明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常78 「公平な入試」は可能か?

こんにちは。

 

また急に寒くなりましたね。今晩から明日にかけて、もっと寒くなるかもしれない、という予報も出ています。まあ1月中旬ですから、これぐらい当たり前のことかもしれません。

私のダラキューロを中心に据えた治療は、今日で第6クールが終了しました。治療開始前には、この薬が功を奏する確率は6割とか7割とか聞いていたように記憶しているのですが、今のところ、大変うまくいっているようです。しかし、このブログに何回も書いてきましたように、多発性骨髄腫という病気は今のところ「完治」に至ることはほとんど期待できませんので、ぬか喜びせずに、そして新型コロナの感染に気をつけながら、この冬を過ごしていきたいと思っています。

 

ところで、今週末は大学入試センター試験です。入試というのは、誰もが通る道でありながら、無事通過してしまうと、あまり興味を示さなくなる方が多いように思いますが、私はその運営にもかかわっていたので、仕事を辞めた今でも、その動向は今でも何となく気になるものです。

そういうわけでコロナ禍の中で行われる今年の大学入試には、いやでも関心を持たざるを得ません。とくに今回は文部科学省の新しい方針が次々と示されて、ニュースとしてかなり取り上げられています。直近では、1月11日付で、センター入試をコロナ感染のために受験できなくても、二次試験(各大学で行われる個別試験・・このふたつの試験結果を合わせて合否判定材料とするのがもっとも一般的な国公立大学の入試方法です。もちろん、推薦入試等、例外はありますが)の結果だけで合否判定する救済策を検討するように、という要請が各大学になされたそうです。(コロナ・スキップという表現を用いているマスコミもあります。)

実際にコロナ感染に怯える受験生にとって、このような措置は救いの手になるのかもしれません。彼等にとっての安心材料が少しでも増えることは、望ましいことでしょう。

ただ、通常通りの試験を受ける受験生との公平性の問題は、どうしても残ってしまいます。また、受験科目の多いセンター入試を回避する手段としてこれを悪用する者が出てこないとは限りません。しかも今回は、場合によっては医師の診断書の提出も免除するかもしれない、とのことですので、かなり大きな抜け道がある、というのが正直な印象です。その他にも色々とクリアすべき課題はあるのですが、直前になって対応を迫られる各大学の苦労も、はかり知れません。ただでさえも、ノロ・ウイルス対応やインフルエンザ対応で別室受験等を考えなければならないのに、このうえコロナ対応をどのように進めればよいのか、おそらく、今週は毎日のように会議が行われて、関係者の皆さんは頭を抱えておられるでしょう。

私は、感染対策としての特別対応については、まったく否定するつもりはありません。まあ、もっと早めに方針が示されればよかった、とは思いますが、オミクロン株の急激な拡大を考えると、ある程度やむを得ないかもしれません。

それはまあ良いのですが、受験生やそのご両親、高校側の大きな戸惑いの最大の要因は「公平性は保たれるのか」という点だろうと思います。せっかくの救済措置が新たな疑心暗鬼や不信感、不公平感を生んでしまったら、たしかに元も子もありません。ちょっと大げさに言えば、大学入試そのものの信頼性にかかわる問題になってしまうリスクもあるのです。

ただ、これまで行われてきた入試が本当に完全な公平性を担保する形で行われてきたのか、というと、決してそんなことはありません。わかりやすい例を挙げるなら、各受験生の自宅から受験会場までの移動時間、移動距離にはずいぶんバラつきがあります。二次試験の個別入試は、自分でその大学を受けるという選択をしているのですから、まったく問題はありませんが、センター入試の場合はセンター側で会場が決められてしまいます。そして受験会場は主に全国の大学が使用されますが、地理的に見てそんなにバランスよく配置されるわけではなく、居住地域によっては、泊りがけになる受験生も少なくありません。でも、たいていの人は「しょうがない」と思ってあきらめていますよね。

また、受験会場というか教室の中でも不公平はついて回ります。例えば指定された席が窓側か廊下側かで温度や風の具合は異なります。さらに言えば、教室によって、環境が異なることも珍しくありません。

その他、細かなことを書いていけば、ずいぶんたくさんの問題はありますし、受験生はみんなそれを「不公平だ」と不満を言うのではなく、多少の不公平が生まれることはやむを得ないことと納得して、試験の臨んでいるのです。

つまり、本当に大事なのは公平性ではなく、当事者が納得するかどうか、そのための説明がきちんとなされているのか、ということなのです。完全な公平性を実現することが困難であるならば、次善の対策をとることによって、大きな不信感を抱かれないようにし、その姿勢を示すことこそ、今、文部科学省や各大学に求められる姿勢なのです。なるべく公平性を保つ努力は必要ですが、それだけが指標ではないということですね。

 

ここから下に書くことはまったくの私論で、少し乱暴と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、あえて書いておきます。

大学入試は、社会に出ていくための準備である大学での勉学の門をたたくという、いわば入入口の入り口のような段階です。そして実社会では、どうみても不公平だと思わざるを得ないようなことは本当にたくさんあります。しかし、それらのすべてを完全に除去することはおそらく不可能です。それよりも、現状を嘆いたり、怒りに拳を固めたりするのではなく、ある程度はそれを受け入れたうえで、自分にできることを考えていく。そんな姿勢が、社会人として生き抜き、力を発揮していくために重要なポイントだと思うのです。なお、どうしてもリカバーできず、その人の人生にとって取り除くことのできない障害になってしまうような不公平はなくしていく努力が必要であることは言うまでもありません。人種差別や性差別問題などはその典型ですよね。

 

今日も少し長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださいありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常77 現代のディーヴァ候補?

こんにちは。

 

オミクロン株による新規感染が拡大してしまい、少々うんざりしている今日この頃ですが、皆さんお変わりないでしょうか。ヨーロッパの状況を見ると、いくつかの国では既にピークは過ぎたところもあるようで、しかも、死者数はさほど増えていません。もちろん、だからといって安心はできませんが、何とか一日も早く収束してくれるといいですね。

 

さて、気を取り直して今回の本題です。前回投稿の最後にディーヴァという言葉を使いましたが、私はMISHAさん以外にも将来そのような存在になれるのではないか、と秘かに思っている歌手がいます。歌手、というよりグループなのですが、リトル・グリー・モンスター(Little Glee Monster)という女性ヴォーカル・グループがここ数年の私のお気に入りです。すでに紅白歌合戦への出演経験もありますので、歌は聴いたことがなくても、名前ぐらいは知っている、という方もいらっしゃるでしょうか。

2014年に6人組としてメジャー・デビューした彼女達ですが、まだ全員20歳代前半。キャリアをかなり積んでいる割には、まだまだ若い世代と言えるでしょう。(ちなみに、一人脱退したため、現在は5人組で活動しています。)

彼女達の歌をなんとなく聴いたことがある、という人の印象は「歌の上手い娘たち」というものでしょう。たしかに、長期にわたる合宿形式のオーディションを勝ち抜いた人達によって結成されただけあって、個々の歌唱力は、デビュー当初から同世代では図抜けていました。しかし、彼女達の真価は、そんなに単純なところにあるわけではありません。ポップ・コーラス・グループとして超一級の実力をもっているのです。

