでもありません。(労災に関しては、すべての方が亡くなったというわけではありませんので、誤解のないようにお願いします。)

f:id:kanazawabaku:20211219165928p:plain

出典:厚生労働省精神疾患による患者数」

f:id:kanazawabaku:20211219170020p:plain

精神障害による労災請求・認定の状況(厚生労働省による)

 

 

日本という国、そしてそこに立地する企業は、そんなにも住みにくく、働きにくい環境になってしまっているのでしょうか。なんだか悲しくなる現実です。

実は私も、当時まだ在学中であった学生を失ったことがあります。もう10年以上前のことになりますが、あの時の衝撃と、その後のご両親との面談のことは、今でも忘れられません。「そんな選択をする前に、異変に気づくことはできなかったのだろうか。そして、私にできることは何かなかったのだろうか。」という思いがよぎったのも、一度や二度ではありません。

こうした状況に対して、私たちはどのように考え、対処していけばよいのでしょうか。

すごく乱暴な言い方かもしれませんが、亡くなってしまった人が天国から見ていて、自分の行動を後悔するような、住みよい社会を作っていくことしかないのではないか、と思います。その具体的な方法はさまざまでしょう。例えば、企業の現場では「健康経営」という言葉をキーワードに、働き方、働かせ方を見直していこうという動きがあります。ただ、制度的な改革も必要ですが、基本は、個人同士が互いを思いやる、という雰囲気を作っていくことに尽きます。

2021年もあと10日ほどで終わってしまいますが、来年こそ、微笑みあえるような社会をつくっていきたいものですね。そして、マスコミや言論者にも、そうした気持ちで発言したり、報道したりしてもらいたいものです。

 

今回は、なんだかすごく湿っぽい投稿になってしまいました。次回は少し気を取り直して、気持ちが軽くなるような前向きの話題を取り上げるつもりですので、よろしくお願いします。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。