日本には、アメリカほどではないにせよ、昔からコーラスをウリにするグループはたくさんありました。古いところでは、キングトーンズ(♪グッドナイト・ベイビー・・・これはかなり古い曲です)、サーカス(♪ミスター・サマータイム・・これも懐メロになってしまいました)、ゴスペラーズ(♪ひとり・・これはある程度若い人もご存じかもしれませんね)など。「ハモネプ」ブームもありましたね。しかし、はっきり言って、どのグループも、「メンバーで声を合わせる」ことに精一杯で、本当の意味で魅力的なパフォーマンスをできていません。ところが、リトル・グリー・モンスター(リトグリ)はそういったレベルを軽々と超えたハーモニーを聴かせてくれます。リード・ヴォーカルの部分はそれぞれの声を活かした、とても自由で力強い歌声を前面に出す一方で、コーラス・パートはピタリと息を合わせてきます。リードを歌う時とは完全に歌い方を変えて、ハーモニーを作り出すことに専念しているのです。この、ケース・バイ・ケースで歌い方を自在に変えることができる、というのが彼女たちの第一の強みなのです。メンバーの一人、かれんさんは、特技として「コーラス」を挙げているのですが、そのことの意味をちゃんと理解している人は意外に少ないかもしれません。

もうひとつ、彼女たちはよくアカペラを披露するのですが、その冒頭の歌いだしで「音取り」、つまりこれから歌いだす最初の音を何かの楽器であらかじめ鳴らす、ということをしません。つまり、自分が出すべき音が完全に頭の中に入っているのです。いわゆる絶対音感というやつですが、これをメンバー全員がもっており、ズレが生じないというところが驚異的なのです。実は、私も幼少の頃絶対音感を養う訓練を受けていて、今でもある程度はそれが残っているのでわかるのですが、絶対音感というのは天賦の才ではなく、飽くことのない反復練習による記憶の刷り込みによって身についていくものです。(もちろん、元々ある程度の音感がないことには話にはなりませんが) 彼女達はそんなに低年齢の頃から訓練を受けていたわけではないはずです。ということは、前述のオーディション等のなかで、徹底的に鍛えられたのだろうと思われます。でも、そんな素振りは一切見せず、軽々と楽しそうに歌ってくれる。そこに、私はディーヴァとしての可能性を感じるのです。

音楽の3要素として、ハーモニー、リズム、メロディがあげられるのですが、コーラスの場合には、これに加えて音色が重要です。そしてこのグループはそれらをバランスよく持ち合わせた、これまでの日本のポップス界にはほとんどいなかった存在なのです。

ただ、懸念材料、というか心配な要素もあります。

ひとつは、彼女達がまだ本当に良い曲に巡り合うことができていないこと。いわゆる現状では「応援ソング」が非常に多く、少し変化が乏しいのも弱点です。これは、今後の展開に期待するしかありません。もうひとつは、5人でやっていくことの難しさ。これから経験を重ねるにしたがって、メンバーそれぞれの音楽志向は異なってくるかもしれません。そんなとき、グループとしてひとつの音楽を作り続けていくことができるのかはわかりません。また、それ以外にもメンバーの一部が何らかの理由で脱落することも十分にあり得ます。現に、ステージではセンターで歌って、周りを引っ張る役割も担っている芹奈さんは、心身のバランスを崩してしまい、双極性障害と診断されたため、一昨年末から長期にわたって離脱していました。昨年夏ごろいったん復帰したのですが、まだ十分な状況ではないらしく、現在は再休養を余儀なくされ、この影響で、グループのライヴ・スケジュールにも大きな影響が出てしまっています。彼女達はまだまだ若いだけに、可能性も無限ですが、リスクもまた様々に考えられるわけです。

今回は、興味のない方にはまったくどうでもよいような話題で失礼しました。でも、この記事を見て「ちょっと聴いてみようかな」と思った方は、YouTube等にたくさん動画がありますので、ちょっと覗いてみてください。ちなみに、6人組時代にゴスペラーズの代表曲「永遠に」をカバーしているのですが、これを聴いたゴスペラーズのメンバーはあまりの素晴らしい出来栄えに「殺意を覚えた 笑」そうです。 https://www.youtube.com/watch?v=em5i_PNnrkY

 

次回は、もう少し誰でも入っていける話題を取り上げたいものです。

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常76 寅(虎)のこと

こんにちは。

 

前回の投稿について、kihachijyouさんから、「古来、日本には虎はおらず、中国に渡って寅を実際に見た人もほとんどいなかったはずだが、どうやってあんな風に描くことができたのだろうか」という主旨のコメントをいただきました。これは私も以前から疑問に思っていたことでしたので、少し調べ、また、考えていたのですが、そうこうしているうちに、単にコメントに対して返信するだけでではもったいないような気がしてきましたので、このような形で投稿することにしました。Kihachijyouさん、申し訳ありません。(懲りずに、またコメントをお願いします。)

 

さて、虎を描いた日本画というと、真っ先に思い浮かぶのが江戸時代の絵師、円山応挙です。彼がなぜ虎という素材に魅せられたのかは不明ですが、中国や朝鮮半島において武勇や王者の象徴とされていた虎は、日本でも龍とともに霊獣とされ、絵画のモチーフにしばしば用いられていたそうです。したがって、虎の絵そのものは応挙の専売特許ではありません。ただ、彼はきわざわざ中国から毛皮を取り寄せて、その質感を研究するとともに、姿や形については中国の絵画も参考にしたようです。しかし、当時から「よく似ている」と言われていた猫をモデルにし、その動きを参考にしたという話も伝わっています。

ただ、よく考えてみると、野生動物である虎の生息地は基本的に森林地帯であり、当時の中国の人々にとっても、そんなに身近な動物ではなかったはずです。そうすると、ある程度は想像で描いていくしかありません。なんといっても霊獣なのですから。龍の場合は本当に想像上の動物ですが、虎は現に生息している動物であることはわかっているのに、それを描こうとすると、大いなる想像力が要求される。こんなところにも、多くの芸術家が魅せられた要因があるのかもしれません。

そんなわけですから、現代の目から見ると、江戸時代の絵には若干違和感を覚えるところもあります。例えば応挙の場合は、手足のバランスがなんだかおかしいような気がしますし、何よりも、顔が愛くるしすぎます。これも猫をモデルにしたことが原因でしょうか。

応挙の絵も素晴らしいのですが、私が最も好きな絵は、応挙の弟子であった長澤芦雪の描いた襖絵です。これは、和歌山県串本町無量寺の一室の襖絵3枚に描かれた堂々たる大作で、虎は前かがみになって、何かを狙っているような姿勢をとっています。私は幸いにも実物を見たことがあるのですが、長いしっぽに刺々と逆立ったヒゲ、そして何よりも絵の大きさに圧倒されます。そして襖からはみ出そうな勢いの、伸び伸びとした筆致は、応挙にはあまりなかったものかもしれません。しかし、よく見ると顔があなんだか可愛い。おやっと思って、裏側の襖に描かれた絵を見ると、そこにははっきり、池で泳ぐ魚を狙っている猫が描かれています。そして、にらまれた魚の驚愕の表情も、見逃せません。そう、つまり表側の虎の絵は、魚から見た猫の姿、ということなのです。芦雪は虎が猫に似ている、という情報を得ていたものの、「いやいや、そんなに可愛らしいものではないはずだ」と思い、このような仕掛けを施した絵を描いたのでしょうね。視点を変えると、見えるものの様子も大きく異なってくる、ということなのです。まあ、芦雪自身はかなり破天荒な生き方をした人らしいので、そんな教訓めいたことを伝えたかったのではなく、「遊び心」だったと思いますが。

その他にも、虎を描いた絵画や工芸作品はたくさんあります。寅年のこの機会に、見て回るのも面白かもしれませんね。

それにしても、十二支というのは不思議なものです。どうして現在のような12匹のラインアップになったのかは、研究者にもよくわからないそうです。比較的身近な動物や、人間のあるべき方向性を指し示す象徴のような動物が選ばれた、という説もありますが、なんとなく後付けの理屈っぽくも感じます。ちなみに「なぜ、もっとも身近な動物である猫は入っていないのか」という疑問に対しては、「ネズミにだまされて、うその集合日時を教えられた」という説もあるようです。中国にもトムとジェリーがいたのでしょうか??

 

そんなわけで、今回も少し正月っぽい話題となりました。本当には他にも色々と書きたいネタはあります。例えば、紅白歌合戦大泉洋さんの司会が少しウザかった、とか孤独のグルメ年末スペシャルは、昨年、一昨年の方が良い出来だったとか。しかし、こうしたネタで引っ張っていくのも、既に日常のリズムを取り戻しつつある皆さんには面白くないかもしれませんので、このあたりで終わりにしておきます。ただ最後に一言。紅白の大トリで歌ったMISIAさんは、おそらく必ずしも完璧な出来栄えではなかったと思うのですが、それでもあの圧倒的な歌唱力! 現在におけるディーヴァ(歌姫、いや歌の女神というべきかもしれません)とは、この人のことを指すのだ、としみじみ感じた大晦日でした。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常75 正月ですね

 

こんにちは。

 

三が日が終わり、そろそろ日常に戻っていきますね。今年は、本当に良い年になるといいのですが。

皆さんは、正月をどのようにお過ごしになったでしょうか。

 

正月からはじめてこのブログをご覧になった方もいらっしゃるようなので、改めて、その主旨を簡単に書いておこうと思います。

まず、このブログは、タイトルにありますように、私自身が大きな病気をした経験と、その時に色々と考えたこと、感じたことを中心に書いています。通し番号00から32あたりまでは、病気に罹患した経緯から入院生活、そしてその周辺の話にいたるまでの経緯を書いています。ですから、基本的には「昔話」になります。もともと、これを書こうと思ったのは、当時、きちんと説明できなかった知人・友人に、今さらながら、なるべく正確に伝えておきたいと思ったこと、そして自分自身もこれまでとくに記録を残していなかったので、記憶がかすんでしまわないうちに文章の形で残しておこうと思ったことが、その主な理由です。

通し番号33あたりからは、現在の治療状況を交えながら、最近色々と感じていることを、自分なりに書いています。ただ、単なる説明に終わってしまっては読んでいる方にとってあまり面白くないような気がしますので、毎回、ひとつかふたつは「へえっ」と思っていただけるようなネタを入れるように工夫しているつもりです。また、コロナ禍の問題も時々触れています。ただ、私自身の本来の専門領域の話は、書き出すと論文のようになってしまいますので、なるべく避けるようにしています。

ブログというものは、発信手段としては、YouTubeツイッター等に比べて「時代遅れ」とも言われていますが、どうしても文章が少し長くなりがちですし、動画を撮るとなると色々と準備が必要になりますので、こうやってブログという手段をとっている次第です。「長いなあ」と思われたものは適当に読み飛ばしていただいてもかまいませんので、末永くおつきあいくだされば幸いです。

 

そんなわけで、今年もよろしくお願いします。

ちなみに、私自身の正月の恒例行事としては、その年の干支(正確に言うと、十二支)にちなんだ社寺に初詣に行く、というものがあります。別に仏教や神道を信仰しているわけではありませんし、普段「今年は寅年だなあ」などと意識することはまったくないのですが、元日は朝から普段より格段に多い量食べますので、腹ごなしの散歩を兼ねて、「どうせ行くのなら・・」という感じで毎年続けているのです。ちなみに、今年は京都市建仁寺塔頭である両足院というさほど大きくはない寺院に行ってきました。ここは秘仏として毘沙門天が安置されているのですが、その使いとされているのが虎なのです。そしてここには、狛犬ならぬ狛虎が鎮座しています。また、香炉にも2匹の虎が見られます。ただ、参拝客の圧倒的な人気を集めているのは、寅みくじです。これはちょっと虎とは思えない、かわいさを前面に押し出した姿で、ちょっと笑ってしまいます。と言いながら、思わず買ってしまいました。なかなかの商売上手ですね。(笑)

 

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今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常74 【お手軽】初日の出

皆さん、年が明けましたね。

寒気が日本列島を覆っているようですが、いかがお過ごしでしょうか。

今年も、相変わらず投稿していくつもりですので、よろしくお願いします。

 

というわけで、新年第1回は今朝7時過ぎに我が家のベランダから見た初日の出の写真です。別に見ようと思っていたわけではないのですが、起床した時は意外なほど天気が良く。ちょうど日の出の時間帯でした。近くのビルが映ってしまっていますが、ベランダから見た景色にしては、悪くないですよ。

 

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明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常73 「第九」と「蛍の光」

こんにちは。

 

大雪は収まったようですが、その代わりに今度は日本海側で雨が降るようですね。雪の後の雨って、融雪に役立ちますが、逆に、落雪や雪崩の危険は増します。また、道路がシャーベット状になってしまい、大変足元が悪くなりますので、こうしたリスクある地域の方はお気をつけください。今冬はかなりの積雪になると予想されていましたが、本当にその通りになっています。また、大晦日頃には、また大きな寒波が来るようですので、しばらくはあんしんできませんね。

 

ところで、皆さんは年の瀬によく流れる曲というと、何を思い浮かべるでしょうか。紅白歌合戦で毎年のように流れる曲、例えば石川さゆりさんの「天城越え」が頭の中を流れる人も少なくないでしょうが、どの世代にも共通するのは、やはりベートーヴェン交響曲第9番、いわゆる「第九」ではないでしょうか。

毎年12月の一か月間に日本全国で「第九」はどのぐらい演奏されるのか? 今年、昨年は減っていますが、多い年だと150回にものぼっているそうです。ものすごい数ですね。日本を代表する指揮者だった朝比奈隆さんは、その生涯に251回も「第九」を指揮したそうですから、まさにギネスブック級ということになるかもしれません。

ただ、例えばヨーロッパの実情を見ると、この曲は「とても大切にしなければならない、特別な曲」であって、一生のうちで、その本当の節目やスペシャルな機会にだけ演奏されるもの、という位置づけになっているようです。有名なところでは、例えばベルリンの壁が崩壊したことを祝して1989年12月25日にレナード・バーンスタイン(ミュージカル「ウェストサイド物語」の作曲者としても知られるアメリカ人指揮者)が指揮台に立ち、東西ドイツの一流オーケストラが合同で演奏を行ったコンサートがよく知られています。ちなみに、このコンサートでは、バーンスタインは、元々の詩にあった“Freude(歓喜)”という言葉を“Freiheit(自由)”に変更して歌わせています。

では、日本ではなぜ年中行事のようにこの曲が扱われるようになったのでしょうか。

色々と説はあるのですが、その音楽的価値とはあまり関係のない、しかし興味深い説明として、オーケストラ団員のボーナス(というか、いわゆる「モチ代」)を支給するため、というのがもともとの目的だった、というのがあります。この曲、比較的大規模な合唱団が必要となります。そのほとんどはアマチュア合唱で、自分の出るコンサートのチケットを、知人等に売ってくれます。すると、会場は大入りとなり、オーケストラもかなりの額の収入を見込むことができる、というのです。オーケストラ団員は、プロとは言え、収入面では必ずしも恵まれていない方も多いため、こうした仕組みが日本の音楽界を支える一助となってきたのかもしれません。

もちろん、こうしたことだけが目的ではないでしょうし、何よりも、この曲のもつ強いメッセージが、多くの人を惹きつけてやまない、ということが前提であるのは当然ですので、生々しい話だけで演奏されているわけではありません。

なお、以前も少し書きましたが、私は学生時代からかなり長い期間、合唱団に所属していました。大病してからは、ちょっとご無沙汰になっていますが、今でも、合唱はかなり思い入れのある音楽ジャンルのひとつです・・・という話をすると、たいていの方が「やっぱり第九ですか」とお尋ねになるのですが、実は、まだ歌ったことがありません。

それは、この曲が嫌いだからではありません。あまりのも大きな曲であり、ちゃんと歌うにはかなり練習をつまないといけない難曲であるため、なんとなく敬遠してきた、ということになります。難曲、というといわゆる「歓喜の歌」のメロディだけをご存じの方は不思議に思うようですが、この曲、全体像をみると、決して簡単なメロディだけで作られているわけではありません。合唱団の出番は、第4楽章だけですので15分程度なのですが、全体的にかなり高い音を出すことが要求されますし、かなりのパワーをもって歌わなければなりません。ドイツ語の歌詞を、ほぼ暗譜状態で歌わなければならないことは言うまでもありません。蛇足ですが、第1楽章から第3楽章までは聴いているだけなのですが、出番になってからぞろぞろとステージに登場するわけにはいきませんので、曲が始まってから約1時間、ステージに設けられた椅子に座って、ひたすら第4楽章を待つことになります。何もしないでよい、とは言え、ステージに上がっているわけですから、客席からはずっと見られているわけで、これはけっこう緊張するものだろうと思います。

そんなわけで、ちょっと怖気づいた結果、今に至る、というのが正直なところですが、死ぬまでには一度はちゃんと歌いたいな、という気持ちがあることもまた事実です。経験者は皆さんによると、歌いきった後の充実感は何にも代えがたいそうですから。

 

ところで、ヨーロッパで年末に必ず流れる曲、とは何でしょうか。もっとも一般的なのが、スコットランド民謡の“Auld Lang Syne”という曲です。ご存じないですか? 日本でも誰でも知っている曲、「蛍の光」の原曲です。この曲、日本でイメージされるような別れの曲ではなく、旧友との再会を祝し、酒を酌み交わす、という大変陽気な歌詞だそうです。そして、例えば大晦日に年をまたぐ瞬間、カウントダウンがゼロになると同時に、大騒ぎし、皆で踊りながら、この曲を合唱する、というのがよく見られる風景だそうです。

新年の迎え方も、国や地域によってずいぶん異なるものですね。

 

さて、そんなわけで、このブログも年内は今回を最終回にします。新年はいつから再開するか決めていませんが、これまでと同様、気が向いたときに覗いてみて下されば幸いです。

 

2022年が皆さんとって素晴らしい年になりますように。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常72 光害ってご存じですか?

こんにちは。

 

今回はまず、前回の続きを少し。

宮川花子さんですが、一時は本当に危なかったみたいですね。下半身不随の状況に陥り、医師からはなんと「余命1週間」を宣告されていたそうで、その時のご本人の衝撃はちょっと計り知れないものがあります。本当に、よく日常に戻ってこられたものだと思います。

それから、佐野史郎さんが無事退院された、という報道もありました。彼の場合は、造血幹細胞自家移植という大きな治療を終えて、その回復を待っていたということなのでしょうが、予想よりも早い退院になったとのことで、なによりです。

お二人とも、年末年始になる前に新たな一歩を踏み出せたのは、同じ病気を抱える人間として、本当に嬉しい限りです、正月を病院のベッドで過ごすなんて、やっぱり嫌ですよね。

ただ、そうは言っても、年をまたいで入院を続ける方はたくさんいらっしゃいます。そういう方のために、病院側では簡単なおせち料理(のようなもの)を出すなど、色々と工夫はしています。

そういえば、私の経験では、土用の丑の日の夕食に鰻丼が出てきたことがあります。(これは以前の投稿でご紹介しました。)また、ハロウィンの日には、いつもよりデザートが余計に配られて、何かと思ったら、カボチャのプリンでした。あれも少し笑ってしまいましたね。もっとも、同室の年老いた方は、何のことだかさっぱりわかっておられなかったみたいです。

まあ、入院生活が長くなると、こういったアクセントのようなものも必要です。病院の外での日常生活を思い出すことにもなりますから。

 

年末にこういった光の差すような少し明るい話題ができることはとてもうれしいことです。そして年末あるいは冬の「光」と言えば、各地で行われるライトアップやイルミネーションですよね。(話の転換が強引で、申し訳ありません。)

 

少し前になるのですが、京都・嵐山の花灯路というライトアップのイベントに行ってきました。嵐山と言えば、京都でも有数の観光名所で、なかでも渡月橋の眺めはよく紹介されます。私の出かけたイベントでは、渡月橋ももちろんライトアップされていましたが、もっともメインになるのが、竹林の小路のライトアップ。写真を見て頂ければわかるように、竹林の中にライトを仕込んで、ほんのりと周りを照らす、というかなり上品なものです。こういう言い方をすると良くないかもしれませんが、大都会のイルミネーションとは一味違う、風情を感じさせてくれるものでした。

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近年、こうしたイベントは全国各地で行われていますね。とくにLEDライトが普及してからは、熱を持たないので扱いやすいうえに、色彩の演出もいろいろできて、そのバリエーションがどんどん増えています。ただ、本来暗いはずの所にライトを当てるわけなので、それなりの弊害も指摘されているところです。それが「光害」と呼ばれるものです。

環境省の出している「光害対策ガイドライン」によると、光害とは下記のようにかなり多岐にわたるものです。

(1) 動植物への影響

(a) 野生動植物

①昆虫類 ②哺乳類・両生類・爬虫類 ③鳥類 ④魚類

⑤植物 ⑥生態系

(b) 農作物・家畜

①農作物 ②家畜

(2) 人間の諸活動への影響

(a) 天体観測への影響

(b) 居住者への影響(住居窓面)

(c) 歩行者への影響

(d) 交通機関への影響

①自動車 ②船舶・航空機

 

こうやって並べてみると、ライトアップされている時にだけその場所を訪れて「きれいだなあ」などと呑気なことを言っている自分がちょっと恥ずかしくなってきます。普段からそこで生活している人々や動植物にとっては、とんでもなく迷惑になることもあるのですね。

今回の嵐山のライトアップに関しては、私の見る限り、光害にはかなり配慮されているようにも感じました。おそらく、専門家の意見を取り入れたうえでのライト設置が行われているのではないでしょうか。

個人的には、キラキラした眩いばかりのイルミネーションよりも、こういう薄ぼんやりとしたような明かりの方が好きです。まあ、人の好みは色々なので、そのこと自体はここではこれ以上は触れません。ただ、コロナ禍の前、外国人観光客をもっと惹きつけるためには日本でも「ナイト・エコノミー」が必要だという議論があったことを覚えていらっしゃるでしょうか。要するに、夜ももっとたくさんの店を開け、イベントを開催することによって、観光客にお金を使ってもらおう、ということなのですが、これにはあまり賛同できないでいます。そして、イルミネーション等がそれを演出するための手段として用いられるのならば、「ちょっと待ってくれ」と言いたくなります。(これについては別の機会に書きます。)

いずれにせよ、周囲の環境への影響を思いやるような気持ちは失わずにいたいものですね。

 

なお、嵐山の花灯路はすでに終了しています。また、京都市の財政難その他の理由により、2005年に始まったこのイベントは今年で最後になるそうです。行ってみたい、と思った方、悪しからず。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

猛烈な寒波襲来で、各地に被害が出ているようです。皆さん、お気をつけください。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常71 クリスマスに寄せて

メリー・クリスマス!

 

今日はクリスマス・イブですね。まあ、私達の日常生活にとくに変化はないですが。

ちなみに、私は昨日からダラキューロ治療第6クールに入りました。とは言っても、来週は年末で病院が休みのため、次回通院は年明けとなります。年末年始が近づいているためでしょうか。昨日の病院は混んでましたね。いつもより待合室に人が多く、若干密になってしまっていました。オミクロン株による感染が急速な拡大する中で、ちょっと不安はありますが、今のところとくに異変は生じていません。

 

それはともかくとして、クリスマスというとキリストの誕生日だと思っている人が多いようですが、本当のキリストの誕生日って何月何日かご存じですか? 実は、新約聖書にも明記されておらず、近年の研究では10月1日または2日という説が浮上しているようですが、たしかなものではありません。要するに「よくわからない」んですね。

では、なぜ12月25日がクリスマスと呼ばれるようになったのか。そのように定められたのは4世紀半ばで、当時のローマ教皇ユリウスの時代だと言われています。それ以前からローマをはじめ、ヨーロッパではこの時期を「冬至祭」として祝う風習がありました。これは,冬至という一年で一番夜の長い夜を超えて、そこからは暗くて実りのない冬が次第に遠ざかり、新しい世界が始まることを祝するという意味があります。キリストの誕生もこの世に「光」をもたらすものとしての意味がありますから、その誕生を祝うことは、冬至祭の主旨とかなり重なり合うところがありますね。そこで、「そういうことなら、一緒に祝ってしまおう」ということになったようです。ですから、12月25日が「キリストの誕生日」だというのはおそらく間違いですが、「キリストの誕生を祝う」という日であることは確かなのです。なお、キリストの誕生は真夜中、つまり24日と25日(正確には25日の午前2時頃?)とのと言い伝えられていますから、24日をイブとして祝うことはまったく間違っていません。また、近代に入ってからは、この時期からそのまま新年のお祝いへとなだれ込むという流れも普通のものになったようです。要するに、冬の大きなイベントが実質的に合体していったわけですね。

クリスマス・トリビアをもうひとつ。

クリスマスは英語のChrisutmasつまりキリストのミサ(礼拝)であることはご存じの方も多いでしょう。ただ、このままでは単語としてやや綴りが長いので、日本ではX’masまたはXmasと表記されることも多いですよね。この”X”って何だ?と思って調べてみると、もともとはギリシャ文字に”X2に似た文字があり、それは現在のアルファベットでは”ch”に置き換えられるということになっていることがわかりました。つまりその頭文字をギリシャ文字に逆置き換えしたわけですね。いつ頃から誰がこのような表記を行うようになったのかはよくわかりませんが、すっきりしていてなかなか良い省略の仕方かな、と思います。ただ、欧米ではこれは通用しない、との指摘もありますので、外国の知人・友人にクリスマス・カード等を出す際にはご注意ください。(今年はもう手遅れでしょうか  笑)

 

ほかにもクリスマスの関するネタはたくさんありますが、それはまた来年まで取っておきましょう。いずれにせよ、この時期になると、今年一年を色々と振り返るようになりますね。そういう意味では、この時期にこういうイベントがあるのは、別にキリスト教信者でなくても、大きな意味はあるような気がします。

 

前回暗い話題でしたので、今回はもうひとつ少し明るい話題を。

2回ほど前の投稿で佐野史郎さんの多発性骨髄腫罹患を取り上げた際、その最後に夫婦漫才の宮川大助・花子の宮川花子さんのことを少しだけ書きました。その花子さんですが、去る12月19日に約2年ぶりにイベントに参加し、ご夫婦でステージに上がられた、という嬉しいニュースが流れてきました。漫才のスタイルのようにセンターマイクを挟んで・・というわけにはいかず、お二人とも椅子に座ったままのトークでしたが、約30分間のステージで、お得意の「夫いじり」も含めて客席を大いに沸かせたようです。

私は若い時を関西で過ごしましたので、色々と個性的な当時の漫才をたくさんテレビで視聴しました。その他、関西の寄席では漫才も落語も、そして奇術やアクロバットも一緒に放映していましたし、吉本新喜劇松竹新喜劇も、当たり前のように流れていました。それらは、お笑いが好きであるかどうかには関係なく、DNAとして身体に刷り込まれています。その結果、こう見えて?今でもけっこう「お笑い」にもうるさいのです。先日のM-1も全部見てしまいました。今年は去年よりも全体のレベルが高く、非常に見応えがありましたね。決勝に残った3組は、どこが優勝してもおかしくありませんでした。・・・話が横道にそれました。すみません。

要するに、ずいぶん昔から大助花子さんの漫才にも接していたわけです。当時と、ネタの基本線は変わっていませんが、病気に罹患される直前の比較的最近まで、そのパワーや声色、動き、スピードもほとんど変わっておらず、年齢による衰えは全くと言ってよいほどありません。あれを貫き通すには、相当の体力と精神力が必要でしょうから、まったくの元通りのレベルの漫才を今すぐにできる、と考えるのは少し無理があるでしょう。

今回のイベントでのお話のされ方がどのようなものであったのかはわかりませんが、少なくとも口だけでも達者なら、あのマシンガン・トークをまた聞きたいものだ、と思ってしまいます。また、同じ病気に罹患している人間としては、こうやって再びステージに上がられたことだけでも、心から拍手したい気分です。おそらく、同じような気持ちの方はたくさんおられるでしょう。私も含め、そういう方にとっては、今回のニュースは何よりのクリスマス・プレゼントになったはずです。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうごあいました。

最近のペースだと、年内の投稿はあと2回ぐらいになるでしょうか。またおつきあいくだされば幸いです。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常70 メンタルの問題はむずかしい

こんにちは。

 

歌手・女優の神田沙也加さんが亡くなりましたね。私は、お母さんである松田聖子さんの大活躍されていた時代に青春を送った人間ですので、娘さんには直接の思い入れはありませんが、わずか35歳で自らこのような選択をしてしまった彼女の胸の内を想うと、やはり心が痛みます。数回前の投稿でも書いてように、自らの命を絶つという行為は、決して美化されるべきことではなく、むしろ「馬鹿野郎」と言いたいのですが、そこに至るまでの彼女の気持ちの変化を思いやると、「これで本当に楽になれたのなら、少しは魂も救われるのかな」という思いもまた湧いてきます。彼女の身に何が起きていたの、知る由もありませんし、詮索する気もないのですが、おそらくさまざまな要因が複合的に絡み合って、その糸がほどけなくなってしまったのでしょう。いくつかの文献を読む限り、人間はひとつだけの要因ではなく、複数のことがごちゃごちゃに絡み合ってしまった結果として、大きなメンタルヘルスの問題を抱えてしまうようです。そしてその最悪の結末が、自分の身体を傷つけることによって、そこから逃げようとする行為なのです。

そういえば、先日大阪で発生した24人もの犠牲者を出した火災現場も、職場のメンタルヘルス問題を専門に扱う心療内科クリニックでしたね。そして容疑者として特定されている人物もまた、このクリニックの患者の一人だったようです。

 コロナ禍であるということを差し引いても、近年、メンタルヘルス問題は非常に注目されてきています。他の病気やケガとは異なり、どこからをメンタルヘルスの問題とみなすのか、という境界線が大変あいまいです。線引きが難しいのですが、とりあえずの指標として、厚生労働省のデータを見ると、下のグラフのように、明確な増加傾向が見られます。精神疾患による労災請求・認定件数も増加傾向にあり、無視できない社会問題になりつつあるのです。また、ここで挙げた数字が氷山の一角に過ぎないこと、そして仕事以外の要因が大きなウエイトを占めている方が多数いらっしゃることは言うまでもありません。(労災に関しては、すべての方が亡くなったというわけではありませんので、誤解のないようにお願いします。)

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出典:厚生労働省精神疾患による患者数」

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精神障害による労災請求・認定の状況(厚生労働省による)

 

 

日本という国、そしてそこに立地する企業は、そんなにも住みにくく、働きにくい環境になってしまっているのでしょうか。なんだか悲しくなる現実です。

実は私も、当時まだ在学中であった学生を失ったことがあります。もう10年以上前のことになりますが、あの時の衝撃と、その後のご両親との面談のことは、今でも忘れられません。「そんな選択をする前に、異変に気づくことはできなかったのだろうか。そして、私にできることは何かなかったのだろうか。」という思いがよぎったのも、一度や二度ではありません。

こうした状況に対して、私たちはどのように考え、対処していけばよいのでしょうか。

すごく乱暴な言い方かもしれませんが、亡くなってしまった人が天国から見ていて、自分の行動を後悔するような、住みよい社会を作っていくことしかないのではないか、と思います。その具体的な方法はさまざまでしょう。例えば、企業の現場では「健康経営」という言葉をキーワードに、働き方、働かせ方を見直していこうという動きがあります。ただ、制度的な改革も必要ですが、基本は、個人同士が互いを思いやる、という雰囲気を作っていくことに尽きます。

2021年もあと10日ほどで終わってしまいますが、来年こそ、微笑みあえるような社会をつくっていきたいものですね。そして、マスコミや言論者にも、そうした気持ちで発言したり、報道したりしてもらいたいものです。

 

今回は、なんだかすごく湿っぽい投稿になってしまいました。次回は少し気を取り直して、気持ちが軽くなるような前向きの話題を取り上げるつもりですので、よろしくお願いします。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常69 今年の漢字

こんにちは。

 

この数日、これまで投稿してきた自分のブログを読み直していたのですが、入力ミス、変換ミスが多いことにうんざり。気がついたミスはできるだけ修正しましたが、まだ全部は直しきれていないかもしれません。また、最近の投稿はやや理屈っぽくなってきているかな、と反省した次第です。今後は、もう少し簡潔な文章で綴っていきたいと思っていますので、皆さんには寛容な心で読んでいただければ幸いです。

 

さて、気を取り直して今回の話題です。

12月も半ばを過ぎ、巷では様々に「今年を振り返る」企画が見られますね。そんななかで、毎年話題になるものの一つに「今年の漢字」というものがあります。ご存じの方も多いと思いますが、これは漢字能力検定協会(公益財団法人)が主催者として毎年開催しているもので、その年の世相をもっとも反映していると思われる漢字一文字を全国から募集し、第一位になった漢字は、清水寺貫主が大きな和紙に力強くしたためる形で発表する、というものです。これを揮毫(きごう)というそうです。発表の瞬間は、テレビでも中継されたりしますので、見たことある、という方も多いでしょう。

この発表が先日あったのですが、今年をもっとも表す漢字として選ばれたのが「金」でした。おそらく、オリンピックの金メダルとか、飲食店 へ の休業支援「金」・給付「金」、子育て世帯 を対象とした臨時特別給付「金」の議論、新紙幣 印刷開始や新500円硬貨流通など「お金」にまつえわる話題がたくさんあったということが、選ばれた理由でしょう。

実は、私も応募していたのですが、選んだ漢字は別。「輪」でした。この「輪」、残念ながら僅差で二位でした。うーん、残念。

ちなみに、三位以下は、「楽」、「変」、「新」と続きます。

また、過去5年間の一位漢字を見ると、2020年「密」、2019年「令」、2018年「禍」、2017年「北」、2018年「金」となっています。そう、「金」は過去にも選ばれているんですね。(2012年も「金」です。)年が変わっても、普遍的に世相をもっとも反映するのがこの漢字だということでしょうか。まあ、それはともかく、漢字は何通りもの読み方があるうえに、一文字だけでさまざまな意味を込めることができるという意味で、大変面白い文字ですね。こういう文字を使用している国は、そんなにはないはずです。また、多くの外国人が日本語を学ぶ上で、大きなハードルになっていることは、容易に想像できますよね。

私は以前、ゼミの学生が卒業するときに、それぞれにふさわしい漢字一文字を送る、ということを数年間続けたことがあります。例えば「活」「挑」「凛」「躍」などなど。これは、その学生との日々を色々と思い起こす作業でもあり、むずかしいけれども、大変楽しいものでした。ただ、全員分(毎年12名前後)を考えるのはけっこう大変で、半日ぐらいかかってしまうこともあったため、5年ほどで止めてしまいました。

皆さんも、身の回りの方を漢字一文字で表す、あるいは日記代わりにその日一日を漢字で表す、などという試みをしてみてはいかがでしょうか。とくに、最近パソコンやスマホ任せになってしまって、自分で漢字を書くという行為そのものが少なくなっている方には、けっこう良い脳トレになりますよ。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常68 佐野史郎さんのこと

こんにちは。

 

先日、俳優の佐野史郎さんが多発性骨髄腫に罹患し、現在入院治療中であることを公表されました。最初に公表のあったテレビ番組「徹子の部屋」は残念ながら見ていませんが、彼の公式サイトを見ると、最初に腎機能の著しい低下がみられたこと、その後化学療法等で約2か月を要したこと、現在は造血幹細胞の自家移植治療のため再入院中であるということです。これは、私がたどった経緯とほぼ同じです。ただ、彼が併発してしまった敗血症には私はかかりませんでしたが。

敗血症とは、感染症への罹患をきっかけに、心臓や肺、腎臓など、さまざまな臓器の機能不全が現れる病態のことで、場合によっては、かなり重篤な状態に陥ってしまいます。(重症患者の4人に1人が亡くなる、というデータもあるそうですから、かなり恐ろしい病気です。)あらゆる感染症がその原因となりうるそうで、多発性骨髄腫の場合は、やはり免疫力が低下してしまっていることが大きな要因になるのかもしれません。

佐野さんの場合どの程度の状態であったのかは不明ですが、現在は次の治療段階に進んでいるということなので、おそらく、敗血症そのものによる危機は脱しておられるのだろうと思います。

また、造血幹細胞の自家移植については、このブログの第10回と第14回~第16回に少し詳しく説明していますので、よろしければそちらをご覧ください。

佐野史郎さんと言えば、誰でもすぐに思い浮かべるのが、大ヒットしたテレビ・ドラマ「ずっとあなたが好きだった」ですよね。タイトルを聴いてもピンとこない人でも、「冬彦さん」と言えば、たいてい思い出すはずです。あのドラマでの野際陽子さんと佐野さんの怪演ぶりは本当にすさまじかった。こんなものをテレビ・ドラマで流して良いのか?と思ったぐらいです。

佐野さん自身、このドラマを契機に一気に人気俳優となり、その後もさまざまな映画やドラマでかなり癖のある役を演じていますが、個人的には映画「ゲンセンカン主人」が印象に残っています。漫画家であるつげ義春原作のこの短編映画は、「ねじ式」や「もっきり屋の少女」、「夜が掴む」など一連のつげ作品と同様、日常生活からふとしたきっかけで、何とも形容しがたい幻想的で、そして、じわじわと恐怖感が迫ってくるような世界に陥っていく、というもので、他のどんな小説家にも漫画家にも描けない独特の暗闇を描いたものです。ただ、多くのつげ作品がそうであるように、非常に夢想的、というかつげ氏自身の夢をそのまま作品にしたような趣があり、映像化は非常にむずかしいのではないか、と考えられていました。しかし、監督である石井輝男氏の演出と映像、そして佐野さんの怪しく、そして危うい存在感が、この映画を成功に導いているのです。

 

佐野さんは現在66歳だそうで、身体的に大きな負担が伴う治療は大変だと思いますが、ゆっくりと静養し、寛解の状態を長く保てるようになることを、心からお祈りします。

希少な種類のがんであるためでしょうか。同じ病気に罹患した人の話を聞くと、とても親近感を覚えてしまう今日この頃です。

そういえば、しばらく前に同じ病気への罹患を公表された漫才師の宮川花子さん、最近全然話題に上らないような気がしますが、どうされているのでしょうか。

 

今回も、最後まで読んでくださりありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常67 人間魚雷「回天」

こんにちは。

 

今日で、ダラキューロによる治療第5クールが終了しました。来週はお休みで、再来週から第6クールですが、正月休みを挟むことになるので、若干変則的になるようです。薬による副作用は今のところ顕著なものはありませんが、まあ今夜あたりから現れてくるものもあるようなので、とにかくしばらくは、おとなしくしているつもりです。

 

さて、今回は前回の続き、というか補足です。

瀬戸内海には実に多くの島が浮かんでいますが、その中に、山口県周南市の沖合約10kmに、大津島という細長い島があります。橋はかかっていませんので、本州との往来には、一日7往復あるフェリーを使うしかありません。そのせいか、観光客の数は少なく、大変落ち着いた雰囲気の島です。

この島はかつて、大津島本島と馬島というふたつの島で構成されていましたが、ある事情で埋め立てられ、ひとつの島になったという歴史があります。そして、その事情とは、太平洋戦争時における人間魚雷「回天」の発射基地を作るとともに、訓練基地も含めて周辺を整備する、というものだったのです。瀬戸内地方が比較的穏やかな気候であったこと、当時の巨大軍事拠点であった呉がすぐ近くにあったことなどが、ここが基地として選ばれた理由だったようです。

では「回天」とはどのような兵器だったのか。ごく簡単に言えば、魚雷に外筒を被せて気蓄タンク(酸素)の間に一人乗りのスペースを設け、簡単な操縦装置によって、敵艦に体当たりする、というものでした。戦闘機に大量の爆弾と片道分だけの燃料を積み込んで、敵の拠点に突っ込んでいく「神風特攻隊」という特殊飛行機部隊は有名ですよね。あれの魚雷バージョンだと思えば、間違いないようです。爆弾を積むために、全長は14mほどありましたが、直径はわずか1mなので、居住空間としての快適性はゼロ。というか、そもそも一度出撃したら、二度と帰ってこないということを前提につくられたものだったのです。ちなみに「回天」という名前には、「天を回らし戦局を逆転させる」という思いが込められていたそうで、既に戦況が相当悪化していたことを如実に物語っています。

ところがこの「回天」、配備され、実用段階に至ったのが1944年9月ということで、結局は、幸か不幸か、さほどの戦果をあげることなく、終戦を迎えてしまいます。つまり、厳しい訓練を受け、相当の覚悟をしていたにもかかわらず、出撃せずに生き残った人たちが相当数いたのです。そして、その証言を収めたビデオを、大津島にある「回天記念館」で見ることができる、というわけです。

彼等がどんな思いで訓練を受けていたのか、そして戦後は、どんな思いで生き続けたのか。そのことを想像すると、本当にやり切れない気持ちになります。稼働期間は1年弱だったとはいえ、実際に出撃し、命を散らすことになった人もある程度いらっしゃることは事実であり、そんな簡単に「生き残って良かった」などと手放しで喜ぶことはできなかったでしょう。

なお、現地の神社では今でも毎年慰霊祭が開かれているそうです。

ここは、周辺に有名観光地があるわけではありませんが、一度訪れてみる価値はあると思います。

どうしようもない病気によって「自分は死ぬかもしれない」と思った経験のある身としては、どんな理由があるにせよ、他人の命を奪おうとする行為やその道具、さらに言うならば自分の命を奪うような行為も、激しく憎悪してしまいます。

皆さんは、谷川俊太郎の「死んだ男の残したものは」という詩をご存じでしょうか。著作権配慮の観点から、ここに転載することは控えますが、武満徹がとてもシンプルながら、とても印象的な曲をつけており、ジャンルを超えてさまざまな歌手が歌い継いでいます。ご存じのない方は、ぜひ一度聴いてみてください。

 

今回は、かなり重い話になってしまいました。次回は少し軽い話題を書くつもりですので、また、おつきあいください。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常66 12月8日に思うこと

こんにちは。

 

このブログを書いているのは12月8日。私は、昔からこの日にある種特別な思いを抱いています。

ひとつは、言うまでもなくこの日が太平洋戦争の始まった日であるということです。今年は開戦からちょうど80年になるんですね。そしてもうひとつは、ジョン・レノンが凶弾に倒れた日であるということ。これは1980年のことなので、今から41年前ということになりなす。

私は、ここで第二次世界大戦や太平洋戦争の詳細について色々と論じようとは思いません。おそらく、今日のテレビでは色々と論評があるかもしれませんので、そちらに任せます。ただ、結果として、あの戦争によって非常に多くの人が傷つき、あるいは犠牲になったことこそがもっとも重要なことであり、決して忘れてはならないことだ、ということは強く主張されなければなりません。以前、瀬戸内海にある、いわゆる人間魚雷の基地になっていたところ(現在は資料館)を見学したことがありますが、ビデオで見た「これから死にに行く」という前提で出撃を待っていた若者達の証言は、本当に重いものでした。「人間に、あんな思いをさせるようなことがあってはならない。」そんなものすごく単純な感想しか、自分の頭には浮かばなかったものです。

戦争はいつも、一見するとある国にとって合理的な選択であるかのように判断され、喧伝されることによって、始まってしまいます。もちろん、歴史的に見れば、開戦の直接のきっかけがかなり偶発的なものであったような戦争もあることは確かですが、それでも「戦争をし続ける」という判断がなされたのには、それなりの理由がある、と信じられたからです。このところが大変厄介なのです。単に喧嘩っ早い政治家や軍人が先走ってしまったという話なら、「落ち着け」と言うことができます。しかし、そこにもっともらしい理屈が入ってきてしまうと、世間の風潮は次第にそちらに流されてしまうことがある。しかし、当初合理的であるかのように思われたことが、実はそうではないと人々が気づきはじめた時、既にそれは誰にも止められないような事態へと急速に転がっており、そして何よりも、多くの人が傷ついてしまっているのです。

だからこそ、非常にシンプルな言葉で「戦争は嫌だ」と主張しなければならない、と言い続ける必要がある、と私は思っています。戦争や平和について論じることにはもちろん意味があります。しかし、この「一見すると合理的である」ような理屈や理論には、十分注意しなければならないのです。

他方でジョン・レノンです。この人は、ビートルズの中でももっとも芸術家肌で、一歩間違うとどんどん変な方向に走っていくような、ちょっと危ない人だったような印象を私は持っています。こういう人が身近にいても、あまり友達にはなりたくないタイプですね。もちろん他方で、大変シンプルなロックンロールにあこがれ、そういった楽曲をいくつも書いていますので、そう単純には言えないかもしれませんが。

それはともかくとして、彼の代表作としてしばしばあげられる曲「愛こそはすべて(All You Need is Love)」や「イマジン(Imagine)」の歌詞を見ると、ものすごく単純で、しかし、だからこそ説得力のある言葉だということがよくわかります。こんなにストレートに愛や平和を訴えることができた人が他にいただろうか。そう思うと、彼がいかに偉大な存在であったのか、しみじみと理解できるような気がします。

彼が亡くなったのは、ミュージシャンとしての長いブランクの後、「Starting Over」という曲で再スタートを切った矢先でした。なんとも皮肉な人生としか言いようがありません。しかし、彼の作った曲は今でも世界中で愛され続けています。9.11の直後、アメリカでは「Imagine」を放送で流すことが禁止されたそうですが、それはすぐに「とんでもないことだ」という批判を浴びました。当然だと思います。しかし裏を返せば、彼のメッセージがそれだけ強い力をもっているということを、施政者が認めていたということなのでしょう。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常65 恐いのはコロナ・ウイルスだけではない

こんにちは。

 

先日の病院での看護師さんとの会話。

いつもより少し血圧が高く、脈拍も早かったことを受けて・・・

看護師さん「少し高いですね。家では大丈夫でしたか?」

私「はい、今朝も普通でしたよ。看護師さんに会って、ドキドキしてしまったかなあ(笑)看護師さん「わあ! 問診票に花丸つけておこうかな(笑)」

相変わらず、アホな会話に潤いを求める一コマでした。

 

さて、今回の本題はウイルスです。といってもコロナ・ウイルスの話ではなく、コンピュータ・ウイルスの話です。先日、下のような大変気になるニュースを見ました。

徳島県吉野川沿いにある人口8000人ほどの小さな町にある町立病院が、ランサムウェア(身代金要求型ウイルス)のサイバー攻撃を受け、患者のカルテのすべてを消失するという被害を受けたというのです。下の図は、ランサムウェアのもっとも基本的な構図ですが、現在では、メール等だけでなく、より巧妙な方法で、ウイルスを送り込んでくるパターンが増えているようです。

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出典 東京都産業労働局のサイトより


言うまでもなく、病院にとってカルテは何よりも大事な情報であり、すべての医療はこれをもとにして行われます。ある日の診療内容、採血の検査結果や処方した薬等については、その都度紙媚態のデータが手渡されるのが普通ですが、肝心の患者側がそれをちゃんと保管しているとは限りません。それに、カルテには、これ以外のちょっとした変化や医師と患者とのやり取りなど、数値化できない情報もたくさん書き込まれています。診療を元通りに行えるようにするには、これらの情報をイチから集め直さなくてはならないのです。ついでに書くと、会計システムもストップしたため、診療費用の請求すらできないようです。

この病院、バックアップ・システムはもちろん持っていました。しかし今回はそれがまったく機能しなかったようです。おそらく、バックアップそのものが、メイン・コンピュータと常時接続されていたため、同時にウイルス攻撃を受けてしまったのではないでしょうか。

厚生労働所のガイドラインでは、病院内のネットワークはクローズドにしなければならないことになっています。この病院の場合も、システムは基本的には「閉じられた」状態でしたが、電子カルテシステムをメンテナンスする業者が外部遠隔操作したり、県内の他の医療機関と情報交換したりするため、VPN(仮想プライベート・ネットワーク・・・これ自体は、リモート・ワークが増えたために、利用している企業は多いはずです)の通信機能が複数、接続されていたようです。こういった穴が狙われたのでしょうね。

もっと大規模な病院、あるいは企業ならば、セキュリティはさらに高度なものになっているでしょう。バックアップ・システムにしても、専門の業者がきちんと管理しているはずです。それでも時折サイバー攻撃を受けたという話は聞きますが、今回のような小規模な事業所では、そんなことをできるだけの経済的余裕はありませんし、専門の人員を置くこともできないでしょう。そもそも「うちみたいな小さいところを狙っても、大した金額を脅し取れるわけでもないし、大丈夫だろう。」と油断してしまい、コンピュータの不具合そのものへの対応は行っても、こうした外部攻撃への備えは十分ではなかったのかもしれません。

こうした犯罪は、いわば「人の命を人質に取る」行為であり、とても許せるものではありません。心情的には、「万死に値する」に近いとさえ思ってしまいます。(こういう言い方をすると、なんだかアニメっぽくなって嫌なのですが、それぐらい重い罪だということです。)

病院関係者は「これは災害だ」と語っておられます。たしかに被害や影響の大きさを考えると、大災害級ということになりますし、そうした観点から復旧に向けての外部からの支援が必要であることは事実です。しかしそれと同時に、これが単なる人災ではなく、ハッカー達が想像している以上のきわめて悪質な「大犯罪」であるということが強く認識されなければなりません。

そう、この事件そのものは、とくにこういった対応が遅れている(あるいは、対応が簡単ではない)地方の小さな病院で起きた、ということでニュースになっていますが、規模にかかわらず、どこの会社でも、役所でも、そして個人でも、こういったトラブルに巻き込まれる可能性は、常にあるというのが、今のネット社会なのです。

始末の悪いことに、こういうことを行うハッカー集団のほとんどは日本国外に拠点を持っているため、日本の国内法だけで取り締まることには大きな限界があります。また、たとえ国際的な法的整備がなされても、彼らを特定し摘発するのに高度なIT技術とは大きな労力が必要です。そもそも、すべての国が国際法を批准してくれるわけではありません。

では、私達一人一人ができることは何か? 正直なところ、特効薬のような答えはありません。強度なセキュリティをかければ、おそらく、さらにそれを上回るような技術を駆使したウイルスが世界中に撒き散らされるでしょう。もちろん、何もしないよりは、何らかの備えをした方が良いのは当然ですが、それに安心してしまうのではなく、パソコンやスマホの状態が少しでもおかしいようだったら、すぐに信頼できる専門家に相談するよう心掛けることが、最低限必要だと思います。

途中でも書きましたが、リモート・ワークをしておられる方、とくにお気をつけください。「自分のパソコンには、どうせ大した情報は入っていないから」という方も同様です。被害はあなたのパソコン内だけにとどまらないかもしれません。

 

今回も、最後まで読んでくださりありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常64 居酒屋にて

こんにちは。

 

コロナ・ウイルスのオミクロン株があっという間に広がりつつあるようですね。数回前の投稿で取り上げたヨーロッパの状況も、結局この影響だったのでしょうか。今のところ、日本ではまだ見つかっていないようですが、おそらく時間の問題でしょう。今回の変異株はかなり感染力が強く、なおかつこれまでのワクチンが効くかどうかよくわからない、という話もありますので、本当に心配ですね。各国が実施しつつある渡航制限に対して、南アフリカ政府は「不当な差別だ」と強く反発していますが、他に手だてがない以上、こうやって少しでも時間稼ぎをして、対策を練るしかないでしょう。また、将来日本発の変異株が見つかった場合も、日本政府は今回と同じような各国政府の措置を甘んじて受けとめざるを得ないだろうと思います。

余談ですが、あっという間に「オミクロン」まで来てしまった変異株、今朝の朝日新聞天声人語によると、使えるギリシャ文字はあと9個しかないそうです。全部使いきったらどうするのでしょうか。余計なお世話ですが。

 

それはそれとして、昨日は久しぶりに知人と居酒屋で一献傾けました。二人絵2時間強、色々な話をしましたが、この2年間に色々と話したい話題が溜まっていたので、あっという間の時間でした。この知人は私よりもちょうど一回り下の年齢で、今がまさに働きざかり、という世代なのですが、責任ある仕事をいくつも任されていて、本当に忙しそうでした。まあ、元気に仕事をするのはけっこうなことなのですし、活き活きと話をする彼の姿を見るのはとても楽しかったのですが、自分自身の10年前の経験を思い出すと、そうやって毎日過ごすうちに無理がたたり、ストレスが溜まってしまわないことを祈るばかりです。ストレスは万病の源ですからね。以前このブログでも紹介しましたが、病院に緊急搬送されてICUに入れられる人は、50歳代の働き盛りの人に多いそうなので・・・

でも、仕事をしていくうえで自分のペースを守り続けるってむずかしいですよね。とくに、仕事相手の事情を考えると、どうしても「迷惑はかけたくない」という思いから、自分の方が無理をしてしまう・・・誰にでも心当たりがあるのではないでしょうか。

仕事が他人との協力や連携で成り立っている以上、その相手のことを思いやることはもちろん必要です。そうでなければ、仕事は前に進みません。ただ、そのことに気を遣いすぎると、自分自身にしわ寄せがきてしまい、予定通りの仕事をこなせなくなる。そうすると結果的に、相手にも大きな迷惑をかけてしまうことになります。

小さな迷惑をかけるのは「おたがいさま」と割り切って、ある程度のわがままを許しあえるような関係で、仕事ができればよいと思うのですが、いかがでしょうか。まあ、言葉にするだけなら簡単なことはわかっています・・・

 

それにしても、居酒屋さんはめちゃ混みでした。夕方4時過ぎに行ったにもかかわらず、5組ほど待ちました。この店がもともと人気店だということもありますが、皆さん「今のうちに」と思っておられるのでしょうね。まあ、私もそうでしたが。

 

今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。